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【エズラ記9章1~6節】
9:1 このような事があって後、長たちがわたしのもとに来て、言った。「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、
9:2 彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」
9:3 わたしはこのことを聞いて、衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として座り込んだ。
9:4 また、この捕囚の民の悪事に対するイスラエルの神の裁きの言葉を恐れる者は皆、わたしのもとに集まって来たが、夕べの献げ物のときまで、わたしはぼう然として座り続けた。
9:5 夕べの献げ物のときになって、かがめていた身を起こし、裂けた衣とマントをつけたままひざまずき、わが神、主に向かって手を広げ、
9:6 祈り始めた。

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はじめに
どうも皆さん、「いつくしみ!」

さて、今回はこういうタイトルでお話させていただこうと思います。『魚は頭から腐るって言うけど……』。

皆さん、この「魚は頭から腐る」ということわざはご存知でしょうか。インターネットの辞書で、このことわざの意味を調べてみましたところ、(どんなことが書かれていたのかと言いますと)「魚は頭から腐り、悪臭を発する。社会の腐敗が上層部や上流社会から進行することのたとえ。古代ギリシア時代からの表現で、ヨーロッパなどで広く使われてきました」というようなことが書かれていました(『コトバンク』より)。

社会とか、あるいは組織といった、いわば“人間の集まり”というのは、大抵の場合、上の立場の人間がしっかりしてないと、その悪い体質はどんどん下へ下へと広がっていくぞ、ということなのですね。上の立場の人間、つまり、社会や組織の責任を担っているような人たちが、たとえば、道理に反するようなことを行なっていたりとか、あるいは、厳密には「ルールを破っている」とは言えないけれども、しかし、「普通に考えてそれはズルいよね」と言われてもしょうがないようなことをやっていたりすれば、自然と、そういうような雰囲気は、下で働いている人たちにも広がっていって、やがて全体が堕落していくことになるのだよ――ということを教えてくれている言葉であるわけですね。

魚はから腐る、は本当か?
 実は、この「魚は頭から腐る」ということわざなんですけれども、実際には、正しくない(間違っている)そうなんですよね。今日のこのお話を準備しているときに、ふと、「魚って、ホンマに“頭”から順番に腐っていくのかな?」っていう疑問を抱いたのです。なので、試しに調べてみました。すると(一応あくまでネットの情報であるということはお断りしておこうと思うのですけれども)、なんと正確には、「魚は、頭から腐っていくわけではない」という、衝撃的なことが書かれていたのですね。

魚釣りとかが趣味の人にとっては、多分、常識なのだろうと思うのですが、実は魚というのは、「頭」からではなく、「エラ」とか「内臓」から腐っていくそうなのです。まぁ、「内臓」が腐りやすいというのはね、さすがの僕でも知っていましたけれども、まさか、「エラ」の部分が腐りやすいというのは知らなかったですね。エラの部分には、大量の微生物が付いているので、そのせいで他の部分よりも腐敗しやすい、ということなのですね。僕が読んだページでは、そのように解説されていました。なので、逆に言えば、(たとえば魚釣りとかで持って帰ってきた)新鮮な魚を、なるべく長持ちさせたければ、まず、「エラ」と「内臓」を取り除けば良い……ということらしいのですね。

昔の人の生活の知恵
 でも、それじゃどうして、昔の人たちは、「魚は“頭”から腐る」と考えたのか――。その理由は、残念ながら分かりませんでした。まぁ、昔の人たちは「微生物」の存在とか知らなかったはずですので、おそらくは、「(エラの部分も含めて)頭を落としていれば、魚は長持ちする」っていう、一種の“生活の知恵”というものが、代々、親から子へ、子から孫へという感じで伝えられていたのではないかなと、僕は想像しています。
また、それと同時に、この「魚は頭から腐る」という“ことわざ”自体に関してですね。このような“ことわざ”が、大昔から、世界のあらゆる国や地域で使われていた、というところからも、昔の人たちの、いわゆる“知恵の豊かさ”というものを感じるわけです。いま、テレビやインターネットで流れているニュースを見ているとですね、まさに、そのニュースのほとんどが、この“ことわざ”のとおりの内容だなと思わされるのですよね。

人の上に立つ……責任ある立場の人たちが悪いことをしていたら、その腐敗は下へ下へと広がっていく――というような状況を、僕らのような一般市民は、常にニュース番組などを通じてまざまざと見せつけられているわけですけれども、実は、そのような人間の罪深い歴史というのは、今に始まったわけではなくて、大昔からずっと変わらず続けられてきてしまったのだということを、皮肉にも、この“ことわざ”の存在が物語ってくれているのではないかと思うわけです。

多民族との結婚
 さて、ここで聖書のお話に移っていきたいと思います。今回の聖書のテクスト、旧約聖書のエズラ記9章という箇所に関してですけれども、この箇所には、こんな内容が書かれていました。「異民族との結婚」。他の民族・部族に属する人と結婚することの是非について語られていたわけなのですね。

あらためて、エズラ記9章の1節から2節までのところを読んでみたいと思います。「このような事があって後(のち)、長(ちょう)たちがわたしのもとに来て、言った。『イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。』」……こんなふうに書かれていました。

この場面に登場しているのは、「イスラエル」という民族。旧約聖書の中で、「自分たちは、神に選ばれた特別な民族だ」という自覚・自負を持っていた人々として取り上げられています。彼らはこのとき、この「異民族との結婚」という大きな問題に直面していました。彼ら、イスラエルの人々の間には、その当時、「ほかの民族に属している人と結婚してはならない」という、そういう決まり事があったらしいのですね。イスラエル人はイスラエルの中だけで結婚相手を探して夫婦になりなさい」というルールが定められていたわけです。

しかしながら、この箇所が伝えているところによりますと、なんと、イスラエルの多くの人たちが、そのルールに違反している(すなわち、たくさんの人たちが、イスラエル以外の民族から結婚相手を探し出して夫婦になって、更には、人によっては子どもまで授かっている)という事実が明らかになった――ということなのですね。そのような「異民族との結婚」という問題が、このとき、イスラエルの中では広がっていたわけです。

婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する
 まぁ何と言うか……、今のね、我々のような現代人にとっては、あんまり良い印象を受けない箇所だと思います。他の民族の人たち、つまり、自分たちとは違うグループの人たちに対する、“偏見”というか、“差別的な意識”というものが、この箇所からは感じ取れるからですね。

それに、これは決して、“聖書の時代”に限った話ではなくて、今の時代……この2024年という時代においても、依然として、そういう風潮は世界各地に根強く残っているのですよね。「他の民族の人と結婚してはならない」、「家族や親族から反対される」、「白人と黒人は結婚しない」、「自分と同じカーストの人としか結婚できない」、「特定の国にルーツがある人とは結婚すべきではない」みたいな感じで……。外国だけでなく、この日本においても、未だに、そういう意識がくすぶり続けているように感じます。教会でもですね、「クリスチャンはクリスチャンと結婚するべきだ」みたいなことを言うキリスト教の人もいますし、あるいは、今月は『プライド月間』という期間を迎えているわけですけれども、「結婚というのは、男と女がするものであって、男同士、女同士が結婚するなんてありえない!」と思ってしまっている、そういう“時代遅れ”な考えも、まだまだ、この世の中にはしぶとく残り続けているわけですよね。

結婚というのは、憲法にもあるように、「両性の合意のみに基づいて成立」するもの(まわりの人たちがとやかく言って阻止できるものではなくて、当事者である二人の合意だけで成立するもの)である――。そのことを、現代を生きる僕らは、しっかりと心得ておかなければならないと思いますし、そうであるがゆえに、今日のこの聖書の箇所に書かれている内容というのは、やはり、僕らとしては、あくまで“古代”のお話なのだと、そう割り切って読む必要があるのだろうと思わされるわけです。

お偉い人たちが真っ先にルールを破る
 ただし、この聖書のお話というのは、実は、そういった“結婚に関する閉鎖的なルール”に関してだけ語られているわけではない――、ということに注意しなければならないのですね。先ほど読んだ、9章2節の最後の部分には、こんなことが書かれていました。「しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」

長たる者、官職にある者……。つまり、簡単に言えば、イスラエルの中の“お偉い人たち”のことですね。日本で言えば、総理大臣とか、なんとか大臣、県知事、市長、そういうような庶民の代表であるような人々たちのことを指しているのだと思いますけれども、そんな“お偉い立場の人たち”が真っ先に、ルールを破って、他の民族の人たちと結婚したりしていた(!)、ということが明らかになったわけです。

何度も言いますように、「結婚に関して、何らかの制限を課す」というのは、今の時代的にはナンセンスなことですね。そういう制限は取り除いていかないといけない。ただ、この箇所に書かれていることというのは、それだけを僕らに考えさせてくれているわけじゃないのですね。それとは別の問題、すなわち、「一般庶民には(下々の人間には)『ルールを守れ』と要求するくせに、自分たち上流階級の人たちは、当たり前のようにそのルールを破ってやがる!」という、非常に“胸糞悪い”事実が、ここでは何者かによって告発されているわけなのですね。……これはまさに、今日のテーマである「魚は頭から腐る」ということわざに、ピッタリの聖書の箇所であると言えるのではないでしょうか。

おわりに
 最後になりますけれども、このことわざに関して、もう一つだけ気になったことをお話して終わりたいと思います。「魚は頭から腐る」というこのことわざは、“上”の立場の人間が悪いことをすれば、その悪い習慣というのは“下へ下へ”と広がっていく……という意味であると、先ほどお話ししましたよね。でも、ちょっと考えてみてほしいのです。「魚の“上”って……、“頭”なのか?」(魚の“上”って、頭ではなく、正確には“背びれ”とかじゃないのか?)と、僕は思ってしまったのですが、今さんはどう思われるでしょうか。でも、このことわざの意味に関しては、大抵の場合、「“上”の人たちの悪い行いが、“下”の人たちへと広がっていく」というように説明されるのですよね。

