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クリスマスメッセージ2019 2019/12/18

カテゴリー:礼拝

今年も11月の初旬から町のあちこちにイルミネーションが輝き始め、年の瀬の1大イベントとしてのクリスマスを迎えようとしています。

神のみ子である救い主イエスさまが全人類の救いのために、人間の姿をとってこの世にお生まれになった御降誕(クリスマス)の出来事を、心からの感謝と喜びをもってお祝いし、また再び来られる救い主イエスさまを、祈りのうちに待ち望む備えの時として、降臨節(アドベント12月1日から24日まで)を過ごしています。

そんな中でふと考えることがあります。クリスマスって一体何なの、一体どこにあるのだろうかと。心の目をしっかり見開いて、静まって見つめないとクリスマスが見えてこないのではないかと思います。ひょっとしたらキリスト教の精神を掲げているわたしたちの学院においても、クリスマスを祝う意味が薄らぎつつあるのではないか、そんな不信仰ともいえる思いが脳裏をかすめるのです。自己満足に陥り、自分だけのしあわせを追い求め、今年もクリスマスを当たり前のことのように迎えようとしている、そんな生き方でいいのかと、今わたしたちに問われているのではないでしょうか。

東日本大震災からやがて9年を迎えようとしている今この時にもなお、寒さの中で多くの不安を抱きつつ、厳しい生活を余儀なくされているたくさんの被災された人々に思いを馳せる時、そのような人々の中にこそ、本当のクリスマスが目に見えないけれども確かにやって来ているのではないかと思うのです。なぜなら人間には想像も出来ないような方法・手段をもって、人類の歴史に働きかけてこられる神が、インマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれるイエスさまをキリスト(救い主)としてこの世にお遣わしになったからです。

なぜ、イエスさまは臭気漂う、薄暗く、むさ苦しい家畜小屋にお生まれになったのでしょうか。イエスさまは、路上に過ごす人々や、避難所や仮設住宅で生活する人々、孤独な人、痛み、苦しみ、数々の悩みや病いの中にある人々、愛に飢え渇いている人々、家庭内暴力に脅えている子供や婦人たちと共におられ、一緒に歩まれるお方だからです。

飼い葉おけに寝かされている乳飲み子の姿の中に、神がどれほど深く人類を愛しておられるかを窺い知ることができます。神が人となられてこの世に来られ、人には見えにくい影の部分に愛をもって入ってこられ、人と同じ生き方をなさるためにおいでになったのです。

ルカによる福音書では、最初に、救い主誕生の知らせが野宿して羊の番をしていた羊飼いに伝えられました。これは、大変意味深いことです。

その当時、羊飼いは貧しく、卑しい身分の者とされていました。ローマ帝国の圧政下にあって、苦悩の中にあえぐ人々を象徴するような存在でした。救い主誕生の知らせは身分の高い王侯貴族などにではなく、低い身分に追いやられ、差別され、弱い立場にある人々に伝えられ、その人々のために救い主が来られたことを教えているのです。

マタイによる福音書には、闇を照らす光として来られたイエスさまをキリスト(救い主)と信じ、東方の国から遠路はるばるベツレヘムにやって来た占星術の学者たちの話があります。

ところで、クリスマスの話は夜(闇)と深い関わりがあります。イエスさまが夜半に生まれたかどうかは定かではありませんが、イエスさまの到来が闇との関わりの中で受けとめられていることは確かです。ヨハネによる福音書はイエスさまを人間を照らす光とし、「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」と記しています。

闇の中に生きる人間にとって、イエスさまこそ光であり、人類の闇を照らす光そのものなのです。闇とは人々の心の闇、人生の悲哀、貧しさ、病気、孤独、罪のしがらみ、不正な社会における差別の現実などを指します。イエスさまが来られたのは、そのような闇の現実に光を当て、白日のもとにさらすことによって、闇を退け、闇から人々を解放するためでした。

その光であるイエスさまにお会いするため、羊飼いたちは家畜小屋へと急ぎ、占星術の学者たちは遠路はるばる旅をしたのです。そのためには苦しみと忍耐に立ち向かう大決断を必要としました。

今夕はキャンドル・サービス(ろうそくの火による礼拝、サービスとは礼拝の意味です)が行われています。闇を照らす光としてこの世においでになったイエスさまを、わたしたちのうちに感謝と喜びをもってお迎えする礼拝です。

本当の喜びを味わうためには、必ず、苦しみと忍耐が伴います。

皆さんが教育実習、保育実習で本当の喜びを味わいたいならば、きっと苦しみと忍耐が必要になるに違いありません。それを避けることはできません。

本当のクリスマスを迎えるわたしたちに最も必要なことは、マザー・テレサの次の言葉に要約されます。

イエスさまが、わたしを愛してくださったように、
互いに愛し合いなさい。
イエスさまは、わたしたちのために、命をささげてくださいました。
それは、ちいさなことではありません。
ですから、わたしたちも、自分にとっていちばん大切なものを
差し出さなければなりません。

みなさん、クリスマスおめでとうございます!

(チャプレン主教 大西 修)

 

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