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マルコ通読⑯ 9:2-9:13(2018/5/30)

カテゴリー:活動記録

今日はマルコ通読十六回が行われました。

今回心に響いた御言葉は…
イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱しめを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」(マルコによる福音書9:12~13)

イエスはぺトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子たちを選び、共に高い山に登られました。そこでは、弟子たちが想像し得ない光景が展開します。すなわち、イエス、エリヤ、モーセの三人が目映いばかりの光の中で会話をするのでした。

その中でもイエスの御姿は言葉ではあらわせないほどの輝きに包まれ、光に満ち溢れていました。「これは私の愛する子、これに聞け。(9:7)」
神はイエスに使命をお示しになり祝福を与えられました。

そしてイエスは、弟子たちに洗礼者ヨハネをエリヤになぞられ、人間たちが行ったヨハネに対する迫害の道のりを示されました。また、その後に続くイエスご自身の十字架へのかん難もお伝えになられました。

今回の通読では、マラキ書、マタイによる福音書の記事も合わせ理解を進めることが出来ました。今回の箇所はマルコによる福音書の中でも、イエスの救世主としての御姿を決定的にあらわす場面であると感じます。

バイブルタイムでは、記事を多面的に学ぶことが出来ます。その度に私はイエスが旧約聖書を熟知なさっていたことや、その理解の深さにただ驚くばかりです。

三人の弟子たちは神からの使命を与えられたイエスの光、真実の御姿をどれくらい理解出来ていたのでしょうか。山を下られたイエスは再び群衆の中に入られます。

次回のバイブルタイムでも御言葉をとおし、イエスの十字架への御姿を学んでいきたいと思います。


ミニトマト

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