マルコ通読29(マルコによる福音書12:35〜40)2018/11/14
今日はマルコ通読二十九回が行われました。
今回心に響いた御言葉は…
イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『 主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで」と。』このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。 (マルコによるよる福音書12:35〜38)
大群衆が見ている中、イエスは詩編110章で記されているダビデの言葉を使って律法学者たちを厳しくとっちめました。
律法学者や当時の人々によってメシア化されたダビデ本人が『主は、わたしの主にお告げになった』と記しているのに、なぜ、お前たちは「メシアはダビデの子だ」と言っているのかと。
私はこのダビデの言う二つの「主」が誰にあたるのか、すぐには理解できませんでした。しかし主を崇めるダビデの目線で読むというヒントを頂くうち、最初の「主」が神であり、後の方は「メシア(救い主」であると分かりました。
ダビデ自身が「主(神)は、わたしの主(メシア)にお告げになった」と言って、自分の子以外の何者かをメシアと呼んでいるのです。従って「メシアがダビデの子である」はずはなくなります。
律法学者たちはこの理路整然としたイエスの御言葉に、ぐうの音も出ません。
当時、事細かな律法や決まりを守れない民衆は罪人呼ばわりされて蔑まれていた時代です。イエスの御言葉に何も言い返すことが出来ない律法学者たちの様子を見た民衆たちは、きっと「イエスよ!よく言ってくれた!律法学者たちよ、聞け!」と、日頃から虐げられてきた胸の内がスッとなり大喜びしたことでしょう。
イエスは常に今でも、弱い立場の人間の味方です。
次回のイエスの道のりも楽しみです。