「今、柳城生に伝えたいこと」 大学礼拝 2016/9/21
【マタイによる福音書 9:9-13】
イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
【本日のお話は、日本聖公会大阪教区のサムエル大西 修 主教にお願いしました。】
皆さん、はじめまして。本日は、この教会の名前に使われている福音記者「マタイ」を記念する日で、何と、私の72歳の誕生日でもあります。私にはすでに孫が7人もいるのですが、その中の一番の年長者がちょうど皆さんと同じくらいの年齢ですので、その孫に話すつもりで進めたいと思っています。
子どもの頃から柳城とは深い縁があることもあって、私はこの柳城が大好きです。私自身は聖公会の幼稚園での卒園生ですし、今の役目が与えられる前は、この教会の司祭をしていましたので、柳城短大のことは良く知っています。私の兄弟姉妹の中にも柳城の卒園生や卒業生がいますし、昔は、父親が柳城のチャプレン、祖父が柳城の理事長をしていました。妻は柳城を卒業して幼稚園で勤めましたし、初恋の人も柳城の実習生で名前は今でも覚えています。
その当時の柳城の学生総数は2、30名程度で、ほとんどが寮生活をしていましたので、全員が仲良しで、教員も生活面での面倒見がよかったです。ホーキンス先生、坂東先生、近藤先生、林先生、高橋先生など、本当に懐かしいし、楽しい思い出が一杯あります。当時の先生方は、本当に学生のために骨身を惜しまずに働いておられましたが、実は、私にとっては怖い方々でもありました。学生にも厳しい存在でしたが、それは愛を伴った厳しさでして、保育の勉学を根底で支える人間性の成長にとって必要だったのです。
渡辺和子さんをご存じでしょうか。彼女は修道女で、ノートルダム清心女子大学の学長もなさった方ですが、私はその著書が好きで、よく読んでいます。修道女になるための修業をアメリカでしていた当時、彼女は、テーブルに食器を並べている時に、人から「あなたはどんな気持ちでこの仕事をしているの?」と聞かれたそうです。そして、「この席に座る人の幸せを願いながら仕事をすれば、こんな小さなことにも意味が出てくる」ことを学んだそうです。日々の生活の中で「こんなことして何になる」と思うこともありますが、それでも前向きに、一つ一つの行動を大切にしたいものです。たとえば、通学できること、礼拝に出席できること、友人に会えることといった日常のありふれた場面で、はたして感謝の気持ちを持てているでしょうか。また、実習やボランティア活動などで、人の役に立とうとする際に「何々してあげた」という上から目線ではなくて「何々させてもらえた」という謙遜な気持ちが持てるでしょうか。心の動きは相手にすぐに伝わるものです。だから、仮に相手があなたの行動で不機嫌になった時は、自分の方に原因があると考えてみることです。喜びをもって何かするか、それとも単位欲しさにするかの違いは大きいです。
本日の聖書個所に登場するマタイという人物は、イエス様の弟子となって聖書を書き残すまでに成長するのですが、それ以前は、徴税人として、当時のユダヤ社会にあっては最も忌み嫌われる仕事に就いていました。本来は、当時のユダヤ社会を支配していたローマ人が税金を集めるべきところを、その代役を担っていたからです。そういう彼にイエス様は声をかけるのです。「わたしに従いなさい」と。イエス様はこの場面以外でも、人々から軽蔑され、差別されていた人に歩み寄ったことが聖書には記録されています。イエス様は神の子として、神の愛をすべての人々に示す使命を与えられていたのです。
この神の愛が柳城に今なお流れ続けています。短大の校歌では「幼き者は、神の愛子(まなご)」と、附属園の園歌では「イエス様の愛に育った私達」と歌われている通りです。この愛が実を結び、周りの人々を愛せるようになるのです。
愛に育まれた柳城の在学生だとの自覚のもと、自信を持って歩んでいただきたい。そして、柳城を支えてくださった人々への感謝を忘れないでください。
皆さんのご健闘をお祈りします。(要約:加藤)