大学礼拝 2017/7/12「人生で最後の言葉」
【ルカによる福音書 23:32-35、43-46】
23:32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
23:33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
23:35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
…
23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
人が死ぬとき最後にどんな言葉を残していくのでしょうか。6月22日、乳がんのため34歳で亡くなった小林麻央さんは最後に夫の市川海老蔵さんに「愛してる…」と言って、息を引き取ったとのこと、この言葉は多くの人々の心を打ちました。
「苦しい、早く死にたい、殺してくれ!」「お母さん!」「死にたくない!」 意識がはっきりしている人は、このような言葉を残していったかもしれません。声が出ない、出せない人は顔の表情で思いの一部を現わしていったことでしょう。
4年前、わたしが大阪で主教として働いていた時、一人の牧師(わたしの2歳上の司祭)が救急車で病院に搬送されました。数日後、一つの決断を迫られる状況になりました。手術をすれば回復する可能性はあるが、このままにしておけばあと一週間しか生命は持たないと宣告されたのです。彼は病床に付き添うお連れ合い(妻、奥さん)に、手術をする決断を伝え、彼女もそれに同意しました。そして、彼は「この40 年間、本当によく僕を支えてくれたね。ありがとう!。ひょっとしたらもう話せなくなるかもしれないし、これが最後になるかもしれないからね。」と優しい微笑みを浮かべて彼女にそっと手を触れ、感謝と別れを告げ、手術に向かいました。わたしは二人の近くに立っていましたので、胸が締め付けられ、目頭の熱くなるのを覚えました。手術後、昏睡状態のまま意識は戻らず、3ケ月後に召されました。お連れ合いへの言葉が最後の言葉になってしまいました。もし自分だったら、どうしただろうかと改めて考えさせられました。
ではもし、あなたがそのような立場に立ったとしたら、どんな言葉を残していきますか。想像できないかもしれませんね。そんなこと、わたしにあるわけがないと思っていませんか。特別、カッコいい言葉を残せないでしょうし、何を言おうかなんて考える余裕もないかもしれません。その人が常日頃、心のうちに大事にしている思い、本音が、その時、自然に口をついて出てくるのではないかと思います。相手の本心がわかるのがその時なのかもしれません。そうだとすると、ちょっと恐ろしい気もします。
三浦綾子さんは自伝「明日をうたう」(亡くなった1999年[平成11年]、77歳の年・刊行)の中で「遺書は二通書いた。…要約すれば、「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉だった。人間の生活はつきつめれば、誰しも感謝と謝罪の二語に尽きるのではないか。それが人間のあるべき姿と言えるかも知れない。」と言っています。
わたしは朝出かける時やどこかへ主張する時、妻に必ず心を込めて「行ってきます」と挨拶します。その時いつも「これが最後の言葉になるかもしれないな」と思うからです。ですから、時々「これが最後の言葉になるかもしれないね」と言います。そして本当にそうだったとしたら、それはそれでとても素晴らしいのではないかと思っています。
また、わたしは毎晩寝る前にお祈りをします。こう祈ることによって、もし仮に、そのまま目が覚めなかったとしても、何も思い残すことはないからです。「神様、きょうも一日あなたのみ守りのうちに、過ごすことができ感謝いたします。今日もし人々との関わりの中で、気づかずに犯した誤りがありましたら、どうぞお赦しください。わたしの中にいつも人々を思いやる心と、赦すことのできる本当の愛をお与えください。すべての人々に今夜も安らかな眠りをお与えください。主イエス・キリストのみ名によって アーメン。」
さて、聖書にはイエス様が十字架の上で最後に言われた言葉がいくつか記されています。「父よ、彼らをお赦しゆるしください。自分が何をしているか知らないのです。」(ルカ23:34)
無実のイエス様を十字架につけ、殺そうとしている人々に対して、神様にどうか彼らを罪に定めず、罰せず、赦してください。彼らは自分が何をしているかが見えていないのです、気づいていないのです、わかっていないのです。こう言って父なる神に赦しを願っておられます。また、自らの非を認めた死刑囚には「はっきり言っておく。あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23:43)神があなたを赦してくださり、わたしと共に天国への道を行けることを約束されました。そして「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)、あなたがわたしに託された任務は終わりました。「 父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)安心して私のすべてをあなたにおゆだねいたします。こう言って息を引き取られました。
イエス様は最後の最後まであらゆる人々に心を寄せられ、彼らの幸せを願い、祈り、行動されました。
わたしたち一人一人は、神様からたった一つの掛け替えのない、尊い命を与えられ、多くの人々に愛され、励まされ、支えられ、こうして共に生きてこられたことを感謝する思いを常に持って歩んで行きたいものです。 (チャプレン 主教 大西 修)
ロベリア