マルコ通読36(マルコによる福音書14:27〜42)2019/1/25
今回心に響いた御言葉は…
一同がゲツセネマという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのぞけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコによる福音書14:32〜36)
イエスは十字架へと進まれる直前、弟子たちを伴われゲツセネマへと向かわれました。そこでイエスはお一人、弟子たちから少し離れた所で、父である神に祈られたのです。
何とその時、この世の人々が救世主と期待するイエスであっても、自身では逃れようのない苦悩を「死ぬばかりに悲しい」と嘆かれました。
十字架の直前、イエスは弟子たちに「人間イエス」を見せることで信仰のあるべき姿をお伝えになられたのでしょうか。
私自身今回、解説を聞きながら福音記事を深く読み取ることにより、子どもの頃から抱いていた「強く何でもできる方」であったイエス像を大きく転換させることになりました。
それは生身の人間イエスを知ることで、彼をより身近に感じられたと共に、私自身の肩の力が抜けてあたたかい感情や喜びが湧きあがった瞬間でした。
逃れられない「死」という使命を取り除いてくださいと、イエスはその弱さをあらわにして神に懇願されました。しかし、その直後、彼は神への全き信頼を示して「御心に適うことが行われますように」という謙遜な祈りを捧げられるのです
私はそのお姿こそ、真の信仰者、真のメシアであると感じます。
人生には不安や恐れ、苦しみが伴いますが、私はそんな時、イエスのこのお姿を思い出して、ひたすら神に祈ることが出来る人間は本当に「幸せ」であると思うのです😊✨
イエスの道は続きます。
次回もまなざしを深くして、真摯に学んでいきます。