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大学礼拝「極めて良かった」2020/10/22

カテゴリー:大学礼拝

【創世記1章27‐31節】
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 

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創世記の冒頭では、この世界の始まりが7日間の出来事として描かれています。その7日間の記事は、一つのパターン、同じフレーズの繰り返しによって構成されています。

1日目、神は光を造りました。聖書にはこのように書かれています。「神は、言われた。『光あれ。』こうして、光があった。そして神は光を見て、良しとされた。」

2日目に、空と水を造りました。そして3日目には、海と陸を造りました。こう書かれています。「神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」さらに、「地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。」つまり、穀物をもたらす草と果物をもたらす樹木を造りました。そしてこう書かれています。「神はこれを見て、良しとされた。」

4日目には、太陽を造ります。月も造ります。星も造ります。そして昼と夜を造り、年月日を造り、さらに季節を造り出します。そして、神はこれを見て「良し」と言いました。

5日目。今度は動物です。魚や鳥も造ります。神はこれを見て、「良し」と言いました。

このように、聖書の記述において、神は、この世界のあらゆるものを次々と造り出し、そして、それを見て、「良し」「良し」「良し」と繰り返していきます。

6日目は、いよいよ、私たち人間の創造です。こう書かれています。「神は御自分にかたどって人を創造された。男と女とに創造された。」そして、神は造り出した人間の存在を強く肯定すべく、祝福されました。神は、こう言いました。「見よ、それは極めて良かった」。

それまで、神は様々なものを造り出し、それを見て「良し」「良し」「良し」と言ってきましたが、人間を造ったときには、「極めて良かった」「とても良い」と述べたわけです。この「良し」という言葉は英語の聖書ではgoodです。そして「極めて良かった」はvery goodです。つまり、神による、この世界の始まりの物語は、簡単にまとめるならば、good、good、good、good、very goodです。

こんな神話みたいな話は信頼できない、非科学的だと思われるかもしれません。しかしながら、ぜひおさえておきたいことがあります。それは、この創造物語を編纂した頃のイスラエルの民のことです。その頃、イスラエルは、外国の勢力によって国そのものが滅ぼされ、アイデンティティそのものであった神殿も壊され、外国に強制移住させられている最悪の絶望の中にありました。しかし、彼らはそのような苦しみの中でも、自暴自棄にならず、こんなことから生まれてこなければよかったなどとも思わず、他でもない神に信頼し、それ以外のものを神とはせずに、この世界を肯定する、という思いに到達したのでした。そのことが、端的に現れているのが、この分厚い聖書の冒頭の言葉、「初めに、神は天と地とを創造された」という言葉です。

この創世記の物語は、この世界に対する肯定です。そして人間に対する圧倒的な肯定です。この世界は、本来良いものとして、そして、私たち人間は、本来、良いもの、極めて良いものとして造られたのだ、ということを、聖書の冒頭において、高らかに宣言するものです。

今、世界は、新型コロナウイルスの感染の中で、暗く、混沌としています。私たちの生活もまた、多くの不安があります。多くの人達が自身を失っています。様々な苦しみがあります。しかしながら、それでもなお、いや、だからこそ、聖書は、その冒頭から、私たちの世界とは本来良いものなのだ、私たち人間は神のかたちに似せて造られた極めて良いものなのだ、神様による最高傑作なのだ、私たちを勇気づけるように語りかけてきます。私たちは、そのように圧倒的に肯定され、祝福された存在なのだ、ということを覚えてまいりたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


アメジストセージ

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