始業礼拝「オアシスにつながろう」2019/3/22
【ヨハネによる福音書4章14節】
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」
昨年のクリスマスに皆さんにお渡しした「ちゃぺるにゅーす」の巻頭言に、「オアシスの原点」というタイトルで、短いメッセージを載せましたが、読んでくださいましたか?
「オアシス」とは広大な砂漠の中に水が湧き出て、樹木が生えている緑地のことです。転じて「慰めと安らぎを与えるところ」という意味にもなります。
創設者マーガレット・ヤング先生は、柳城がオアシスとして名古屋の地でその役割を果たすことを、切望しておられたに違いありません。ここでいう柳城とは地理的な場所や建物を言うのではなく、柳城の働きに関わるすべての人々、幼子はもとより、教師、保育者、職員、学生とその親たち、卒業生、そして教会の信者さんたちなどを指します。
旧約聖書の詩編23編の中で、イスラエルの偉大な王であったダビデは「主は羊飼い、・・・主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」と歌っています。
柳城は今年創立121周年を迎えますが、現在オアシスとしての役割を果たしているでしょうか。羊飼いである神さまに導かれ、その呼びかけに答え、その愛に育まれた信仰を携えてカナダからはるばる来日されたヤング先生は、神さまが与えてくださる愛の水(命の水)が湧き、緑豊かな木々の息吹きが、多くの人々に清らかで暖かな心を与えるような柳城の成長を願い、30余年間を名古屋の柳城で全身全霊を注いで働かれました。
一昨年末亡くなられたノートルダム清心学院理事長の渡辺和子シスターは、オアシスの頭文字をとって次のように言っています。「オ」は「おはようございます」の「オ」、「ア」は「ありがとうございます」の「ア」、「シ」は「失礼します」の「シ」、「ス」は「すみません」の「ス」です。「おはようございます」、「ありがとうございます」、「失礼します」、「すみません」は、この砂漠のような時代に、人が人として生きていく上で基本的な挨拶の言葉です。
柳城がオアシスとしてその役割を担っていくためには、「おはようございます」、「ありがとうございます」、「失礼します」、「すみません」が、誰の口からもごく自然に出てくるような、そんな心があふれていることが大切です。そのためには、まず皆さんがそれぞれの家庭の中で、このオアシスの言葉が日々交わされるように、皆さんから率先して始めてみてください。そして柳城の中でも改めて今日から始めましょう。皆さんが笑顔をもって、明日のオープン・キャンパスに訪れる人々に、そして4月2日の入学式の日に新入生に進んで声を懸けましょう。それを何か照れくさいと思ったり、仰々しいと思う人がいたとしたら、多分その人は日ごろからオアシスを習慣にしていないのではないでしょうか。今年も幼稚園、保育園、こども園、児童養護施設、養護老人ホーム、障碍(がい)者支援施設などに実習に行きます。その時、忘れず率先してオアシスを使ってみてください。勿論、一年後、卒業し社会人として働くことになるどのような職場にあっても同じです。オアシスは目上、目下の区別なく、誰に対しても大切なものだからです。
慰め、安らぎ、憩いを与えるオアシスとして、わたしたち(柳城)が人々と関わる時、そこに一人一人を大切にし、生かしてくださるイエス・キリストの愛が、目に見える形で「愛をもって仕える」具体的な姿として実現しているのです。
イエス・キリストがおられるところがオアシスです。クリスマスのお話では、社会の片隅で貧しく、卑しい人間として蔑まれていた羊飼いたち、そして異邦人でありながら、遠路はるばる救い主を訪ねてやって来た占星術の学者たち、その人たちにとって辿り着いたイエスさまがお生まれになったベツレヘムの家畜小屋こそオアシスでした。
クリスマスの出来事は、わたしたちは勿論のこと、全世界中の人々にオアシスの素晴らしさを告げ知らせます。オアシスの原点こそ、神さまであり、その神さまがわたしたちにお送りくださったイエスさまなのです。わたしたちに慰めと安らぎと憩いを与えてくださるイエスさまは、悲しむ人、多くの悩みを持っている人、貧しい人、愛に飢え渇いている人、心と体に病を負っている人のオアシスとして、この世界に来られたのです。
昨日、マリナーズのイチロー選手が28年間にわたるプロ野球選手への引退表明をしました。連続10年間、200本安打、最終安打数4,367本という大記録はたぶん誰も抜くことはできないだろうと言われています。彼がインタビューに答えた言葉は素晴らしいものでした。「何の後悔もありません。ほかの人と比べることはできませんが、自分として精一杯頑張ってやってきましたから。」
わたしたちもこの1年間、オアシスの働きの一端を担う者として、人と比べるのではなく、自分として精一杯努力して、与えられた道を進んでいきましょう。 (チャプレン 主教 大西 修)