大学礼拝 2017/5/31 『聖書ってどんな本?』
【テモテへの手紙二 3:15-16】
3:15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。
3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
聖書はキリスト教の正典であり、世界のベストセラーです。世界中で毎年3,400万冊以上が出版され(日本では21万冊)、2,500以上の言語に翻訳されています。まさに驚くべき数字です。わたしたちはその中の日本聖書協会発行の「新共同訳」(カトリックと共同)を用いています。新共同訳は発行されてから30年になります。
聖書はラテン語で「ビブリア」といい、英語の「バイブル」の語源です。ラテン語の「ビブリア」はギリシャ語の「ビブリオン」(紙の原料のパピルスの髄)からきており、何巻もの書物を表す言葉でしたが、それがラテン語に転化するとき単数形となって、「書物の中の書物」「すべての本の中で最も優れた本」と呼ばれるようになりました。The Bookと英語の大文字で書くと、それは「聖書」を指しています。
さて聖書はヘブル語で書かれた「旧約聖書」39巻とギリシャ語で書かれた「新約聖書」27巻、合わせて66巻から成り立っています。(それに旧約聖書続編[外典]13巻もあります。)これらは1,000年以上の長い歳月を経て、いろいろな時代に、多くの異なった人々によって書かれたにもかかわらず、全体を通してみると、そこには多様性の中にも統一性があり、一貫した流れがあります。ここに聖書の不思議な点があります。
最初に引用したみ言葉のように、聖書の著者たちが神の霊を受けて、(神の霊に動かされて)書いたもの、神が彼らの人格に働きかけ、その言葉を通してわたしたちに語りかけておられます。ですから、聖書のもともとの著者は神ご自身であるのです。(旧約聖書の預言者の書では「主はこう言われる。」という言葉がよく出てきます。わたしが言っているのでは神様がおっしゃっているのだよというわけです。
聖書が「神の言葉」であると言われ、権威あるものとされるのは、神ご自身が聖書を通してご自身を現わして(啓示して)おられるからにほかなりません。
旧約聖書は、主イエス以前の時代に神が人類に対してなさったみ業(出来事)が、イスラエル民族の歴史を通して記されています。それは神が人類を救済される壮大なドラマです。
旧約の「約」は「契約」のことで、神様と人類との古い契約、一言でいえばそれは神からモーセを通して与えられた「十戒」を守ることによって人類が救われるという契約でしたが、人類はこの契約を守れませんでした。
新約聖書にはイエス・キリストのご生涯と教えとみ業~それは神の約束に従って、この世に来られ、十字架上で死なれ、復活され、天に昇られた後、聖霊(神の見えない大きな力)を送ってくださり、救いを完成させてくださったこと~、さらに使徒たち(イエス・キリストの弟子たち)の働きを通して教会が世界に広まっていったことが記されています。
古い契約に対して、新しい契約としてイエス・キリストがその死と復活によって、愛の契約を成就し完成させてくださいました。新約聖書ではイエスこそ救い主キリストであり、救世主(メシア、メサイア)であると証言されています。
宗教改革者ルターはこう言っています。聖書は「キリストがその中に包まれている産着であり、寝かされている馬槽(うまぶね、飼い葉おけ、ベビーベッド)である。」
また聖書は神からわたしたちへのラブレターだとも言われます。心を静めて、愛する人がわたしに向かって何を語りかけているのかを、じっくり聞きとってみたいものです。 聖書が証ししているイエスというお方を、救い主キリストとして信じて受け入れるとき、聖書が人生にとって不可欠の案内書となり、心の食物となり、さらに日々の生活のうちにあって、希望と安らぎと癒しを与えてくれるものになります。
聖書に出てくる有名な言葉を皆さんも知っていることと思います。それがどこに載っているか、探してみてください。そんな時に、また心に残る新しいみ言葉に出会うかもしれません。(チャプレン 大西 修 主教)