これはもしかすると、我々の社会の中にある、“上下関係”というものが影響しているのかもしれません。魚は、人間とは違って、“頭”が“前”にある。まぁ、他の生き物もほとんどそうなのですけれども、かたや、人間はというと、“頭”が“上”にあるから、無意識のうちに僕らは、いわゆる“お偉い方々”というのは自分たちよりも“上”にいる、つまり“上下関係”で考えてしまいがちなのではないかと思うわけです。けれども実は、本当に様々な責任を担いながら、一生懸命、世のため人のためにリーダーとして働いている人たちというのは、人々の“上”ではなくて、誰よりも“前”にいるものなのではないでしょうか。

まぁ、そんな立派な人というのは、残念ながら、今のこの世の中には、ほとんどいないような気がしますけれども、それでも、これからの時代、誰かの“上”に立とうとするのではなく、誰よりも“前”に立ってリーダーシップを発揮してくれる、そういう立派な人たちが社会の中に増えていってほしいなと思いますし、それと同時に、他の誰かではなく、僕ら自身が、なにか責任のある役目を担うことになった時には、人の“上”ではなく、誰よりも“前”に立って、自分たちの為すべき務めを果たしていける……そんな一人ひとりになっていくことを皆で一緒に目指していければと願っています。
……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。(チャプレン柳川真太朗)

【ヨハネによる福音書 14:5-9】

14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 
14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
14:9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

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かつて柳城で行われた「黙想と祈りの集い」の翌年の2018年、同じ形式の「黙想と祈りの集い」が私の主催で始まり、それが今も続いています。その「集い」では、「イエス・キリストの言葉を人生の道しるべにして、自分を向上させるのに役立てる」という目標が重視されています。

その根拠が今日の福音書に記されている「わたしを見た者は、父を見たのだ。」というイエスの言葉にあります。「イエスを知れば神が分かる」という意味のこの言葉は、イエスこそが唯一無二の教師であることを表しています。そんな最強の教師に従えば間違いないという安心感が大切であるとともに、「一生向上を続けたい」という意欲が重要になります。それは神を信じない人にとっても言えることです。

学校とは人格的成長の場であって、柳城はこのイエスをその柱にしてきました。創設者のマーガレット・ヤングはキリスト教の宣教師であったことを決して忘れてはなりません。だから、「礼拝って強制ですか? 何回出ればいいの?」と学生さんに聞かれたとしても「柳城だから、できる限り礼拝に出るのが当たりまえじゃん」としか答えようがないし、こんな質問をしているうちは大学生としてはマダマダで、こんな質問にまともに答えようとするのも柳城としてはサミシイ限りでしょう。

イエスのことを直接記している4つの福音書は分厚い聖書全体からすれば僅かなページ数にしかなりません。柳城に在籍するうちに一度は通読して欲しいと願います。その際には、かつてキリスト教センターで主催されていた「バイブルタイム」「お昼のさんびかタイム」「朝の祈り」なども役に立つことでしょう。復活を望みます。

最後に、お祈りをして終わりにします。

私のような罪深く愚かな者までも、ここに立たせてくださる主よ、あなたの、その愛の深さにこころから感謝します、賛美します。どうか、私の浅はかな考えや言葉はすっかり忘れ去られ、イエス・キリストの今日の言葉「私を見た者は、父を見たのだ」だけが、ここに集う人々の心に残りますように。そして、イエスこそが人生の唯一無二の教師であることをこの言葉を通して、柳城に集う私たちすべてが理解して、イエスの生き方から多くを学び、一生かけて自分を探し求め、向上していけるように、主よ、どうか私たちに知恵と勇気を与えて、その恵みによってさらに、柳城が大切にしてきた「愛をもって仕える心」が柳城キャンパスや保育現場、そして社会全体に広がるよう、主よ、あなたがお望みならば、どうか私たちをそのための道具として用いてください。
この祈り、イエス・キリストのみ名によって。
アーメン

(総務課 加藤)

【サムエル記上 1章21~28節 】
1:21 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、
1:22 ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
1:23 夫エルカナは妻に言った。「あなたがよいと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待つがよい。主がそのことを成就してくださるように。」ハンナはとどまって子に乳を与え、乳離れするまで育てた。
1:24 乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、
1:25 人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。
1:26 ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。
1:27 わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。
1:28 わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した。

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はじめに
どうも皆さん、「いつくしみ!」 今回も、僕、ワンオペです(泣) 後藤チャプレンは、いま東京におられます。東京で行われている日本聖公会の全国総会という、大事な大事な総会に出席されているのですね。なので、ぜひ皆さん、そのことも覚えながら今日の礼拝をお過ごしいただければと思います。

不妊の物語
 さて、今日の聖書のお話ですけれども、先ほど読んでいただいた聖書の箇所には、「ハンナ」という一人の女性の物語が描かれていました。ハンナには、エルカナという名前の夫がいたのですが、彼女は、その夫との間に、大きな問題を抱えていました。それは、いわゆる「不妊(不妊症)」という問題です。彼女たち夫婦は、子どもが欲しいと望みながらも、それがなかなか叶わずに、悩んでいたというのですね。

「妊娠」とか「出産」、あるいは今回のテーマの一つである「不妊(子どもができない)」という問題に関しては、いつの時代においても、特に、女性にとって大きな問題であると言えます。ただし、少なくとも僕らの時代にあっては、女性だけが考えることではなくて、男性も(……いや、男性こそが!と僕の立場からは言わせていただこうと思うのですが)、しっかりと“自分事として”責任をもって向き合うべき事柄である、というのは、もはや常識になってきているのですよね。日本の性教育というのは、先進国の中でもかなり遅れていると言われている中にあって、女性ももちろんそうですけれども、特に男性が、これから先、きちんと「性」に関する様々な事柄に関して、主体的に学んでいくことが必要である――というのは、あえて、“このように女性が多い環境”だからこそ、強調させていただこうと思うのですね。

ただしその一方で、男性の側には限界があります。男性が、たとえば、妊娠や出産という問題に関して“当事者意識”を持つのには、超えられない現実的な壁が存在すると言わなくてはなりません。何故なら、やはり、実際にお腹に赤ちゃんを宿して、その子を産むのは、ママにしかできないことだからなのですね。

今日は、旧約聖書に登場する「ハンナ」という一人の女性をめぐるお話を読んでいますけれども、「子どもが欲しいけれども、子どもができない」と悩んでいる、この時の彼女の心情というものを、たとえば僕のように、“男性”という立場からどれだけ頑張って読み解こうとしたとしても、残念ながら、そこには限界がある……。本当の意味で彼女の気持ちに寄り添うことはできないだろうと思うのですね。

そういう、いわば“制限のある立場”だということをしっかりと心に留めながら、しかし、それでも語るべきことは語らなければならないという意識を持って、このあとのお話を進めていきたいと思います。

もう一人の妻の存在
 さて、この物語の主人公であるハンナは、このとき、子どもができないという問題に苦しんでいました。しかし、実は彼女にはもう一つ、悩みの種があったのですね。それは、夫であるエルカナが連れ添っている、もう一人の妻の存在だった。「自分の夫にもう一人、妻がいる!?えっ!不倫!?昼ドラやん!」 確かに、昼ドラっぽいのですけれども、この場合は、「不倫」じゃなくて、いわゆる「一夫多妻制」によるものなのですね。一人の男性に、複数人の妻がいても、ちゃんとそれで家庭の中が平和であれば、別に問題ない――ということが、かつて、旧約聖書の時代にはあったのですね。分かる人には分かると思いますけど、『鬼滅』の「天元さま」みたいな感じです。天元さまは、ね、まぁ3人の妻がいても、みんな仲良く暮らしてるみたいですけれども、このハンナの場合は違ったのです。彼女の夫には、自分を含めて2人、妻がいたわけですが、もう一人の妻の存在が、さらに彼女を悩ます原因になっていたのです。なんと、もう一人の妻のほうには、(少なくともこの時点で)「4人以上の子ども」がいたのですね。

自分には子どもがいないのに、かたや、もう一人の妻は“子沢山”。今日のところの少し前、1章の6節を読んでみますと、もう一人の妻は、ハンナのことを悩ませていた、というように書かれています。ただ、これに関しては、実は翻訳が非常に難しいので、実際に、そのもう一人の妻が直接、ハンナに対してマウントを取ったり、嫌がらせをしたりしていたのか、それとも、もう一人の妻には何も問題はないけれども、たくさんの子どもがいる彼女の“存在”そのものが、ハンナを悩ませていただけなのか……ということは、はっきりしないのですね。それでもやはり、ハンナ自身が、自分ともう一人の妻とを比べてしまっていたのは間違いないことですし、それゆえに彼女は、「子どもができない」ということだけでなく、「どうしてあの女には子どもがいるのに、私には子どもがいないのか」というように、もう一人の妻に対する嫉妬や憎しみ、怒りという感情にも苦しめられていた、というわけなのですね。

自暴自棄になるハンナ
 そういった様々な感情によって心を蝕まれていく中で、彼女は次第に、自暴自棄になっていきます。彼女は、ある日、お祈りをするために神の神殿を訪れます。11節のところに書かれていることなのですが、そこで彼女は、激しく泣きながらお祈りをささげます。そしてその際に、彼女はこんなことを口にしたのですね。「はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげ(します)」(1:11)。

「その子を主に(神に)おささげします」というのは、簡単に言えば、神殿で働く小坊主(下働き)として、子ども神殿にお譲りします、ということです。日本でも昔は、仏教のお寺に子どもを委ねて、そこで、お坊さんの弟子として育ててもらうという制度がありました。一休さんとか、まさにそんな感じなんですよね。経済的な事情とかで、親元で生活するよりも、お寺で育ててもらうほうが子どものためになる……という考えが、かつてあったわけです。

