マルコ通読⑮ 8:31-9:1(2018/5/23)
今日はマルコ通読十五回が行われました。
今回心に響いた御言葉は…
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコによる福音書8:33~35)
イエスがお伝えになられた十字架への道のりに対し、ぺトロは情に流された言葉を返してしまいます。イエスはそんなペトロの姿を、激しく戒められたのでした。
私はこの記事をとおして、イエスの十字架の意味、またその十字架を背負い生きることの覚悟を改めて考える機会をいただきました。
誰しも「まさか私がイエスと同じ痛みを背負って生きて行くことは難しいし、到底できない…」と普通は考えるのではないしょうか。
今回のバイブルタイムでは、「私たちがイエスと同じ痛みを負うことは難しいかもしれない。しかしイエスの御姿を理解することで、少しでも十字架に近づきたいと願うことは出来るのではないか。」と私は感じました。
そして進歩し続ける努力をして行くことで、限りがある「わたし」を捨てることが出来るのではないかとも思いました。
イエスは常に私たちに十字架を背負い生きることの覚悟を問われています。
「私に従いなさい。」
そうイエスは、ただ一つの決然とした真実を諭されます。
それは理屈を越えた確信であると感じます。「わたし」を捨て、イエスにただひたすら頼り生きて行くその喜びは、私の心を子どものように澄まし、安らかにしてくれます。
決然とした真実を与えていただいた私を、いかにこの世に差し出し生きて行くのか…。
福音書の御言葉をとおし、学びの日々は続いていきます。
ローズマリーの開花