バイブル✝タイム シェア4「人生の目的」2019/4/9
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)
「人間をとる漁師」とは罪人を招く人のことをあらわしています。この当時、律法学者らが決めたこと細かな規則(律法)を守ることが信仰の上で大切とされ、この律法を守れない人は罪人と呼ばれ蔑まれていたのです。
イエスは、それら弱い立場に置かれている民衆を束縛の痛みから解放するため、世に遣わされました。
ペテロ、アンデレ兄弟はすぐに網を捨てて従い、ヤコブ、ヨハネ兄弟も父やその雇い人を残しイエスに従って行きました。
彼らのこの純朴な姿は、現代の私たちに大切なヒントを与えてくれていると思います。彼らはイエスと初めて出会い、イエスを感じ、イエスのみを信じ頼る人生を選んだのです。
クリスチャンはイエス・キリストの愛の実践を目指して生きる人間です。それは常に進歩し続ける人間であることを意味します。人間の人格形成には、その芯となる基礎が重要です。クリスチャンはその基礎をイエスの生き様に置きます。イエスを知れば、自然に人生が死ぬまで前向きになります。
イエスは常に弱者の味方でした。だから今回私は、イエスに魅かれる人は日頃から自分の弱点を知っている「弱い人間」であることを知りました。「宗教などに頼る人は弱い人間だ」と思っている人がいますが、それは確かにその通りです。でも、弱いからこそ、イエスに頼って向上し続けるのです。それに、「宗教に頼らない人」よりは世間に流されずに自分自身を強く感じて生きて行けるような気もします。
宗教を持たない人であっても、イエスの人生を福音書から学ぶことによって、イエスそのものの息づかいを感じ取り、生きていく糧を得ることが出来るのではないでしょうか。
それはその人だけに見える、光り輝く喜ばしい強さ、つまり「真理」であると感じました。(Y)