でも、ハンナの場合は、それとは事情が違っていました。この時の彼女の言葉を言い換えるならば、こうなります。「生まれた子どもは神さまに差し上げますから、とにかく私に子どもを産ませてください!」 これは、非常に危険な考え方ですね。彼女は一貫して、「子どもを産みたい」という願いこそ持ち続けてはいたものの、しかし、その思いは徐々に、「自分の子どもの将来を期待する」というものではなくなりつつあった。それどころか、「とにかく早く子どもを出産して、もう一人の妻や周りの人たちを見返してやりたい」という、歪んだ願望へと変わってしまっていた……。

そのように読むことができるわけです。ただし、それほどまでに彼女は苦しみ、追い詰められていたのだということは、きちんと理解しておかなければならないだろうと思います。

ハンナの心境の変化
 さて、そのような願いが届いたのかどうかは分かりませんけれども、彼女はそれからしばらくして、念願だった赤ちゃんを無事出産することになります。それが、今日の場面(21~28節)ということになります。

この箇所を注意深く読んでみますと、ある意外な事実に気付かされるのですね。それは、彼女の語っている22節の言葉です。「ハンナは行こうとせず、夫に言った。『“この子が乳離れしてから”、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。』」

ハンナは、これまでずっと、自暴自棄になっていました。妊娠する前は、「とにかく早く子どもを妊娠して出産して、あらゆる呪縛から解放されたい」という、そのようなことばかりを思い続けながら過ごしていたのですよね。「子どもは神さまに差し上げますから、とにかく私に子どもを産ませてください!」という祈りの言葉が、その彼女の苦しみというものを如実に伝えてくれています。

ですが……、そんな彼女の心は、実際に赤ちゃんを妊娠したことが分かって、少しずつお腹が大きくなって、無事出産を果たし、そしておっぱいをあげるようになる、その間に(およそ280日の間に)、随分と変化したみたいなのですね。彼女は、いざ約束通り、神さまに子どもをおささげしようかという時を迎えて、それをためらうのです。「せめて、この子が乳離れしてから……」と言って、手放すのを拒否したのですね。

さぁ、ハンナの赤ちゃんがおっぱいを飲まなくなったのは、何歳くらいでしょうか。他の聖書の箇所を確認してみましたところ、古代イスラエルにおける授乳の期間というのは、どうやら「三年」くらいだったようです(Ⅱマカ7:27)。それが我々の感覚で“長い”と感じるかどうかはともかくとして、ハンナはおよそ3年の間、その子と一緒に生活したということになります。言い換えれば、ハンナは“3年間も神を待たせた!”ということになるわけですね。でも、この物語は、それを悪いようには描いていません。むしろ、それで良かったのだと表現しているようにすら読めるわけですね。

おわりに
 その後、ハンナは当初の約束のとおり、神殿の子として、最愛の子どもを神に委ねる決断をします。3歳という年齢で、子どもを親元から離しても良いのかどうか――という議論については、まぁ、また別の機会に譲ろうと思いますけれども、このハンナの物語の中で、最も注目すべきなのは、このように、「求め、与えられ、そして“手放していく”」という、僕ら人間にとって極めて難しい決断に関して、「母親」という視点から描いているという点だと思うのですね。求めて、求めて、ようやく与えられた“最高の宝物”を、思い切って“手放す”……。ややもすれば、自分にとって大切なものへの愛というのは、「支配欲」や「執着心」という悪い思いへと変わっていきます。それを、彼女は乗り越えた。克服した。子どもにとって、より幸せな道へと進ませてあげたい、という思いがきっと、彼女を本当の意味で、様々なしがらみから“解放”させるきっかけになったのだろうと思います。結局、彼女はこのあと、続きの物語を読んでみると、2人の娘と3人の息子を授かることになるのですよね(2:21)。物語がそのような展開を迎えるというところからも、このときの彼女の、「求め、与えられ、そして“手放していく”」という決断が、良い決断だったと評価されている、と言えるのではないでしょうか。

手を握るよりも、手を放す(手を開く)ほうが難しい――。でも、手を放したその先に、新しい希望が待っている。そんなことを、今日、この「ハンナ」という一人の女性を巡る物語から、ご一緒に学ぶことができたように思います。

……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。  (チャプレン柳川真太朗)

【マタイによる福音書20章1~16】
20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
20.8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

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今日のお話で、気前が良いのは神さまのことなのですが、わたしたち人間はなんで、ねたむのでしょうか? 生物学的には子孫をより良い形で残すための機能の一つなのだそうですが、現代では無用な、というより不用な感情の一つのようです。でも、この感情がある以上、わたしたちがこの「ねたみ」という感情とうまく付き合っていくことが、生きていく上で必要なことのようです。この妬みという感情は、人との比較によって生じてきます。そもそも人との比較でしか、自分の大切さを確認できないことが、問題なのですが、比較してしまうのはなぜなのでしょうか?

わたしたちは思います。あの人は、わたしよりも能力が劣る、だから与えられるものは少なくて当然である。責任を果たしていないのだから、権利ばかり主張するな。神の愛を受けるにふさわしくない人だから、大切にされなくても仕方がない、と。
今日のたとえ話にも、そんなわたしたちの思いが、反映されています。わたしはあの人より長い時間がんばっている。だからあの人より報酬がいいはずだ。あの人より愛される価値があるのだ、と。わたしはあの人たちより役に立つ、間に合う人間である、と。だからこのたとえ話を、すなおに聞くことが出来ません。

このお話しを聞いて、「みんな一デナリオンもらえて良かったな。」と思った方いらっしゃいますか? 「朝から一生懸命ずっと働いていた人が約束通り1デナリオンもらえて、最後に来て1時間も働かなかった人も1デナリオンもらえて、みんな1デナリオンもらえて良かったな…」と思った方、いらっしゃいますか? 多分いないのではないでしょうか?
今日のお話は、わたしたちがどこに、誰に自分を重ねて、この物語を聴いたのかということが、ポイントになってくるようです。わたしたちが自分を重ねて物語を聴いたのは、朝早くから雇われて、夕方まで汗水垂らして一生懸命に働いた、その人たちだったと思うのです。わたしたちは、ある意味その人たちに自分を重ねることが出来る一人一人なのだと言うことが出来ます。

今日のぶどう園の主人は、朝早くから人を雇いに行って、さらに12時頃と3時頃、そして夕方5時にまだ仕事が見つからず、広場に残っていた人々までも雇っています。労働時間が終わる6時まで、もうそんなに仕事をさせることが出来るはずもないにも関わらず、主人は雇ったのでした。これには、ブドウの収穫の後にすぐ雨期がやってくることもあって、収穫を急がなければならず、多くの労働力が必要だったという事情がありました。
それは良いとしても、このぶどう園の主人は賃金を支払う場面で、監督に『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と指示しているんですね。おかしな話です。この指示さえ無ければ、みんな喜んで1デナリオンを受け取って帰って行ったのだと思います。しかし、まさにこの指示によって、朝早くから働いていた人たちは、最後に来て1時間も働かなかった人たちも、自分たちと同じ1デナリオンを受け取ったことを知って、不満を感じることになったのです。
※「1デナリオン」は当時の一日分の賃金だといわれています。
わたしたちは、最初に雇われた人たちに自分を重ねていますから、そんなことがあって良いものかと、気前の良い主人に不満を募らせます。

このぶどう園の労働者のお話しは、いわゆる日雇い労働者と呼ばれる人たちのお話であります。収穫の時には、働き手が必要ですので、仕事にありつくことが出来るかも知れません。しかし、そうではない仕事があまりない時期には、仕事に就くことが出来ずに、その日の食べ物にも事欠いてしまう。そのような人たちの物語です。
まだ名古屋の「笹島」という所に、職安・ハローワークがあった頃のお話しですが、朝早くに笹島に行きますと、現場で働く人たちを雇うために、ワゴン車が何台も止まっていました。その仕事を求めて、沢山の人たちが集まって来ます。そこでその情景に佇んでいますと、やはり最初に雇われていくのは、より若くて、体が丈夫そうで、力があってよく働きそうな人たちなのです。わたしたちの社会は競争社会ですので、そのように雇われる基準は明確です。いわゆる「生産性」が判断基準です。仕事に必要な人員が満たさせれば、ワゴン車は出発をし、後に残されるのは、高齢の方や体のどこかを怪我していたりする人たちなのです。折角朝早くから、仕事を求めてやって来ていても、雇ってもらえずに、寝床へと帰って行くことになるのです。
早起きしましたので、多くの人たちが通学・出勤する時間帯に、それぞれの寝床で一升瓶に入れた水を飲んでいる姿は、朝から酒を飲んでいるというような誤解を生じさせることになるのです。

この福音書のお話しでも、夕方の5時に雇われた人たちというのは、わたしたちの時代の年を取っていて、体が丈夫では無いために、仕事に就くことが難しく、日常的に生活の糧を得ることが難しい人たちの姿と重なって見えてくるのでは無いでしょうか? わたしたちは朝から晩まで一日一生懸命に働くことが出来る、生産性の高い人たちに自らを重ねてお話しを聞くことが出来るのですが、日常的に仕事に就くことが難しい、一日の食事も充分に摂ることが出来ない人たちにとっては、今日の物語は、みんなが同じように1デナリオンを貰うことが出来た、とても素晴らしい良い出来事のお話として、響いたのではなかったでしょうか?

