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マルコ通読20(9:42~50)2018/7/4

カテゴリー:活動記録

今日はマルコ通読二十回が行われました。

今回心に響いた御言葉は…

「人は皆、火で塩味を付けられる。 塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」(9:49~50)

イエスはこの直前で罪への誘惑に対する教えを厳しく話されました。
その上で「人は皆、火で塩味を付けられる」と火と塩をたとえに諭されました。

今回は「火と、塩とは何であるのか?」と、通読を深めていきましたが、その問いはとても難しく感じました。

私は火も塩も人間に必要であり火は、エネルギー源。一方塩は長い人生をおくる上で「命」を支える意味をもつ、重きものであると考えました。

結果、人間は試練(=火)により強められ、信仰は(=塩)(保存にはなくてはならないもの)人間に不可欠なものと、教えていただきました。

つまり火で塩味を付けられる…とは、試練で信仰は深められるという意味になります。

「自分自身に塩を持ちなさい。」
そう、イエスは話されます。外側からでなく自身の内に信仰を持ち続けなさいと…。

私はこの御言葉を深く知るほど、イエスの愛の本質を感じました。それはやさしいだけではない真実の愛の厳しさです。試練を恐れ嫌う人もいますが、イエスを知った人には、その試練こそが喜びとなる…。私はそう考えます。

私は今回の記事で、常に初心にかえり、今自分の「塩」はどのような味なのか内省する時が大切であると教えていただきました。

感情から理性へと。
これからもイエスの深いお導きに感謝して、バイブルタイムで学んでいきます。


クローバー

 

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