大学礼拝 2016/10/19
【ルカによる福音書 3:21-22】
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
今日は、先ず、洗礼についてお話しします。洗礼とはキリスト教の信者になるための儀式ですが、聖書には、イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたと記されています。水の中にいったん沈んで、そこから出てくる。今の教会でも、このような洗礼の方式を守っているところがあります。水に入ることで、今までの生き方に別れを告げることを宣言し、そして、水から出ることで、キリスト教の教えに従った新しい人生を歩むという決意を示すのです。白装束で洗礼を受けることが多いのも、そういった意識の表れです。
一方、洗礼式の際には、よく、ノアの洪水やモーセが海を渡る場面を記した聖書箇所が読まれます。不信仰な者たちは洪水に流され、キリスト教に敵対するものは海水に飲み込まれる。つまり、これらはキリスト教に従う者だけが生き残ることを象徴していて、洗礼の意味を語るには都合がいいわけです。
さて、今までの生き方に別れを告げると言いましたが、そのためには自分自身の個性を知る必要があります。個性といっても、たいていは他人と自分を比べることで分かることが多く、従って相対的なものになりがちです。たとえば動作が遅いという性格は、見方によっては、セッカチでなくてユッタリしているというプラスの面で評価されることもあるわけで、何が良いか悪いかは一概には決められません。しかし、一般的には人は自分を悪く思いがちです。
私も自分自身を振り返ってみて、10代20代の頃に比べてずいぶん変わったなと思います。皆さんも社会に出る前に自身を振り返り、できるだけ自分を高めておいて欲しいと思います。(チャプレン)
ポーチュラカ