今日のお話は「天の国は次のようにたとえられる。」と語り始められていました。天の国では朝から晩まで、ただ雇われることを願いながらも、この世の価値判断によって、存在を認めてもらうことすら出来なかった人たちが、他の人たちと同じように神さまから抱いてもらえたお話しなんだと思います。ですから主人からかけられた「あなたたちもぶどう園に行きなさい」という言葉は、とても大きな喜びをもたらしたのだと思います。

この物語を聴いて「まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」と、つぶやくわたしたちは、生産性で人を判断するその価値観の転換を促されているのでしょう。神さまの「この最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」』という眼差しに、わたしたちの視線を重ねて、すべての人間は平等でかけがえのない存在であることを心に留めて、自己中心的なわたしたちの歩みを方向転換し、一人の人をありのままに、その存在自体で受け入れることが出来る、神の国の到来を喜ぶことが出来る一人一人に変えられて参りたいと思います。(チャプレン 後藤香織)

【ルカによる福音書 13章10~17節】
13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
13:11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。
13:14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。
13:16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
13:17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

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今日ご一緒に聴きましたお話しは、新約聖書に四つある福音書の中でルカ福音書だけが記しているあまり有名ではないお話しです。一般的にこのお話しは、愛の行いは「安息日に働いてはならないという規定」を越えることを教えているのだと解釈されてきました。しかし、わたしたちが注目したいのは、一人の女性が解放されたということです。

今日のお話のタイトルは、「奇蹟とはなにか?」です。皆さんは、このお話しで何が奇蹟だと思われますか? 教会では一般的に、この女性の十八年間曲がったままだった、腰がまっすぐになったことを奇蹟だと理解するようです。
ちなみに、わたしのお話しのタイトルでは「奇蹟」の「蹟」という字を、旧字体の方を使っています。教会では、ただの驚くような出来事ではなく、神さまの力によって起こった出来事であると言うために「奇跡」ではなく「奇蹟」と記して区別しているのです。

お話しは、ユダヤ教徒が大切にしている安息日に、ユダヤ教徒が礼拝をする会堂で起こりました。日本語ではそう訳されていませんが、ギリシア語では、『見よ、女性が』と、女性に注目するように呼びかけられます。「目を見開け」という強い呼びかけは、この女性の存在が人々から無視されていたことを示しています。この女性はそこにずっと居るのに、誰からも気にされていませんでした。誰の目にも映ってはいないのです。
女性は十八年間、腰が曲がったままで、伸ばすことが出来ないでいました。イエスさまの当時、病気や障害は、罪の結果、神さまからの罰、悪霊の仕業などと考えられていました。病気の苦しみに加えて、神さまから罰を受けたのだという蔑みの視線が、この女性に注がれていました。みんなが集まる会堂では、隅っこで邪魔にならないように、黙ってそこに居たのです。

日本聖公会が女性の司祭按手を認めたのは1998年5月27日の総会でした。日本聖公会最初の女性の司祭が誕生したのは、1998年12月12日、名古屋聖マタイ教会主教座聖堂でのマーガレット渋川良子司祭の按手式でした。わたしはみんなが大きな喜びに包まれて、お祝いしているのに混じって、ちょっと複雑な思いでお祝いしていました。
当時わたしは男性として生活していましたが、女性の牧師さんへの連帯の意思表示として、女性の司祭が実現するまでは、司祭にならないと決心をしていました。他の男性の執事たちと一緒に司祭按手を受けなかったことを、当時ずっと執事でいらした渋川良子執事から問われて、女性の牧師に連帯して、女性の司祭が実現するまで、執事職をしっかりと担いたいと伝えたところ、返ってきた答えは、「何言ってんの! 司祭になれるのに、ならないなんて言えるのは、傲慢よ」という言葉でした。喜んでもらえるだろうと思っていましたので、ショックで、なぜそのように言われたのか理解出来ませんでした。その後、1996年の教区会の時に司祭按手を受けるようにと言う促しに、異を唱えることなく、わたしは司祭に按手されます。
そんなことがあったので、渋川先生の司祭按手式を、わたしは複雑な思いで迎えたのです。そしてわたしのわだかまりは消化できないまま、くすぶり続けます。
2005年11月にわたしはトランス女性であることをカミングアウトして、女性として生活を始めます。このカミングアウトの後、様々なことが頭の上を素通りして行く出来事を経験します。そこにいるのに、存在を認めてもらえない。そんな女性としての経験に畳みかけられて、初めてわたしは、渋川良子執事からの言葉に思いを寄せることが出来始めるのです。

『ほら、女性が』という呼びかけは、女性が誰の眼にも映っていないことを表します。そこに居るのに、存在は忘れられています。もちろん何かを主張することなど出来なかったでしょう。
社会の中で、いわゆる「多数派」として過ごす他人の目には映ることのない人たちが、少なからずいます。ジュンダー・ギャップ指数が146か国中125位の日本は、顕著な男性社会ですので、女性であることは男性の視線からは、「居ない」ものとし見做されることが残念ながらまだあり得るのです。「「みんなでいっしょに!」という掛け声を、いろいろなところで聞きます。しかし「みんなでいっしょに!」という掛け声は、目の前を通り過ぎて行ってしまうのです。いっしょの輪にしがみつこうと、「わたしはここにいます」などと口にすれば、輪を乱す不埒な奴として、そこに居ることさえ出来なくなってしまいます。だから、せめてみんなの「いっしょの輪」を眺めることが出来るように、黙っていなくてはいけないのです。何かを口にすれば、排除され、蔑まれることの苦しみや、悲しみ、寂しさがより大きく迫って来てしまうのですから…。

誰にも顧みられずに、黙していたこの女性に目を留めたのは、イエスさまでした。イエスさまの「あなたは病から解放されている」という力強い宣言と、両手を女性に置かれる行為によって、十八年間の屈み込んだ状態から女性は解放され、たちどころに腰がまっすぐになり、神さまを讃美し始めたのです。新共同訳聖書では覆い被さるイメージをぼかして「その上に手を置かれた」という訳になっていますが、イエスさまは「彼女の上に覆い被さって両手を置いた」のです。覆い被さって手を女性の上に置く動作は、身をかがめて、女性と同じ低さに、位置に座り込むことをつことを前提にします。その人のいるところに、ともに座り込むイエスさまの身のこなしをしっかりと憶えたいと思います。
では奇蹟とは何でしょうか? 本来ありのままで良いはずの存在、受け入れられるべき存在が完全に無視され拒否されているところで起きたのが、このお話しにおける奇蹟でした。奇蹟とは、信じられないことが起きることを意味しますが、イエスさまの行われる奇蹟は、関係が絶たれていた状態が、諦めていた断絶が、繕われて紡がれてそこに交わりが生み出される出来事として、わたしたちに希望と共に示されるのです。この女性の腰が伸びたことに、わたしたちは目を奪われがちですが、それを越えて、この女性への眼差しが回復されたことが、ありのままに受け入れられるようになることが今日のお話の奇蹟の出来事なのです。

そういう意味では、わたしたちは誰かの曲がった腰を治すことは出来ないかも知れませんが、尊厳を持ったわたしたち一人一人が、ありのままにお互いの存在を受け入れ合う社会を実現してゆくことは、諦めなければ出来るのではないでしょうか? わたしたちの独り善がりな生き方を、共に仕え合い、分かち合い、愛し合う歩みへと変えてゆくことで、実現出来そうになかった、平和と正義に満ちた世界を実現してゆくように、今日、このお話しによってわたしたちは招かれているのです。神さまからの愛と恵に満たされて、イエスさまとともに奇蹟の働きをして行くことが出来るように、わたしたちも座り込み、視点を変えられ、視野を拡げられて参りましょう。

誰も見ていなかったこの女性を見たのはイエスさまでした。イエスさまは、女性を見るとそのまま「呼びよせ」たとあります。そして、まず言葉で宣言します。「あなたはあなたの病気からすでに解放されている」。ここに出てくる「ajpoluvwアパルーオー解放する」という言葉は、病気を治す」というのとは言葉も意味も違います。聖書(新共同訳)はここを「治す」と訳していますが、大変残念です。しかも、イエスさまは解放されていると、解放された状態の継続を強調しています。女性に必要だったのは、病気のための疎外や蔑みや無視からの解放で、もちろん病の癒しを伴いました。しかし、イエスさまは、このあとも、二回この「解放する」という言葉を用い、「qerapeuvwセラペウオー治す」を一度も使いません。まさに「解放する」がこの物語のキーワードなのです。対照的に会堂長は、「治す」しか用いないのです。
イエスさまの行為がさらに続きます。イエスさまは「彼女の上に覆い被さって両手を置いた」のです。新共同訳では「その上に手を置かれた」とさりげない訳になっており、覆い被さるイメージをぼかしてしまいました。覆い被さり手を彼女の上に置く動作は、自らの身をかがめ、彼女と同じ低さに立つことを前提にします。その痛み苦しみに共感することをギリシア語では、「splagcnivzomaiあわれむ内臓が痛む」と表現しますが、イエスさまはこの女性の痛みを自分の痛みとし、放っておくことができなかったのでしょう。触れることが、もしも悪霊の汚染の真ん中に入って働くことを意味したとすれば、この動作は極めて象徴的な表現です。
誰も見ようとしなかった女性に目をとめ、心を砕いたイエスさまは、一人の女性の苦しみと真っ向から向かい合った唯一の存在だったわけです。
イエスさまは、この女性をアブラハムの娘と呼びます。聖書の中で、アブラハムの息子(新共同訳では「子」と訳す。原語の息子という語が男女両性を表現できるので子と訳すのも間違いとは言えない)という呼び名はしばしば出てきますが、娘という呼び名はここだけです。人々がアブラハムの子として互いに仲間同士であるのなら、彼女が仲間から排除されてきた理由を見つけることは不可能だということを、このような表現によっても確認しているのです。彼女が解放されることは、安息日に相応しいというのがイエスさまの主張です。
新共同訳は、16節で「安息日であっても」という訳をしています。これは、女性を苦痛から解放し安息日にふさわしい存在にしたイエスさまの行為を、「安息日には働かない」という律法原則を肯定した上で、例外的に認めるという解釈になってしいます。
これを「安息日だからこそ」と積極的に訳したい気もしますが、やはりイエスさまの行為を例外的なものにしてしまいます。ただ単純に「安息日に」と訳し、安息日に極めて当たり前のことが起こった報告と受け止めたいのです。しかし、多くの人々の目にはそれが、尋常ではない奇蹟の出来事として映ってしまうことが、ここでの問題です。
イエスさまのこの行為は、ありのままに存在することを拒否されている人々の存在権への挑戦と解釈できます。

