悔い改め 2025/3/31
新入生や在学生、卒業生の皆さんがどれほどのショックを受けたかを、職員の1人としても真剣に受け止め、徹底的に悔い改めるべきだと感じています。
では何を悔い改めるか。
それは「柳城流の保育」を私たちが力いっぱい磨き上げてきたかという点に尽きます。
写真の絵画を飾りながら、私はそう強く感じました。
この絵は、福音書に登場する一場面を示すものではなく、イエス・キリストの次の二つの言葉をモチーフにして描かれていると想像できます。
①「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10:14)
②「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マタイ18:5)
イエスの時代、子どもは、大人の社会からは、何の価値もない邪魔者として軽視されていました。
でも、イエスは①で、子どもも含めた、そんな軽視された人々のために神の国(=天国)は用意されていると語ったのです。さらに、②では、軽視された人々を大切にするとイエスに誓った者は、イエスを信じる者であり、その人々には天国が約束されると、イエスは語るのです。
このどちらも、当時(約2000年前)の社会的弱者にとっては涙が出る程の福音(=良き知らせ)だったはずです。
柳城学院の創設者マーガレット・ヤングは、弱者の側に立つイエスのこの姿勢を受け継いで、名古屋の地に保母養成所と幼稚園を作りました。(詳しくはこちら)
単にキリスト教を広めるために教育施設を作った、というだけの話ではないことが重要です。
「経済成長こそが正義」と言わんばかりの現代において、社会的弱者が大量に「生産」されています。
その荒波の中で子どもたちは大人の都合で「もの」扱いされるという、実に困った世の中で、イエスの言葉は今でも新鮮さをキープしていると言えるでしょう。
私たち柳城は、「国の設置基準を満たした、単なる保育士養成施設ではない」という自覚を胸に、徹底的に悔い改めて、組織を刷新し、集団よりも個人のチカラに頼り、そして授業の質をより一層高めながら、イエスの弱者重視の立場を自らが襟を正して実現しなくてはなりません。
そして、近い将来、花がいっぱい咲く構内に、イエス・キリストとマーガレット・ヤングを、自信を持って迎えられるよう、イエス・キリストの御名によって願います。アーメン (K)