マルコ通読33(マルコによる福音書13:28〜37)2018/12/14
今回心に響いた御言葉は…
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(マルコによる福音書13:32〜33)
前回に引き続き、イエスは弟子たちに終末の徴(しるし)についてお話になられました。
イエスは終末の時に備えるよう強く警告なさり、その上で、御心に従う覚悟ある者を旅に出た主人を待つ僕や門番になぞらえて「主人はいつ戻って来るのか分からないのだから、主人がいつ戻ってきてもよいように心を主人に向け、準備を怠らず日々過ごしていなさい」と諭されました。
ところでイエスが再臨する「その日、その時」とはどのような時なのでしょうか。
これを考えるヒントを、今回、私はマザー・テレサの姿から与えられました。
マザー・テレサは死を待つような弱く小さな人々の中に、常にイエスの姿を重ねて接していました。それはイエスの再臨を待つだけの受身の姿勢ではありません。弱い立場の人々をイエスだと思って、イエスのために愛の奉仕を積極的に行なうということなのでしょう。
「ひょっとすると、イエスはすでに現れているのかもしれないし、もしかしたら、昨日出会ったあの人だったのかもしれない」と思うことは、信仰を深める意味で重要ではないでしょうか。
私は真の目覚めのない信仰は自分勝手であり、虚しいものに終わってしまうのではないかと感じました。
常にイエスを感じて目を覚ましていることは、油断してすぐに怠けがちになる私たち人間には厳しい教えかもしれません。
しかし一方で、真の目覚めとは内と外よりイエスをいつも感じるアンテナであり、イエスとともに歩み続ける「喜び」の根であると感じました。
私は今回、マザー・テレサの視点から、常にイエスを感じ弱い立場の人々には愛を、自身には揺るぎない信仰の深さを求めて生きる姿勢を学びました。
イエスは今も「目を覚ましていなさい。私はいつもあなたがたと共にいる。」
そのように私たちに語られています。
次回もイエスのお姿を通して御心を学んでいきます。