現代に生きるわたしたちにとっての奇蹟とは何でしょうか。わたしたちが受けている挑戦とは何でしょうか。
わたしたちの社会には、さまざまな形で様々な人を受け入れない状況が存在します。例えば障害を負って生きている人がたくさんいます。精神や身体の障害そのものは、医学の発達によってある程度の治療や改善が可能になってきています。しかし、問題はそれで解決するものではないことが、この物語によって明らかです。問題は、いわゆる存在を否定されない多くの人の無関心にあります。さまざまな理由で社会からはじき出されている人々が、ありのままで生きることができる社会を生み出すこと、そのことが今日の物語がわたしたちに問いかけていることなのではないでしょうか。そして、それを生み出すことこそ現代の奇蹟と呼べるのではないでしょうか。奇蹟とは、信じられないことが起こることを意味します。それほど大変なことへとわたしたちは、イエスさまによって問いかけられ、またイエスさまと共に働くことへと招かれていることを覚えたいと思います。

「さて彼は安息日に、会堂の一つで教えていた。すると、見よ、女性。彼女は十八年の間病の霊を抱え、腰が曲がったままであって、どうしても完全に伸ばすことができないでいた。イエスは彼女を見て呼びよせ、彼女に言った。『女性よ、あなたはあなたの病気からすでに解放されている。』そして彼は彼女の上に両手を置いた。するとただちに彼女はまっすぐになり、神を賛美し続けた。しかし会堂長は、イエスが安息日に治したので怒り、反論して群衆に言った。『働くべき日は六日ある。だからそれらの日にやって来て、治してもらうがよい。安息日にではなく。』しかし、主は彼に答えて言った。『偽善者たちよ、あなたたちは誰でも、安息日に牛やろばを飼い葉桶から解放して、水を飲ませに引いていかないのか。ところが、この女性はアブラハムの娘なのに、見よ、十八年の間サタンが縛りつけているのだ。安息日に、彼女はその束縛から解放されるべきではないか。」そしてこれらのことを彼が語ると、彼に反対する者たちは恥いった。そして群衆は彼によって起こるあらゆる素晴らしいことを喜んだ」(ルカ13:10-17直訳に近い訳)

会堂長の振る舞い-誰に対して腹を立てたのか

イエスさまによってその苦悩から解放された女性が賛美し続けたのとは対照的に、「会堂長は、イエスが安息日に治したので怒り、反論して群衆に言った」。会堂長は、イエスさまが彼女をその苦悩から解放したことに気がつかず、治したことに腹を立て、そしてその非難を群衆にぶつけました。実際のところ、会堂長の非難はこの無力な女性に向けられていたのでしょう。それは続く発言に現われています。「働くべき日は六日ある。だからそれらの日にやって来て、治してもらうがよい。安息日にではなく」。病を治すことは、会堂長にとっては仕事であり、そのための日が週に六日あるのでした。これは、働く側の利益に立った発言です。安息日に「男性」に働くことを要求するとは、何とでしゃばりなことか。病気がそんなに深刻であるはずもない。すでに十八年も耐えてきたのではないか。律法を知らないのか。と言わんばかりの発言です。イエスさまの目につくようにその場に居合わせたことが悪いかのような非難の仕方です。しかし、会堂長は、女性に語りかけることをしませんでした。多分相手にするに足りないとの判断だったのでしょう。ここにもイエスさまとは対照的な振る舞いが表れています。
しかし、一読して分かることは、会堂長の真の非難の対象は、女性ではなくイエスさまであったはずです。女性は、いわば顰蹙を買うような出来事のきっかけを作ったに過ぎません。問題を起こしている張本人はイエスさまでした。主導者は、確かにイエスさまだったのですから。しかし、会堂長は、イエスさまに直接語りかけることはせず、かくも屈折した仕方で非難を浴びせたのです。イエスさまを直接攻撃すれば、イエスさまに味方する人たちも出てくる可能性がありました。会堂長はそれを避けたのでしょう。誰も援護してくれないほど社会的に疎外されていた女性を間接的に責めるのが一番安全だったのです。
会堂長の振る舞いは、この人が律法に気を取られて大事なものを見落としていることを示しています。その日が「安息日である」こと、それが会堂長の最大の関心事だったのです。人のいのちを見ることができなくなっていたことを象徴しています。自分の利益のみを追求する存在を象徴しているとも言えるかもしれません。
(チャプレン 後藤香織)

【レビ記16章20~22節】
16:20 こうして、至聖所、臨在の幕屋および祭壇のために贖いの儀式を済ますと、生かしておいた雄山羊を引いて来させ、
16:21 アロンはこの生きている雄山羊の頭に両手を置いて、イスラエルの人々のすべての罪責と背きと罪とを告白し、これらすべてを雄山羊の頭に移し、人に引かせて荒れ野の奥へ追いやる。
16:22 雄山羊は彼らのすべての罪責を背負って無人の地に行く。雄山羊は荒れ野に追いやられる。

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はじめに
 どうも皆さん、「いつくしみ」!
今日は、僕一人で、司式とお話の両方を担当させていただいております。後藤チャプレンは、教会関係のご用事のため、本日はお休みです。こういう日もありますのでね、ぜひとも宗教委員の学生さんたちには、積極的にご協力いただきたいと思いますし、宗教委員じゃなくても、「手伝いたい!」と思ってくれる人がいれば、遠慮なく、声をかけてくれたら嬉しいなと思っています。

5月の聖歌について
 さて、今日ははじめに、キリスト教の「聖歌」のお話をさせていただこうと思います。5月に入って、新しい聖歌を歌うようになりましたね。先月は、『いつくしみ深き』(入学式のときにも歌いましたよね)、そして『グロリア、グロリア』という二つの聖歌を、4月の月間聖歌として歌っておりましたけれども、今月は、先ほど歌いました『聖なる 聖なる』という曲と、それともう一曲(これは礼拝の最後で歌いますが)、564番の『来ませ来ませ(오소서 오소서)』という聖歌を、今月の聖歌として歌っていくことになります。
『聖なる 聖なる』のほうは、世界的にメチャクチャ有名な聖歌です。まぁ、少なくとも“我々の業界”では、おそらく、知らない人はほとんどいないと言っても過言ではないほど、超有名な聖歌なんですよね。19世紀にイギリスで作られて以降、瞬く間に世界中へと広がっていき、今や、様々な国の聖歌集・賛美歌集に収録されて、歌い継がれるようになっています。
一方で、564番の『来ませ来ませ』という聖歌に関しましては、これは恥ずかしながら、僕も知りませんでした。この聖歌集を使っている聖公会の教会の方々でも、歌ったことがない人は多いと思います。
皆さん、よかったら聖歌集を開いていただけるでしょうか。564番です。この564番の楽譜を見てみますと、日本語の歌詞の下に、英語と、そして“韓国語”の歌詞が載っていますよね。皆さん、“ハングル”読めます?僕は、ちゃんと勉強したことがないので、未だに読めないのですけれども……、学生の皆さんはね、もう、バリバリの韓国ブーム世代ですからね。ひょっとすると、読める人も何人かおられるかもしれません。
この『来ませ来ませ』という聖歌、元々のタイトルを韓国語で『오소서 오소서(オソソ オソソ)』と言うのですけれども、この聖歌は、韓国を代表する作曲家の一人、이건용(イ・ゴニョン)という人によって作られました。それを、日本語に翻訳したものが、このように日本の聖歌集の中に収録されているというわけです。
キリスト教の聖歌というのは、決して“アメリカやヨーロッパだけ”で作られてきたわけではありません。まぁ、「キリスト教」と聞きますと、つい“欧米の宗教”というようにイメージしてしまいがちだと思いますし、実際のところ、キリスト教の「聖歌」と言えば、それこそ、先ほど歌った『聖なる 聖なる』のような、西洋、英語圏で作られた歌を第一に想像してしまうものではあるのですけれども……、しかし、本当はそうじゃない。キリスト教の「聖歌」「賛美歌」の中には、実は、古今東西、いろんな時代の、あらゆる国や地域において、様々な言語や音楽的感性をもとにして作られた曲が、たくさんあるのですよね。
もちろん、日本人のクリスチャンが作った聖歌も、いっぱいありますし、そしてこのように、韓国で作られた聖歌もある――。この『日本聖公会聖歌集』には、韓国の聖歌が全部で5曲(284、324、514、534、564)、収録されています。そのほかに、アジアで生まれた聖歌だと、フィリピンのタガログ語とセブアノ語、そして中国語の曲が載っています。正直言うと、もっと、いろんな国の聖歌を採用しても良かったんじゃないかなとも思うのですが……、とにかく、キリスト教の「聖歌」というのは、一概に「これが聖歌だ」と言えるようなものではなくて、非常に多種多様なものなのだということを、ぜひ皆さん、これを機に覚えておいていただければと思います。

