大学礼拝「結婚の準備の話」2019/10/8
【コリントの信徒への手紙一 13:1-7】
13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
「結婚の準備」って、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、「結婚式の準備」と言えばすぐいろいろなことが浮かんできます。when(いつ)、where(どこで)、誰とは当然決まっていますが、どのような結婚式をするのか~結婚式の形式(キリスト教式、神式、仏式、人前式等々)、女性ならウエディングドレスにするのか白無垢の和装にするかで迷います。結婚指輪は? そして披露宴はどうするのか、だれを招待するのか、引き出物は何にするのか、さらに新婚旅行はどうするのか、もし行くとしたらどこへ行くのか、そのようなことが「結婚式の準備」に付随するものです。もっと大切なことは住まいの問題、どこに住むかということがあります。これらは具体的な目に見える結婚式に関連する諸準備と言ってもいいかもしれません。
わたしが今ここで「結婚の準備」としてお話しする重要な点は、結婚する二人のこれからの結婚生活に備えての「心と体の準備」の話と言ってもいいと思います。
牧師としてこれまで50年間に、たくさんの結婚式の司式をしました。「結婚式をしてください」と言って飛び込んできた二人に、「いいですよ」と言って、無責任に式をすることはありません。結婚式を挙げる条件として、リハーサルを含めて最低3回、二人で揃って準備に来ていただくことを守ってもらいました。それは、浮ついた気持ちではなく、結婚するってどういうことなのか、わたしたちはなぜ結婚するのか、二人は本当に結婚するのにふさわしいパーソナリティーを備えているか、「愛してるよ」って簡単に言うけれども、「愛する」ってどういうことなのか、二人は本当に愛し合っているのだろうかといったことを、結婚前に冷静にしっかり見つめ直してみること、そして夫婦生活において重要なセックスについての問題などについても話し合う時間を持ちました。
結婚式の中では、次の「誓約」いわゆる「誓い」が交わされます。「神の定めに従って、わたしはあなたを妻(夫)とします。今から後、幸いなときも災いのときも、豊かなときも貧しいときも、健康なときも病気のときも、あなたを愛し、あなたを敬い、あなたに仕え、あなたとともに生涯を送ります。今、これを約束します。」
この誓約の根底には神の愛があります。神の愛を信じ、それに基づいて誓約がなされるのです。最初に読まれたコリントの信徒への手紙1 13章の「愛」についてのパウロの言葉は、イエス・キリストが具体的に見せてくださった神の愛が語られています。
わたしたちには無い豊かな神の愛をしっかり見つめ、それを信じて生きていく時、わたしたちの中に、神の愛のしずくが注がれるのです。そして誓約の言葉が単なるお題目ではなく、リアリティーを持ったものとして二人の心と体に満ち溢れます。
今でも忘れられない思い出の結婚式があります。披露宴が終わり、出口で新郎新婦が皆さんをお送りした後、新郎の友人たちが新郎を胴上げしました。しかし勢い余って新郎を床に落としてしまったのです。大腿骨骨折で即入院となり、ヨーロッパへの新婚旅行はお預け、スーツケースを持ったまま、3週間の入院生活(新婚生活)を余儀なくされました。しかし、無事退院した後、二人はわたしのところにやって来て、「とても良い結婚準備をしていただき、その上、結婚式の中で交わした誓約どおり、本当の愛とは何かを身をもって体験できた、何ものにも代えがたいこの度の出来事でした。神の愛に守られて、これからも精一杯二人で愛を育てていきたいと思います。ありがとうございました。」と語ってくれました。現在、この二人は子どもたちにも恵まれ、幸せな家庭を築いています。
「わたしたちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。」(ヨハネの手紙Ⅰ 4:19)
(チャプレン大西 修)