2018/7/11 大学礼拝(ご案内)
福音書にはマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4種類がありますが、今回取り上げられる放蕩息子のたとえ話を紹介する「ルカによる福音書」が一番好きだという方も多いと思います。
話の内容はシンプルで理解しやすいのですが、後半部分で登場する兄の不平不満に共感した途端に、「ちょっと待てよ。不公平じゃないか。」という感じに陥るのです。それは、「ぶどう園の労働者のたとえ(マタイ20:1-16)」で抱く感覚に良く似ています。
読者がこのように感じるということは、福音書の記者らも分かっていたとは思いますが、イエス・キリストの言葉や信仰を保存することを最優先にした彼らは、ためらうことなく、たとえ話をありのままに記述しました。
「弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。(ルカ8:9)」
弟子ですらイエスのたとえ話を理解することは難しかったようです。
礼拝に出て、たとえ話の解き明かしに触れてみませんか?
お待ちしています。
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●テーマ:「放蕩息子のたとえ」
●説教:大西チャプレン
●聖書箇所:ルカによる福音書15:11-32
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
15:26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
15:27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
15:28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
15:31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
15:32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
●日時:7月11日(水) 14:50~全学年、教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル
★8月誕生日の祈りを行います。
○次回以降の予定
・7/18(水)合同礼拝(チャペル)14:50~ 説教:大西チャプレン ★8月誕生日の祈り(保育科1年生)
・7/25(水)合同礼拝(チャペル)14:50~ 説教:大西チャプレン ★8月誕生日の祈り(保育科2年生)【前期最終礼拝、保育科1年生は補講期間中のため礼拝なし】