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マルコ通読28(マルコによる福音書12:18-34)2018/11/9

カテゴリー:活動記録

今回心に響いた御言葉は…

イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。(マルコによる福音書12:24~27)

イエスは出エジプト記3:6の言葉をお使いになり、かたくなに復活はないと考えていたサドカイ派の人々を論破されました。その言葉を有する「モーセ五書」のみを信条とするサドカイ派を、「聖書も神の力も知らないから」とバッサリ切り捨てられたのです。

それは「あなたたちは、この世の道理にこだわり過ぎるあまり、神の国を見失っている」と警告を与えるイエスの真の愛である、と私は感じました。

今回私は「モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。」という箇所を読み解く上で、とても腑に落ちる解釈を与えていただきました。それはイエスの思考と同じく斬新で単純明快でした😊✨

死んで影も形も無いものに対して「~の」という言葉は使わない。つまり「私はアブラハムの神である」という言い方は、アブラハムは神の国で復活して生き続けていること示している。だから、イエスは次に「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」と、同じ意味のことを繰り返された…。

私はその解釈を聞き旧約聖書を隅から隅まで熟読されたイエスの御姿が重なり、はっきり浮かび上がった思いがしました。イエスは常に理性と深い見識より、この世のことでなく、永遠の命を手にできる神の国の話をされています。

次回もイエスの御姿より、その道につながることの意味、喜びを学んでいきます。


柳城祭とヒマワリ

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