大学礼拝 2017/4/5(保育科2年生)
【ガラテヤの信徒への手紙5:13-15】
5:13兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
5:15 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。
大西と言います。今年から本学のチャプレンとして務めさせていただきます。
さて、本学の建学の精神は「愛をもって仕えなさい」でしたね。これは今日の聖書にもありました。イエス・キリストの偉大な弟子であるパウロという人が、西暦55年頃と考えられていますが、今のトルコに住むキリスト教の信者に向けて書いた手紙に載せた言葉です。他にもパウロは「自由とはイエス・キリストを信じること」、「イエス・キリストは私たちを自由にした」と説いているのですが、今日は、この自由とか愛について考えてみます。
一般に、自由には「自分だけ」というイメージが付きまとうものですが、本当は人との関係性の中で感じるものです。たとえば、すばらしいお城があって、あらゆる食べ物とすばらしい衣装などが整っていたとしましょう。ここでは何の不自由もなく暮らすことはできますが、たった一人きりだとしたらどうでしょう。いくら裕福でも、毎日楽しいでしょうか。違いますね。それでは、奴隷みたいな使用人と一緒なら楽しいかというと、それも違います。やっぱり、自分を愛し理解してくれる人が一緒にいてくれる時に、はじめて豊かな自由を感じるはずです。自由とは、本来は協調とか調和の中で自分らしく生活する時に成り立つものなのです。先程紹介したパウロは、イエス・キリストを見習うことが自分らしく生きる秘訣だと説いたのです。
次に愛についてです。由美かおる主演の映画「同棲時代 今日子と次郎」に使われた主題歌の冒頭に「愛はいつも いくつかの過ちに 満たされている」というセリフがあります。この愛は、もちろんエロスの意味での愛のことですが、世の中に氾濫している愛のほとんどはこの種の愛で、人間の感情によって様々に変化する気ままで身勝手なものです。「惜みなく愛は奪う」とは、有島武郎が書いた評論集の題名ですが、人間の愛は、普通は、相手のものを奪い取る方向にエスカレートします。「お前を愛しているのに、何もしてくれない」と相手に不満を漏らす愛です。
でも、聖書が語る愛は、神が私たちに与えてくださる本物の愛です。その愛は惜しみなく相手に与える愛で、いつも他人が中心になります。それで、時には自分が損したり犠牲になることもあります。それでも愛なのです。
この本物の愛を実践した方がイエス・キリストで、彼は私たちを愛するがために十字架にかけられ見るも無残に死んでいきました。しかし彼はよみがえって、その愛が正しかったことを証明したのです。
「愛をもって仕える」の愛は、このような深い意味での愛です。私たちの生活を根本から変えることができる愛です。このような愛を成し遂げた歴史上の人物は大勢います。本学に籍を置く私たちも、そのような愛が実践できるよう祈り求めていきましょう。(チャプレン大西 修 主教)