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大学礼拝「結婚式に招待する人」2020/10/15

カテゴリー:大学礼拝

【ルカによる福音書14:13‐14】
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

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人を宴会に招く時、さらには、人になにかをする時、お返しを期待しない、見返りを求めない、というところに、今日聖書の箇所のポイントがあります。

私たちが、たとえば披露宴などを行うとき、何らかの利害関係者を招待するのが一般的だと思います。この人を招けば、あとで自分にこういうことをしてくれるのではないか、あるいは、この人たちに親切にしておくと、きっとみんなから尊敬されるのではないか、といった具合です。このように、一見相手のためにしているような事柄も、実は自分のためにしている、ということは、私たちの日常の中でよくあることではないかと思います。それは、相手と関係をもっている、すなわちダイアローグのように見えて、実は自分の中で物事が完結している、すなわちモノローグになってしまっている、ということでもあります。

柳城において大切にされている愛による奉仕の精神について考える時、相手に対して自分が期待するような見返りを求めることない、というところに一つのポイントがあるように思います。それは、たとえば、たとえば親が子を大事にするようなものです。親が子を大事にするのは、いずれその子が自分を養ってくれるから、といった下心があるからではないはずです。それは、保育や教育の現場などでも本来的には同じだと思います。

自分にとっては面倒だと感じる人に遭遇することがあると思います。できれば関わりを持ちたくないと思うのが自然かもしれません。しかしながら、そんなふうに、自分にとってメリットがないと思うときほど、言い換えれば、相手が自分にお返しができないと思うときほど、むしろ丁寧に関係を築いていきたいと思うのです。

相手のためと言いながら実は自分のためにしている、あるいは、相手と関係を持っているように見えて実は自分の中で物事が完結してしまっている、そんな自分自身の殻から解き放たれよ、と神が招いてくださっていることを覚えたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


キンカン

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