バイブル✝タイム ルカ通読2【1:13~38】2019/9/24
今回私は、すべては神のご計画の手のうちにあるのだということが理解できました。それは洗礼者ヨハネ、そしてイエスの誕生においても…。
記事では、前回にひきつづきヨハネの誕生物語が記されています。またマリア受胎の場面が、その後に続きます。
ルカは旧約聖書の記事(民数記6:3、マラキ書3:23)を引用することにより、ヨハネを神に遣わされた特別な人間だと強調しています。つまり、民にイエス・キリストに耳を傾けさせる準備をした人間、民に神への信仰に心を向けさせた人間と記しているのです
ヨハネは民が待ち望むメシアの先駆けとしてあらわれました。イスラエルの民が待ち望んでいた救世主がいよいよ、この世にあらわされるのです。特別な人間、ヨハネを遥かに超えた存在が。
後半ではクリスマスの時期ページェントでもお馴染みのガブリエルとマリアの受胎告知の場面が続きます。
マリアは夫と離れて暮らす婚約の期間に、イエスを身ごもります。それは世の負い目を追って生きるマリアへの試練、また福音でもありました。
天使の言葉を信じず、ヨハネが生まれるまでの間、罰として「沈黙」を余儀なくされたザカリアと同じく、はじめは天使の言葉に戸惑ったマリアでしたが、最後は、神から与えられた使命を「お言葉どおり、この身に成りますように。」(1:38)と受け入れたのでした。
私は今回の記事を通して、信仰には、福音の前では「沈黙」し、神のご計画に生きる謙遜さが常に重要であると感じました。それは、私たちがイエス・キリストに少しずつでも近づくことが出来る唯一の方法であると思います。
ザカリアもエリサベトもヨハネも、そしてマリアも、そうやって生きていました。福音書は常に、私たちにその姿を通して学ぶよう促しています。
次回もイエス誕生の記事を通して学びます。救世主を待ち望んだ当時の民と、現在の私たちが同じ思いで繋がっていることを感じながら。(Y)