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バイブル✝タイム シェア18 「サーバントリーダー」2019/3/20

カテゴリー:活動記録

【マルコ9:35】「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」

シェア18ではマルコ9:33~37の記事を通しイエスが導く「サーバント(召使い的)リーダー」のあるべき姿を学ぶことができました。

イエスと弟子たち一行はカファルナウムにお着きになりました。そこでイエスは弟子たちに「道すがら何を議論していたのか」と突然お尋ねになりました。

その質問に弟子たちは何も言えませんでした。それは、「だれがいちばん偉いか」と議論しあっていたからです。「これはヤバイ」とで思ったのでしょうか。案の定、イエスは弟子たちを呼び寄せ、このように諭されました。

「いちばん先になりたい者(偉くなりたい者)は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」と。

そして、その場にいた一人の子どもを大人たちの真ん中に立たせ、抱きあげられ「わたしの名のために、このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」と重ねて諭されたのです。

当時のイスラエルでは、名前はその人のいわば本質を表すほど重要なものでした。また、子どもの価値は現代とは大きく異なり大変低いものでした。だから「わたしの名のために」このような子どもを受け入れるということは、師であるイエス・キリストの名を汚さないつもりで、「価値のないもの」とされている弱い立場の子どもを受け入れるということです。

今回、私はイエスの姿から、サーバントリーダーのあるべき姿、必要な本質を感じ取ることができました。イエスは常に弱い側にたつ人間の視点に徹しています。実際にイエスは罪人呼ばわりされている人やのけ者にされている人の味方で、その人たちと共に食事をなされ、時には癒しを与えられています。そしてご自身、「わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方(神)を受け入れるのである。」とあくまでも謙虚に、「わたしを見よ」ではなく「神を見よ」と言って、成し遂げられた栄光を神に返されています。

私はその謙遜な姿こそ、サーバントリーダーに必要な真の姿であると感じます。

弱者の視点に徹するイエスの姿を学ぶことは、私自身のつたなさを感じると同時に、日常ではほとんど味わえない「喜び」でもあります。次回も与えていだだける学びに感謝し、イエスの愛に学んでいきます。


バージニアストック

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