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大学礼拝「命(ぬち)どぅ宝」2019/6/25

カテゴリー:大学礼拝

「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:4~7)

チャプレンタイムの中で、高校の時、どこへ修学旅行に行った?と質問したら、そのうちの何と3分の1くらいが「沖縄へ行った」と答えました。それに「広島」「長崎」を加えると、何と修学旅行の行先の6~7割になります。

南の島、トロピカルムード漂う沖縄、異国情緒豊かでハウステンボスなどがある長崎、安芸の宮島など景観に恵まれ、牡蠣やもみじ饅頭で有名な広島ですが、実は「沖縄」」「広島」「長崎」は言うまでもなく、平和学習のための重要な三つの場所(戦跡)なのです。「沖縄」は太平洋戦争末期1945年4月から8月、本土決戦に向けての時間稼ぎの捨て石作戦(持久戦)のため、20万人をこえる人々が亡くなりました。そのうち94,000人が沖縄の一般住民でした。これは県民の4人に一人に相当します。広島の原爆では35万の人口の内14万人、長崎の原爆では24万人の人口のうち74,000人が亡くなりました。名古屋でもB29爆撃機の68回にわたる空襲で約8,000人が亡くなりました。

戦争は人間の理性も良心も麻痺させてしまいます。そして神によって造られた何ものにも代えがたい尊い命を奪ってしまいます。戦争は人間の犯す最も重い罪です。神から与えられたたった一つのかけがえのない命を奪ってしまうからです。人間には人の命を奪う権利はありません。ですから、死刑制度も人が人の命を法律によって奪うことですから、この制度を廃止すべきであると世界各国で叫ばれているのです。(アムネスティーの運動)

創世記では、神の息吹きを受けて生かされている人間の尊厳が語られます。しかし、人間は土の塵で造られた小さく弱い存在なので、神の大きな命の息吹きの中で生きていくことが求められているのです。

「命(ぬち)どぅ宝」とは、恒久平和を求める沖縄の心、沖縄戦の悲惨な体験と今尚続く米軍支配の重圧にあらがいながら、常に願い培ってきた沖縄の心です。人間の尊厳を何よりも重視し、相手を尊び、お互いに支え合い活かし合い、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求める人間性の発露である文化をこよなく愛する沖縄の心を「命(ぬち)どぅ宝」と言います。

ある学生は言いました。楽しいはずの修学旅行が、とっても重く暗い気持ちの旅行になってしまったと。「沖縄から名古屋は見えるけれども、名古屋からは沖縄が見えない。」   沖縄、長崎、広島に行って初めて、わたしたちは沖縄の視点、長崎、広島の視点に立ってものごとを見ることの大切さを学ぶことが出来るのです。

平和は待っていてもやってきません。どんな小さなことでも、平和を実現するための努力を惜しまないこと、また戦争に繋がるようなことは、どんな小さな芽でも早く摘み取る必要があります。多くの犠牲の上に成り立った平和憲法を、しっかり守り抜き、二度と戦争をしない、平和を愛する国であることを声を大にして訴えていきたいものです。

6月23日、沖縄慰霊の日、沖縄戦全戦没者追悼式で糸満市の小学校6年生の少女が読んだ詩「本当の幸せ」をここで紹介します。(朝日新聞6/24 朝刊)

青くきれいな海 この海は どんな景色を見ているのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ ほのおで包まれた町 そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地 この大地は どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音 泣き叫ぶ幼子 兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空 この空は どんなことを思ったのだろうか
緑が消え、町が消え、希望の光を失った島 体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が失われたことを知り そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代 私はこの世に生まれた 青くきれいな海 緑あふれる大地 青く澄み渡る空しか知らない私 海や大地や空が七十四年前 何を見て 何を聞き 何を思ったのか
知らない世代が増えている 体験したことはなくとも 戦争の非さんさを 決して繰り返してはいけないことを 伝え継いでいくことは 今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために この島がこの国がこの世界が 幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない 家族と友達と笑い合える
毎日こそが 本当の幸せだ 未来の夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命(ぬち)どぅ宝」 生きているから笑い合える 生きているから未来がある
令和時代 明日への希望を願う新しい時代が始まった この幸せをいつまでも

最後にヒロシマの詩人 峠 三吉の詩ユネスコ憲章を読んで終わります。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよにあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。」(1945年 ユネスコ憲章)

(チャプレン大西 修)

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