アジア祈祷日を覚えて
 さて、それにしましても、今回どうして、564番の『来ませ来ませ』という聖歌を“5月の聖歌”として選んだのかと言いますと、これにはちゃんと理由があります。
キリスト教の世界には、社会的な活動に取り組んでいる数多くの組織があるのですけれども、その中に「CCA(アジア・キリスト教協議会)」という、日本を含めたアジアのキリスト教のグループがあります。日本の聖公会も加盟しているのですが、そのグループが、毎年この5月頃に「アジア祈祷日」という日を覚えましょう、という呼びかけをしているのですね。
「アジア祈祷日(Asia Sunday)」というのは、アジアの様々な国や地域の現状と課題、そして、そこに住むキリスト教の仲間たちを覚えて、特別な礼拝をささげる日とされています。アメリカやヨーロッパなどの国々とは違って、アジア(特に、南アジアや東南アジア)という地域には――テレビなどでも度々取り上げられておりますように――、非常に多くの問題が山積しているのですよね。食料、飲み水、住居、仕事、医療、治安、エネルギー、ジェンダー、そして宗教……などなど。すべての人が安心して暮らせる社会とはほど遠い状況が、各地に広がっています。
殊に、宗教(キリスト教)に関して言えば、仏教やイスラームが中心的な宗教とされている中にあって、キリスト教の信者たちは、いわゆるマイノリティ(少数派)として生きることを余儀なくされています。そのため、そこではやはり、無理解とか未知に対する嫌悪感から、差別や迫害ということが行われている。それによって、アジアの少数派であるキリスト教徒たちは、常に安全が脅かされ続けているのですね。
そのような、アジアの国々の平和を祈るために、「アジア祈祷日(今年は5月12日)」という日が設けられている――。そのことを、皆さんに覚えていただきたいなと思って、それで今月は、韓国の『来ませ来ませ(오소서 오소서)』という聖歌を“月間の聖歌”として選ばせていただいたというわけなんですね。

スケープゴート
 2024年という今の時代、この日本という国は、アジアという地域にあって、中国や韓国とともにアジア全体の経済をリードする、そういう重要な立ち位置にあります。また、アジアの多くの国々からは、たくさんの若い方々が、仕事を求めて日本へとやって来られて、今や、じつに様々なシーンで、ベトナムやフィリピンを中心とした外国人労働者たちの方々の働きをお見かけするようになりました。逆に、日本のほうも、あらゆる企業が、たとえば、タイやシンガポールなどといったアジアの国々に進出しています。それは、人件費削減のために海外工場を建てるという“一昔前の考え方”に基づくものではなくて、経済成長が進むアジアの国々を舞台に勝負をしていく――、つまり、それぞれの国のマーケットを開拓していく――という方針を掲げて、アジア進出が行われているということなんですね。僕は経済の専門家ではないので、これ以上のことは分かりませんけれども、しかし、これから先も、日本とその他のアジアの国々が、互いに協力し合いながら、共存共栄を目指していくべきだ……というのは、言うに及ばない、当然のことであろうと思います。

しかし、その上で、この日本という国に住む僕らが、絶対に心に留めておかなければならないことがあります。それは、日本にはかつて、アジアのあらゆる国に対して侵略行為をおこない、そこに住む大勢の人々の尊厳を踏みにじってきた過去がある、ということです。今回は時間の都合上、詳しくは触れませんけれども、僕らのこの国は、中国や朝鮮半島、さらには、先ほど名前を挙げたような東南アジアの国々にまで軍事侵攻を行い、各地で、様々な形での人権侵害を公然と行なってきたわけです。しかもそれらの行為を「アジア解放」と銘打って、「悪いのはアメリカだ、あるいは共産主義者だ」と喧伝しながら、自らを正当化していたのですよね。のような日本の手法は、まさに「スケープゴート」と言えるだろうと思います。

「スケープゴート」というのは、簡単に言えば、誰かを“悪役”に仕立て上げて(つまり誰かに責任を転嫁して)その人を断罪し、自分たちの正当性を保つことを言います。実は、今日の聖書の箇所として選んできた、旧約聖書の内容に由来しているのですよね。レビ記16章20〜22節。ここには、雄の山羊の頭に、すべての人の“罪”を移して、その山羊を町の外、何もない荒れ野へと追放する――という、古代の(呪術的な)儀式のことが書かれていましたけれども、古代の人々は、その儀式を行うことで、一年に一度、自分たちの“罪”をすべて無かったことにできると考えたらしいのですね。その山羊にすべての罪の責任転嫁をすることによって……です。日本でもよく聞く「スケープゴート」という言葉には、このお話から生まれたものなのですね。

おわりに
 かつての日本は、アメリカや共産主義者、また、日本政府の意にそぐわない者たちを、まさに「スケープゴート」として断罪しながら、主にアジアへの侵略戦争を続けてきました。そのことを、僕らは多少なりとも、学校で勉強したりして知識としては知っています。けれども、実はどこかで、過去のこと……、あるいは「昔の日本がやったこと」というように、今の自分たちとは関係ないこととして理解している部分があるのではないでしょうか。それはもしかすると、僕ら自身もまた、「過去の日本」を「スケープゴート」として自分たちから切り離して、それで歴史を清算したつもりになっていると言えるかもしれません。でも、それでは良くないと僕は思うのですね。今回の聖書のお話を読んで、「山羊の頭に罪を移したところで、罪がなくなるわけないじゃん」と、皆さん思われただろうと想像しますけれども、それと同じように、この現実の世界においても、人々の間から“罪”を簡単に消すことはできないんだよ、ということを、心に留めておきたいと思います。

このあと歌う、564番『来ませ来ませ』という韓国の聖歌。その歌詞には、「(神よ、私たちを)ひとつのからだに してください」というメッセージが込められています。日本と韓国、また、日本とアジアの国々が「ひとつのからだ」になるためにはどうすれば良いのか。歴史を真摯に見つめ、反省すべきことを反省し、愚かな行いを繰り返さないこと。そして、愛をもって異なる存在同士、助け合い、支え合うこと。そのような関係を続けていくことで、少しずつ、また少しずつ、国と国、人と人とが「ひとつのからだ」を作り上げていくことができるのではないかと僕は願っています。

……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。    (チャプレン 柳川 真太郎 )

【使徒言行録 11章19~26節】
11:19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
11:20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
11:21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

✝  ✝  ✝

はじめに
 どうも皆さん、「いつくしみ!」 チャプレンの柳川真太朗です。学校礼拝にようこそお越しくださいました。
皆さん、もう、僕らチャプレンの名前を覚えてくれましたか? 今日、司会をしてくださっているのが、後藤香織チャプレン。そして、僕が、柳川真太朗です。後藤香織……、柳川真太朗……。後藤……、柳川……。まぁ、どちらもね、そんなに覚えづらい名前じゃないと思うので、ぜひ覚えていただければと思います。
(ちなみに、後藤チャプレンに質問ですけれども、後藤チャプレンは、「みんなにこういう名前で読んでほしい」っていうの、あったりしますか?)

ぼくのニックネーム
 僕はですね、あんまり、「柳川さん」とか「柳川先生」みたいな感じで呼ばれるのが、好きじゃないんですよね。結構小さい頃から、周りの人たちにニックネームで呼んでもらっていたので、大人になった今でも、できれば周りからはニックネームで呼ばれたいなぁって思っているのです。

これまでどんなニックネームで呼ばれてきたかなぁと、ちょっと振り返ってみたのですけれども、たとえば、「しんちゃん」とか、「やなさん」とか、「やんちゃん」、「やんこ」とか、いろいろありましたねぇ。まぁ、ほとんどは、いま挙げたように“自分の名前”に由来しているものばっかりでしたけれども……、そういえば一つ、これは秀逸なネーミングセンスだなぁと思ったあだ名がありました。それがこちら。「微調整」
かつて、高校の頃に1年だけラグビー部に所属していたことがあるのですけれども、試合中によく、フィールド上でチョコチョコ細かく動いているように見えたらしいのです。自分がどのへんに立っていれば、上手くボールが受け取れるか……とか、相手の動きに合わせられるか……とか、そういうことを考えながらポジショニングをしているつもりだったのですけれども、それがチョコチョコとしていて、仲間からは面白く見えたんでしょうね。それで、みんなから付けられたあだ名が「微調整」でした。まぁ、ラグビーやってる時だけの名前でしたけどね。これを越えるあだ名は、後にも先にも無いだろうなぁと思います。

皆さんはぜひ、「微調整」じゃなくて、「やなさん」とか、「しんちゃん」とか、そんな感じで呼んでいただけたら良いかなと思います。「しんたろう!」って呼び捨てにしてもらっても大丈夫です。そうやって、気軽にね、声をかけてくれると、僕は嬉しいです。

特別な呼び名の光と影
 さて、そのように、ニックネームとかあだ名というようなものに関しては、その特別な名前で呼ぶことで、その人との心の距離というものをグッと縮めてくれる……、そういう不思議な力があるわけですけれども、ただし、気をつけなければいけないのは、もしかすると、そのニックネームやあだ名で呼ばれているほうは、その名前を嫌がっているかもしれない――という可能性があることです。

昨今、この日本の教育現場・保育現場においては、「ニックネーム・あだ名で呼ばない」、「さん付けで呼ぶ」ということを推奨している――、そういう学校が増えてきていると聞いています。え〜?ホンマかなぁ?と、最近まで内心疑っていたのですが、実際に、うちの子が今年の3月まで通っていた保育園では、うちの子ども曰く、「お友だちのことを呼び捨てにしない」、「きちんと『〜〜さん』『〜〜くん』って呼び合う」ということが決められていたそうです。……でも、その割には、僕がお迎えに行ったら、子どもたちがワラワラと寄ってきて、「おい!しんたろうが来たぞ!」「しんたろう!なんで前髪だけ金色なんだ!」って、僕のことは呼び捨てだったんですけどねぇ。パパは例外なのかもしれません。
でもまぁ、たしかに、そういう“名前”“呼び名”に関する扱い方というのは、少なくとも僕が子どもだった頃よりかは丁寧になされているんだなぁと思わされました。そんなルール、僕のときには無かったですからね。ニックネームで呼び合って、親しく、フレンドリーに接する――よりも、その前に、相手が「嫌だな」と思うような呼び方はしない、というほうに重点が置かれているということなのかもしれません。

