大学礼拝「平和を祈る~沖縄慰霊の日(6/23)を前にして~」2018/6/20
【マタイによる福音書5:9】
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
先日のチャプレンタイムの時、高校の修学旅行で沖縄に行った人がかなりいることを知りました。どうだった?と感想を聞くと、楽しいはずの修学旅行が戦跡巡りをした日の夜は、暗く重い気持ちになり、なかなか眠れなかったという返事が返ってきました。
「百聞は一見に如かず」のことわざ通り、沖縄戦から70年以上経過しているとはいえ、今なお各所に残る戦跡を訪れ、そこで戦争体験者の証言を聞くとき、想像を絶する悲惨な、むごくおぞましい現実を垣間見る思いがし、人を人として見ることすらできなくしてしまう戦争という恐ろしい人間の歴史の一端を知らされます。
「知らないことは罪である」という言葉があります。1+1=2を知らない、漢字を知らない、英語の単語を知らないといった類の知らないではなく、「わたしたちの生きている現実と深く関わっている歴史的な出来事とその出来事が持つ意味」を知らないことを指します。具体的に言えば、沖縄戦のこと、その持つ意味を知らないことは罪であると言えるのです。なぜなら、「本土防衛のため、本土の捨て石」となった沖縄に住む人々の大きな犠牲の上に、本土にいる今のわたしたちは生きているからです。1945年4~8月までの間に沖縄県民約60 万人の4分の1にあたる15万人が犠牲になりました。沖縄が本土に復帰したのが1972年、戦後27年たってからでした。そのころでもガマと呼ばれる自然の洞窟には遺骨がまだまだ残っていました。また、チビチリガマや嘉渡敷島での集団自決の事実を知りました。
語り部でもある石原絹子司祭(現在81 歳)は「沖縄戦を語り継ぐ」~地獄からの魂の叫び~ を書かれました。その中で、父母と3年生の兄、1年生の彼女と 3歳と1歳の妹の6人家族のうち、彼女一人を残して5人が皆次々に死んでいくすさまじい状況を読んだとき、言葉を失いました。しかし、生きていた祖母に迎えられ、悲しみにむせび泣く中で強く抱きしめられ言われた言葉、「戦争さえなければ、皆幸せに暮らせたのに。でも、どんなにつらくても家族のため、生きて平和のためにお手伝いできる人間になるのですよ」が、彼女のその後の生きる道を決めるきっかけになったのです。
平和を実現する人として彼女は、恒久平和を求める沖縄の心「命どぅ宝」(ぬち どぅ たから)~命こそ宝~を叫び続けておられます。「人間の尊厳を何よりも重視し、相手を尊び、お互いに支え合い活かし合い、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求める人間性の発露である沖縄の心」の大切さを訴えておられます。「平和は黙って向こうからやって来るものではない。どんな小さなことでも平和を実現するための努力を惜しまず、また戦争につながるようなことは、どんなに小さくてもその芽を早く摘み取りたいものである。多くの犠牲の上に成り立った平和憲法を守り抜き、二度と戦争をしない、平和を愛する国であることを国の内外に示すことが肝要かと思う」との言葉を心に深く刻みたいと思います。(チャプレン 主教 大西 修)
琉球新報 2018/6/23より