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シェア14 『明快な主張』2017/11/15

カテゴリー:活動記録

シェア14『明快な主張』
(マルコ8:15)「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい。」

【マルコによる福音書3:1-6】
◆ファリサイ派の人々とヘロデのパン種
8:14 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
8:15 そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。
8:16 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。
8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。
8:20 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、
8:21 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。

イエス・キリストは「愛」の師。一般的にはそのように言われていますね。

しかしシェアを重ねる毎にイエスの師としての真理への姿、厳しさが浮き彫りとなってきました。

シェア14回では、イエスの問いかけの真理を理解できず、忘れたパンをめぐり論じあう弟子たちの不甲斐なさに、イエスの師としての教えが鋭く矢のように弟子たちに指し示す姿を学びました。

パンの「無い」ことで議論しあう弟子たちの姿は、イエスの伝えたかった真理に対して、あまりに理解の差があり過ぎました。イエスの師としての歯がゆさはいかばかりか。

「まだ悟らないのか。」

イエスは、そう何度も弟子たちに告げています。

ずっとイエスと共に歩んできた弟子たち。彼らはいつまでも「物」が無いことを見、惑っている。しかしイエスは、その「源」の在りかたを見、語っている。その違いに、人間の限界が浮き彫りになります。

イエスの言葉は、「バサリ」と音がするように真理であるのです。和を尊ぶ日本人には馴染むことが簡単ではないかもしれません。しかし、弟子たちの変化を願い、愛をもって真理を語るイエスの姿は、まさに真実の「師」のそれです。

イエスを模範とし生きることが喜びであると感じるとき、バイブルタイムでは一歩一歩その道を歩んでいることに気がつくことができます。

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