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バイブル✝タイム ルカ通読5【1:67~80】2019/10/22

カテゴリー:活動記録

「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」(ルカによる福音書1:76~77)

前回ではマリアの賛歌を学びました。

今回はザカリアの賛歌(ベネディクトス)を通して、ザカリアの息子・ヨハネが洗礼者となりイエスの先立ちとなることを預言する場面を学びました。ベネディクトスとはラテン語で「ほめたたえよ」という意味です。

ザカリアの賛歌はマリアの賛歌と同じく旧約聖書(詩篇、エゼキエル書、ミカ書、マラキ書、イザヤ書、エレミヤ書等)の言葉が集められています。彼は、その当時の敬虔な宗教家かつ知識人らしく、賛歌全体を通して神の言葉を引用しながら神を讃えています。

ザカリアの賛歌は1:68~75までは常に敵国に包囲されていたイスラエルの苦悩と、神との契約、民の解放の歴史においての神への賛美がなされ、1:76~80では洗礼者ヨハネの生涯についての預言が語られています。

また救いの角(1:69)とは動物の角のことで「強さ」をあらわし、ダビデの家から強い者があらわれるという、イエスの誕生についてが預言されています。

1:78~79では「この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の影に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」と記され、まさにイエス・キリストがこの世にあらわれた世界が表現されています。

私は今回改めて、ザカリアによって預言されたヨハネの洗礼者としての働きについて深くイメージし考える機会をいただきました。

ザカリアの息子ヨハネはその当時、罪人扱いを受けていた弱い立場であった民衆の救いでした。ヨハネのもとに集まった民衆は救世主を待ち望み、罪の赦しを求めていたのです。

しかしヨハネは罪の赦しを担う権威は持っていませんでした。ヨハネはあくまでも、ただ洗礼を悔い改めのきっかけとして用いる者でした。

ルカはマリアの賛歌の後、ザカリアの賛歌を記すことにより、イエスの先立ちとしてのヨハネの使命を強調しています。

次回は、いよいよイエス誕生の場面です。園において子どもたちと共に過ごすクリスマスシーズンを感じつつ、学びを進めていきます。(Y)


ミニヒマワリ

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