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マルコ通読⑱ 9:30-37 (2018/6/20)

カテゴリー:活動記録

今日はマルコ通読十八回が行われました。

今回心に響いた御言葉は…
「そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコによる福音書9:36~37)

「誰が一番えらいのか。」 そう論じあっていた弟子たちに、イエスは厳しい言葉で戒めをお与えになられました。

今回の御言葉でイエスは人に仕えるということはどういうことなのか、つづけて弟子たちにお伝えになられています。イエスは小さな子どもを抱き上げ、彼らの真ん中、彼らの目の前で直に導かれました。その姿は神々しく一方では、とても人間的な御姿であられたと思います。

今回の通読では「子ども」とは価値のない者の意と教えていただきました。もちろん、2000年前のユダヤではそのように思われていたということです。イエスは、そのように価値のない者を受け入れることを弟子たちに求められました。また、そうすることで、不完全な私たち人間は神に受け入れられるのだと話されました。

さらにイエスは「わたしの名のために受け入れよ」と語ります。

イエスのお名前から、彼のご生涯すべてが思い起こされますから、そのお名前を辱しめないよう、私はイエスに向かって歩みたいと思いました。

イエスのご命令は現代において見事に実現し、私たちは子どもを価値ある者として尊ぶ時代に生きています。

今回の記事を通し、小さき者に仕える保育者として、日々どうあるべきか…私は主に頼り、問い続けていきたいと思います。


収穫したミニトマトとゴーヤ

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