そのように、ニックネームとかあだ名で呼ぶことは、もちろん、それが良い方向に転じれば、心の距離が縮まって、より親しくなれるのかもしれませんけれども、しかしその一方で、悪い方向に転じれば、相手の心に土足で踏み込むことになって、ややもすれば、その相手の人のことを支配する(独占する)ということにも繋がりかねない……。そういう危険性を秘めている行為でもある、ということを覚えておく必要があるように思います。

「クリスチャン」という名称
 さて、本日の礼拝のために選んでまいりました聖書の箇所。今回は、使徒言行録11章19〜26節というところをお読みいただきましたけれども、この箇所にも、一種の「あだ名」のようなものに関して書かれていました。26節の最後のセンテンスですね。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」
 ここに、「キリスト者」という名称が書かれていますよね。英語では、「クリスチャン(Christian)」。この使徒言行録という書物が書かれた元々の原語であるギリシア語では、「クリスティアノス(Χριστιανός)」という言葉が使われています。「キリストの」とか「キリストの人」というような意味の、言わば“造語”ですね。ニューヨークに住んでいるから「ニューヨーカー」。関ジャニ∞(SUPER EIGHT)のファンだから「エイター」――みたいな感じです。キリストを信仰しているから「クリスチャン」、日本語では「キリスト者」というように言います。
ただし、この「キリスト者」という呼び名。実は、どうも最初は、自分たちで使い始めた名前ではなかったみたいなのですね。これは諸説あって、確実なことは言えないのですが、どうやら、イエス・キリストの信奉者たちのことを「キリスト者」と呼び始めたのは、その当事者たちではなくて、周りの人たち……、つまり、イエス・キリストを信じていない人たちだったようなのですね。
「なんか良くわからんけど、最近うわさのアイツら、いるだろ?ほら、あの『キリスト、キリスト』ばっかり言ってるヤツら。ありゃ、一体何なんだろうなぁ」というような感じで囁かれているうちに、いつしか、「キリストの人」、もっと下品に言えば、「キリスト野郎」みたいな意味で、「クリスティアノス(Χριστιανός)」という呼び方が、人々の間で広まっていたのだろうと思われます。
それは、もしかすると、親しみを込めた“愛称”だったかもしれないし、逆に、嫌悪や不信感から付けられた“蔑称”だったかもしれない。これは、もうもはや当時の人たちしか分からないことなのですけれども、しかしいずれにせよ、おそらく、この「キリスト者」「クリスティアノス(Χριστιανός)」という呼び名は、最初は、外部の人たちから呼ばれ始めた、一種の「あだ名(ニックネーム)」のようなものだった――ということを、まず抑えておいていただければと思います。

「キリスト者」という名前を自分たちのものに
 では、それに対して、当の「キリスト者」たち自身はどう受け止めたのか。答えは、この26節の中にあります。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」これが、この日本語に翻訳された文章ですけれども、実はこの翻訳、間違っているのです。正確に翻訳するとこうなります。「このアンティオキアで、弟子たちを初めてキリスト者と呼んだ。」……「呼ばれる」という受け身(受動態)ではなくて、「呼んだ」、能動態で書かれているのですね。自発的、ということです。つまり、彼らは自分たちで、自分たちのことを「キリスト者」と呼ぶようになった、ということなのですね。
彼ら、イエス・キリストの信奉者たちは、周りから「キリストの人、キリストの人」と呼ばれていた状況を、最初は、そんなに好ましいものだとは感じていなかっただろうと思います。勝手に“あだ名”を付けられるのって、大抵の場合は、あんまり嬉しくなかったりしますからね。
でも、イエス・キリストの信奉者たちは、そうやって周りの人たちから付けられた“あだ名”を、後に、自分たちのものとします。彼ら彼女らは、自ら、「そうです、我々はまさに『キリストの人』、『キリスト者』です」と自称するようになったのですね。そして、そうすることで、周りの人たちはもはや、蔑称として「キリストの人、キリストの人」とは言いづらくなった。だって、本人たちが胸を張って「自分たちは『キリストの人』です」って言っちゃっているわけですからね。公式がそれでOKと認めてしまったがゆえに、アンチはもう、ぐぬぬ……と言いながら、手を引っ込めるしかなくなったということです。キリスト教という宗教には、こういう“何かをひっくり返す力”、マイナスをプラスに転換する力があります。この「キリスト者」という呼び名に関するエピソードは、まさに、そのようなキリスト教が秘めている“何かをひっくり返す”力を象徴しているお話だと僕は思うのですね。

おわりに
 今でこそ、キリスト者(クリスチャン)と呼ばれる人々は、世界中に何十億人といるわけですけれども、当時は、小さな小さなコミュニティでした。圧倒的マイノリティだったのです。でも、そのようなアイデンティティを肯定的に受け止めて、「そうだ、自分は『キリストの人』だ。それで何が悪い!」と認識を改めたときに、彼らは、うつむいていた顔を上げ、未来へと一歩、進み始めることができるようになったのだろうと思います。
名前というのは、その人の存在そのものを表す大切なものです。誰かのことを、ニックネームなど特別な名前で呼ぶときには、尊重の思いと愛情の気持ちをもって、呼んであげたいものですね。そして何より、自分が普段使っている名前、また周りから呼ばれている名前、いろいろありますけれども、それらの名前が表している「自分」という人間を、誰よりも愛して、かけがえのない存在だと肯定してあげられる……、そういう心を持つことができるよう、これからの日々の中で、ご一緒に養い、培っていくことができればと願っています。
……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。     (チャプレン 柳川 真太朗)

【ガラテヤの信徒への手紙 3章28節】
3:28  そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

✝  ✝  ✝

皆さんは、将来何になりたくて、この柳城学院で学んでいらっしゃいますでしょうか?もちろん幼稚園の教諭や保育士として働こうと考えて柳城にいらっしゃった人は多いのでしょうね。しかし、わたしたちの人生の歩みには、いろいろな顔があります。大学生として過ごす顔、

わたしは、名古屋柳城女子大学・名古屋柳城短期大学のチャプレンですが、附属幼稚園である、三好丘聖マーガレット幼稚園のチャプレンもしています。柳城の附属幼稚園のチャプレンは、皆さんが生まれる前、1997年からしていますが、その間、保育園の園長をしたりしているのでずっと続けてチャプレンではないのですが、幼児教育には牧師になる学校を、終えた1987年からずっと携わり続けてきています。でも、これはわたしが大学生になったときに思い描いていた、わたし自身の将来像とは大きく違うものです。

わたしは1984年に大学に入学をしたのですが、教会の皆さんからの牧師になったらという期待には応えずに、父親の後を継いで、政治家に、代議士になるために大学での学びを始めました。学問を修めるというよりも、将来へのコネづくりで大学生活を送っていたように思います。ですから、学校には顔を出しますが、講義への出席よりも、サークル活動や友人づくりに精を出していました。学校にいないときには、自由民主党という政治団体の学生部に所属して、当時わたしは法務大臣の私設秘書として、派閥の地方議員の選挙運動や、今問題になっている、政治資金を集めるためのパーティを開催しながら、毎日を送っていました。
自分で望んでそのような毎日を送っていたのかというと、そういうわけではありません。わたしはトランス女性ですが、当時は男性として生活をしていました。本当の自分は隠し続けて、死ぬまで男性として、政治家として人生を送らなければならないのだと、あきらめていたのですね。

今日聴きました聖書の箇所は、ガラテヤの信徒の手紙3章28節の箇所でした。この箇所は、最初期のキリスト教会で使われていた、「洗礼を受けるときの信仰表明」、つまりわたしはこれこれこういうことを信じて、そのような世界を実現するために働いて行きますよという決意表明の文章からの引用の部分だと言われています。
パウロという人がこの手紙を書いていますが(50年代中頃)、ガラテヤにある幾つかの教会に回覧板のようにして書き送った手紙をまとめたものです。イエスさまを信じることで、当時のこう生きなければならないとユダヤ人が信じていた、とても厳しい規則「律法」から解かれて、わたしらしく命を光り輝かせて生きて良いのだということを確認するために、28節で言われていたように、ユダヤ人もギリシア人もなく(人種差別、民族差別の否定)、奴隷も自由な身分の者もなく(民族差別の否定)、男と女もありません(性差別の否定)と、語られているのです。それは、当時のキリスト教会が自分たちの集まりの特徴をあげて、他のグループとの違いを明確にするための決意表明だったのです。引用されたこの決意表明は、もともとは

「あなたがたは皆、神の子たちです。なぜなら、キリストの中へと洗礼を受けた人たちは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。なぜならあなたがたは皆、一人だからです。(ガラ3:26-28) 」

というような内容だったようです。
イエスさまが宣べ伝えた神さまを信じて生きる生き方は、民族や身分、性別の違いを問題にすることはなく、様々な違いを超えて平等で公正な集まりを造っていこうとするものでした。様々なしがらみや、こうあるべきと云う押しつけから自由になっていて、自立した一人の人として、自分の人生の選択をして、決断をして歩んで行って良いのだと、神さまから召された、招かれているのです。だからわたしはこう生きなければいけないという決めつけを跳ね返して、頂いている命を光り輝かせて、互いに愛し合いながら、わたしはどう生きてこの世界が正義と平和に満ちた世界になって行くように生きてゆくことが大切なのだと言われている箇所なのです。わたしたちの可能性は閉じられているのではなく、開かれているのだと励ましてくれているのです。
ですからこの言葉は、民族・身分・性別などの違いによって差別され、生き方を抑圧されていることに痛みや憤りを感じ、その世の中に抗って生きようとする人々にとって、大きな支えと励ましになったので、当時のキリスト教に人々が集まり、次第に多くの人に影響を与える集まりになって行ったのです。

実はわたしたちが読んでいる新共同訳聖書では、「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。」と訳されています。最初の二つは確かにユダヤ人も、と訳すのですが、三つ目の「男も女も」は、正確には「男と女もありません」と訳すべきなので、実はあまり正確な訳ではありません。2018年に「聖書協会共同訳聖書」という新しい翻訳が出ましたが、その訳では「男と女もありません」と正確に訳されています。では、「男も女もありません」と「男と女もありません」ではどういう意味の違いがあるのでしょうか?

