大学礼拝 2016/4/6
2016年度より新しく就任された長縄年延 新学長に教話をいただきました。
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。【ヨハネの手紙一4:16】
私は大学2年生の時に、このマタイ教会で洗礼を受けました。当時の私は「生きる意味」について関心があり、大学の聖書研究会や名古屋学生センターで色々と議論したものです。その中で、社会的責任性とかキリスト者の生き方について学び、「自分の命が神から与えられたものである」という意識を持つようになったのです。この与えられた命をどう使うのかについて、聖書は「愛」という言葉で答えます。ギリシャ語の愛には「ストルゲー(家族愛)、「エロス(性愛)」、「フィーリア(友愛)」、「アガペー(真の愛)」の4種類がありますが、このアガペーというのがキリスト教では最も尊ばれます。たとえば、「信仰と、希望と、愛(アガペー)、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である(1コリント13:13)。」
一方、「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える(1コリント13:4-7)。」とも聖書には記されていますが、この「愛」を「自分」という言葉に置き換えて読んでみると、全部はとても実行できないなと反省してしまいます。ともあれ、キリスト教を信仰する者は実践者でなくてはなりません。日曜日に礼拝をし、月曜日から土曜日までは行動するのです。今年118年目を迎える柳城学院の創設者マーガレット・ヤングも、当時の日本の社会に何が必要かを考えて、保育の分野で実践をした方でした。
毎週水曜日のこの礼拝にぜひ参加して下さい。そしてできれば、日曜日に教会に出かけてみて下さい。そうする中で自分の目標とか生きる意味を考えるのです。学生便覧にも載せましたが、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる(マタイ7:7)。」と聖書が語る通りに、皆さんは何かをつかむことでしょう。(学長)