大学礼拝「出かけよう、砂漠へ」2020/6/25
【創世記12:1-2】
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
今日は1年生が多く参加されていますが、短大生、大学生となって、どのように過ごされていますでしょうか。小学生、中学生、高校生までとは、随分と勝手が違うこともあるかと思います。最も大きく違うことの一つは、この先の将来が大きく開かれている、という点にあるのではないかと思います。
小学生であれば中学に行くこと、中学生だったら次は高校生になる、ということがあったと思います。大学では、もちろん就職ということがあるわけですが、しかし、それまでの学校選びとは比較にならないほど、広い選択肢があります。学校生活やバイトなどでも、高校のときはかなり違う広がりがあるのではないかと思います。
先ほど、読みました聖書で、神はアブラハムという人物に対して、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」と言います。そしてアブラハムは、神の言葉に従って、故郷を離れ、まだ見ぬ世界を目指して旅立ちます。
これだけ聞くと、アブラハムは神の命令に縛られて窮屈そうと思うかもしれません。しかしこの物語は、何かに束縛されることとは逆の方向を示しています。先ほどの箇所は次のように言い換えるができます。「あなたの地、あなたの親族、あなたの父の家から離れ、旅立て」。
神は、それまでの血縁や地縁から離れて旅立て、と語るわけです。アブラハムはこれに従って、住み慣れた土地から旅立ち、その後、信仰の父と言われるようになります。
私たちは、家族や親戚からの視線、地域の目、世間の当たり前、社会の常識に縛られながら生きています。今日の聖書の箇所は、そのような私たちを縛っている当たり前、秩序、常識から離れ、旅立つことを促しています。
そして大学での学びは、実は、この神の呼びかけに応えることに他ならないと思います。これまで当たり前だと思っていたことから離れてみる、社会の常識を疑ってみる、ということが大学では求められていますし、そういうことができる環境が用意されています。
高校までの生活の中で、皆さまは、多かれ少なかれ、この世界・社会に生きづらさ、矛盾を感じてこられたのではないかと思います。そんな私たちに、神は、今、よびかけています。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」。皆さまの前は、あのアブラハムの旅立ちの時のように、目的地が何も見えない砂漠があるだけに見えるかもしれません。しかし、その先には、私たちが、今まで、思いもしなかった場所が広がっています。
神が示す地に向けて、これまでの当たり前、常識から離れて、ご一緒に旅をすることができればと願っています。(チャプレン 相原 太郎)