バイブル✝タイム シェア32「祈りの基本②」 2019/9/10
【マルコ15:34】「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
今回イエスの御姿を通して、苦しみを味わっている時にこそ神を賛美するという祈りの基本を学びました。
場面はイエスの十字架上、死の直前のことです。イエスは「(エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ)わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれました。
この言葉は詩篇22篇の冒頭で用いられています。神への嘆きに聞こえますが、十字架の上で苦しみもがくイエスです。断片的な言葉しか話せない状況であったはずです。
この詩篇は後半に入ると、神への賛美と信頼への言葉が続きます。
今回私は、イエスは十字架の上で22篇全体の意味を思い出して祈り、主を賛美されたと推測できることを学びました。
イエスは死の直前、ゲツセマネでの祈りと同様に、神に「本音」で祈られました。
その時、イエスでさえ神に疑問を抱いたのではないでしょうか。まさしくその言葉は綺麗事では無く、腹を割った本音の問いかけです。しかしイエスは、ご自身の最期の場面においても、神への信頼と賛美に満ちた祈りのあるべき姿を伝えられたのです。
神の前では無理をしなくていいのだよ。
神には本音を話せるのだ。
だから、こうやって私のように祈るんだよ、と。
十字架刑のイエスのお姿を間近で見ていたローマ軍の百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15:39)と語っています。私は、今回この言葉が彼の「信仰告白」であると知りました。むごたらしい死の直前に、神を賛美するイエス・キリストを彼はずっと見ていたのです。
苦しみを味わっているその祈りの始まりは神への嘆きであったとしても、賛美へと続くその祈りは、イエスの神への愛そのものです。
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さて、このシェア32をもって、マルコによる福音書の学びは一区切りとなりました。私の洗礼準備期間から一貫してイエスの信仰の「糸、愛、ご人格」について学びを与えていただいています。
次回からはいよいよルカ福音書による学びが始まります。
イエスが神に信頼し祈られるお姿を模範に、私はこれからも学び、祈りの日々を続けていきたいと思います。(Y)