大学礼拝「テレビCMの秘密」2020/7/9
【マタイによる福音書 6:25-26】
6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
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テレビCMを見ると、その性質上、概ね一つの似たようなことを思うようになっています。それは、この商品を買うことによって、あるいは、このサービスを選ぶことによって、あなたの生活は、このようにもっとよくなりますよ、ということです。裏を返せば、それがない今のあなたの暮らしは不便ですよ、あなたの人生は不十分ですよ、ということです。したがって、私たちは大量のコマーシャルを通じて、今の自分の暮らしは不十分だ、まだまだダメだと思い、至らない自分を埋めるために、その商品を買うことで、あるいはそのサービスを手にすることで、もっといい生活、もっといい人生が待っていると思うようになりがちです。そのようにして、私たちは多かれ少なかれ、今の自分の生活が、そして今の自分自身が、不十分だと考えてしまっていることがあると思います。
今日の聖書で、イエスは次のように言っています。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切」だと。
食べ物や着るものは、確かに生きるために必要ではあります。しかしながら私たちは、生きる上で必要なもの以上に、もっとよいもの、もっと快適なもの、もっと便利なものと、思うようになっているような気がします。そして、それを手にしている未来の自分が頭から離れず、今日ではなく明日のことばかりを考えて生きようとしてしいる傾向があります。
私たちは、何かを手に入れた将来の自分よりも、まずは今の自分をもっと大切にしたいと思うのです。これではだめだ、不十分だ、こんな自分ではだめだと否定してしまいたくなることがあるかもしれません。確かに、そう思うことが必要な場合もあるかもしれません。しかし、ここに生かされている自分自身を肯定することは、今の私たちに、とても重要なことのように思います。
イエスは言います。「空の鳥をよく見なさい」と。鳥は種も蒔かず、刈り入れもしません。しかし、神は必要なものを与え、鳥を養っておられると。本当に必要なものは備えられており、そして、他でもない自分という存在そのものが、神によってすでに与えられています。
「命は食べ物よりも大切」だとイエスは言います。何かで着飾っているあなた、何かを所有しているあなた、ではなく、あなた自身が大切なのだと、イエスは語りかけておられます。(チャプレン 相原 太郎)