大学礼拝「くちびるに歌を、こころに太陽を!」2018/10/17
【詩編98:4-9】
98:4 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
98:5 琴に合わせてほめ歌え/琴に合わせ、楽の音に合わせて。
98:6 ラッパを吹き、角笛を響かせて/王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
98:7 とどろけ、海とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものよ。
98:8 潮よ、手を打ち鳴らし/山々よ、共に喜び歌え
98:9 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き/諸国の民を公平に裁かれる。
そもそも、自分はいつからこの「音楽」という道で生きることを決めたのか、いつからこの道に生かされているのかということは、実はこのお話を頂いてから、初めて考えたことでした。家族は、小さい頃のお稽古のひとつとして「バレエとピアノ、習うならどちらがいい?」と、私に選択の余地を与えたようですが、バレエよりピアノを習わせたかった母親の意図どおりに、4歳の私(緑区あけの星幼稚園の年中さんでした♪)は「ピアノ」を選択。以来、ピアノに関する弱音を吐くたび「自分で選択したのよ」と言われることになります。
家族と恩師に支えられながら、愛知県立明和高等学校音楽科、愛知県立芸術大学音楽学部ピアノ科へ進学。反抗期真っ盛りながらも、今なお深い関係の続いている「自分と同じ夢をもつ同級生」たちと切磋琢磨する毎日は本当に刺激的で、充実した日々でした。しかしちょうど皆さんと同じ年齢くらいの頃、試験や課題、コンクールに追われるばかりで “いま”しか生きていない感じがして、当時の私は少しの焦りを感じていました。 “いま” より少し先の未来のことを考えたり、これまでの過去を振り返ったりしたとき、「社会に出てどう生きるのか」という不安が漠然と襲ってきたのです。いまさら音楽以外の道へ後戻りできないことに、恐怖心さえありました。
そんな心を知ってか知らずか、そのころ恩師から送られたポストカードに書かれていたのが、「くちびるに歌を、心に太陽を」という言葉でした。恐れず一歩を踏み出してみなさいというような力強さと、それでいてどこか たおやかさ を兼ね揃えたこの言葉が私の心の中にすっと落ち、ずいぶん励まされたことを今でもよく覚えています。のちに、この言葉はドイツの詩人ツェーザル・フライシュレンによるものであることを知りました。カードのお礼も兼ねて後日恩師を訪ねたところ、彼女もこの詩を人生のモットーとしていることを教えてくださいました。
くちびるに歌を。
こころに太陽を。
加えて恩師は、
目ではほんものをみること。
耳には人から、ものから、あらゆることばと音色を聴くこと
…も大切よ、とご自身の言葉を付け加えられました。
その後私は、ほんものを見るため、そして耳を育てるため、心の中にひそかに思い描いていた海外留学について、自分の未来のために、準備しようと決心しました。「自分が学んでいるクラシック音楽の、本場に行ってみたい。」という思いから、私の人生の第2楽章、フランスでの生活が始まったわけですが、そこでの波乱万丈生活…いや…波乱爆笑生活!の全ては、今日この時間だけではきっとお話しきれないので、またの機会に。
フランスは街の中にメロディーがあり、リズムがあり、祈りがあり、表情に富んだ美しい国でした。また、そこにいるフランス人、彼らは誰よりも、人生を愉しむ天才だとつくづく感じました。私は音楽を学びにフランスへ行きましたが、それ以外の面でも多くの宝物をもらったように思います。人生が変わったとは言い過ぎかもしれませんが、ほんとうに、そんな気もしています。
振り返ってみれば、人と幸運に恵まれた人生でした。
“いま”だけをがむしゃらに生きてきてしまったことに危機感を覚え、踏み出した一歩でしたが、言い換えればそれは、今しか見つめなくても過ごせるよう守られていたからこそ、とも思い、感謝しています。
また、出会いの中で本当にたくさんの恵みを受け、いまの私があります。
人生の選択肢のひとつに、音楽という道をくれた家族からは、愛情の深さを。
恩師からは、あたたかで厳しい覚悟の力を。
親友からは、共に弱さを認めあうことの安らぎを。
ここ柳城学院にご縁をいただいてから時を共にさせていただいている先生方、職員の皆さまからは、私もこんなふうに働いてみたいという憧れを。
そして大切なあなたたち…学生からは、教え、教えられる歓びを。
よく、「ピアノをやめたいと思ったことはないのか」と、問われることがあります。やめたいと思った日…少なく見積もっても、何十回とあります。もともと、譜読みが得意なタイプではありませんでしたし(だからいま苦労している学生さんの気持ち、よく分かりますよ^^)、それに、数十分の演奏に対して何百・何千時間の月日を積み重ねるのって、なんだか割に合わない気がしませんか?!
でもそこで結局「やめる」という選択には至らないのは、それ以外の味わいに悦びを見出していたことと、やはり先ほどにも述べた、人との出会いのおかげでしょう。
それからもうひとつ、「音楽の中では、自分の人生以上の時間を生きられる」ということに、私自身とても惹かれているのだと思います。言葉が足りず伝わりにくいかもしれませんが、たとえば今ここで、J.S.バッハ(1685-1750)とドビュッシー(1862-1918)の曲を演奏したとしたら、そこには200年ほどの時間が流れていて、いまここに生きる私たちは、それらを数分のうちに聴いたり弾いたりできるわけです。人類の長い歴史をみれば、それもまたごくわずかな時間ですが、音楽の中ならば時間を遡ることができるというのは、私にとって極上の自由であり、自分が自分らしく生きるための、表現のかたちです。
あたたかな心をもって耳を傾けてくださり、ありがとうございました。
皆さまの中にいつも、うたと太陽がありますように。(扶瀬 絵梨奈 本学教員)