ここで注目したいのは「男と女もありません」の「男と女」は、一般的に使われる「男性(アネールνηρ)」「女性(グネーγυνή)」という言葉ではないことです。ここでは、創世記の創造物語「神は人を男と女に創造された」(創1:27)で使われたのと同じ、「オス(アルセーンρσεν)」「メス(セールスθλυ·)」という言葉が使われています。つかり、女性差別や男女の格差を解消よりさらに踏みこんで、「男(オス)と女(メス)」で「一対」という概念も乗り越えて一人一人の大切さが宣言されているのです。
これは、「男と女」で「一対」として生きる抑圧に縛られずに、女は結婚して子どもを産まなければというプレッシャーから解放される福音だったのです。子どもを産めない・産まないことで、「女」である自分を後ろめたく思う必要もありません。
この宣言は、女はこうあるべき、男はこうあるべき、というジェンダー規範で縛られて生きにくくされていた、同性に魅かれる人々や、トランスジェンダーの人々などにとっては、まさに大きな自己肯定として響いたのでしょうょう。様々な社会・文化規範に順応出来ない、したくない人々にとって励ましの宣言だったのです。

当時のキリスト教会はとても小さな集まりでした。その小さな集まりが、世界に拡がる集まりになっていったのは、「こうでなければいけない」と思い込み、命を光り輝かせることが出来ずにいた人々に、そうでなくても良いのだという励ましを与えて、命を光り輝かせて歩む力になったからだったのだと思います。わたしたち一人一人が自分の人生を縛られることなく自由に選び取って行くことで、それは素晴らしい多様な世界が実現していくのだと宣言をした集まりだったからこそ、多くの人たちが集まってきたのでしょう。残念ながら、今、キリスト教会は「こうでなければいけない」と語る集まりになってしまっていますが…。

皆さんがこの柳城学院での学びを深めてゆくときに、「こうでなければならない」と思い込んでいるしがらみを越えて、わたしたちがどうしたらお互いに仕え合って、助け合って、愛し合って、この世界を平和で正義に満ちた世界へと変えて行けるのかを、今日の聖書から聞いて参りましょう。ご一緒にしがらみから解放されて命を光り輝かせて歩み始めましょう。           (チャプレン 後藤香織)

【マタイによる福音書 第6章25~34節】
6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

✝    ✝    ✝

 今日の箇所で、イエス様は言います。

空の鳥をよく見なさいと。種を蒔くこともしない。刈り取ることもしない。倉を作って収めることもしない。しかし、天の父、すなわち、神様は、鳥を養ってくださっているではないか、と。だから、何を食べようか、何を着ようかなどと、思い悩む必要はない、と言われます。神様がいつも私たちを養ってくださる、守っていてくださる、だから、思い悩む必要はない、ということです。
この箇所は、何を食べようか、何を着ようかなどと、贅沢なことは考えず、与えられたもの、すでに持っている物で、質素に暮らそう、というような、いわゆる清貧のススメ、という教訓として受け止められることも多い箇所です。しかしながら、この箇所は、一般的な教訓ということとは、異なる次元の意味を持っています。
ここでイエスが語っている相手とは、そもそも、そのような贅沢とは無縁の人たち、そもそも質素に暮らさざるを得ない、貧しい人たちでした。どんな人達がイエスの話を聞いているかというと、少し前の箇所に、次のように書かれています。
「人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊にとりつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので、これらの人々を癒やされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来て、イエスに従った。」
つまり、イエスの周りで話を聞いていた人たちとは、様々な病気や苦しみに悩む人たち、社会の中心から排除されてしまった人たち、貧しい人たちでした。彼ら彼女たちは、祝福された人生、恵まれた人生とは、縁遠い人たちでした。そして、自分のことを、神様の恵み、神様の祝福から見放された者だと思っていました。そんな彼らに語ったのが、今日の言葉でした。そんなわけですので、その人たちを前にして、もっと質素に生きようと語った、とは考えられません。彼らは、すでに十分すぎるほど、質素に生きています。おそらく着る物だって、そんなに持っていなかったでありましょう。

では、イエスがここで大事にしたいこととは、なんだったのでありましょうか。
空の鳥は、働かなくても生きている。それはどういうことか。それは、すなわち、働く人も、そして、働かない人、あるいは働けない人も、生きていていいのだ、ということです。
全ての人は、そもそも、神様によって造られ、神様によって、生きることが許されています。鳥がそうであるように、あるいは、野の花がそうであるように、働いても、働かなくても、何の条件もなしに、きちんと生活することができる、食べることができる、着ることができる、住むことができる、そのようにあるべきなのだ、ということです。
もちろん実際には、誰かが食べ物を収穫しなければなりません。しかし、自分の手で収穫しなければ食べてはならないということでもありません。例えば、こどもたちや高齢者がそうです。働かなくても、働けなくても、食べていかれるようにしなくてはなりません。それぞれの理由はどうあれ、全ての人は、仕事をしようがしまいが、生きていていいはずです。私達は働いていないことを理由に、この人は生きる資格がない、死んでも良い、などと言ってはならない、はずです。
種も蒔かず、働くこともなく、そんな鳥や花たちに対して、神様は、食べ物を与えない、雨を降らせない、などということがあろうか。同じように、あなたがたも、さまざまな理由で、社会から置き去りにされているかもしれないが、しかし、神様の目から見て、生きる資格がない、生きる意味がない、などと言うことは、ありえない、神様は全ての人を大切にされる、全ての人間は生きていてよいものとして神様によって造られたのだ。このようにイエス様は述べ、彼ら彼女たちを勇気づけたのでありました。

現代に生きる私たちも、イエス様が語られた言葉を、今、ここで聞いています。空の鳥を見よ、野の花を見よ、あなたも、生きていていいのだ、神様から大切にされているのだ、誰からも、生きる資格がない、生きる意味がないなどと言われてはならないのだと、イエス様は語りかけます。働かざるものであろうが、あなたは大切なのだ、ということです。

空の鳥を見るとき、野の花を見るとき、それらが神様によって生かされていることを思い起こし、私たちも、神様によって、無条件に、生きることが赦されているのだ、ということを思い巡らしながら、過ごしたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


フェイジョアの実

【ルカによる福音書 第6章27~36節】
6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
6:30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
6:36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

✝ ✝ ✝

 「敵を愛しなさい」という有名な言葉の少し前に、「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」、「上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない」とイエスは言われます。このことから、敵を愛する、ということは、全部相手の言いなりになることかと思われるかもしれません。怒りや憎しみなどをすべて押し殺して、相手に合わせることと思うかもしれません。

しかし、そうではありません。ここでイエスは、このような極端な言い方を通して、当時の人たちが思い込んでいた常識を揺さぶろうとしました。例えば、当時のユダヤ人たちの常識では、サマリア人は宗教的に穢れていると考えられていました。ですので、サマリア人を愛するどころか、彼らに接触すること自体もタブー、というのが当時の常識でありました。サマリア人以外にも、様々な人達のことを、憎むべき者たち、自分たちにデメリットをもたらす者たち、愛してはならない者たち、いわば敵として規定されていました。イエスが「敵を愛しなさい」というときの敵とは、このようにその社会から排除されている人たち、自分たちにデメリットをもらす人たち、というニュアンスを含んでいます。

私たちは、通常、人を愛するという時、その対象は、どうしても、自分によくしてくれる人、自分にメリットをもたらす人になりがちだと思います。

しかし、イエスの語る愛とは、自分にとってメリットがあろうがなかろうが、見返りがあろうがなかろうが、そんなことは関係なく、何の条件もなしに、他者を愛する、大切にする、というところにポイントがあります。むしろ、自分にとって都合が悪い人、デメリットをもたらす人をこそ、愛しなさい、大切にしなさい、と言われているわけです。

さらにイエスは、次のように続けます。 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」

人から何かしてもらったら、そのお返しに、自分もその人にしなさい、ではありません。人からなにかしてもらう、ということが前提となっていません。それでもなお、人にしなさい、ということです。何らかの見返りがあろうがなかろうが、メリットがあろうがなかろうが、自分がしてほしいと思うようなことを、人々にしなさい、ということです。

自分への見返りもなく、なんの条件もなしに、他者を大切にすることができるのだろうか、と思われるかもしれません。しかし、私たちの柳城が大切にしている保育こそ、実はそのようなものではないかと思います。保育の現場において、子どもたちからの見返りは期待していないはずです。この子が大人になったら自分にこんなことをしてくれるかもしれない、だから大事にしようとか、条件をつけることはないはずです。その子の将来がこうなるから、ではなく、目の前にいる一人ひとりのこどもを、そのまま大切にする、ということが、保育にとって重要な原則であろうと思います。

「敵を愛しなさい」と言われたイエスは、何ら見返りを期待することなく、目の前にいる人たち、とりわけ社会から排除されていた人たちに徹底して寄り添いました。当時の社会では一人前と見られていなかった子どもたちを、一人一人大切な人間として大事にされました。そして、十字架によって死に至らせた人たちをも愛されたのでした。神様は、イエスの生涯を通して、私たちに見返りを求めない愛を示されました。このような神様の愛の質を私たちは様々な場において大切にしてまいりたいと思います。 (チャプレン 相原太郎)


柳城祭2023

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