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大学礼拝「仕える者になれ」2020/11/5

カテゴリー:大学礼拝

【マルコによる福音書10章43-44節】
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

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 イエスが、皆に仕える者になり、すべての人の僕になりなさい、と語りかけたのは、直接的にはイエスの弟子たちに対してでした。この場面の直前、弟子たちは、自分たちをイエスのナンバー2、ナンバー3にしてほしいということを語り、権力への欲求を口にしていました。それを戒めるかのように、イエスは、仕える者になりなさい、と述べたのでした。

このイエスの言う、仕える者になるとは、今まで支配していた人が、今度は反対に、支配される人になる、ということではありません。支配する・される、というのは、どちらにせよそこに上下関係や力関係が存在していることを意味しまいます。イエスの言う、仕える者になるとは、そのような一方向的なものではなく、互いに仕え合うことによって実現するものです。それは、上下関係、支配・被支配の関係から自由になって、お互いのことを、損得なしに徹底して大事にし合う関係になる、ということを意味します。

かつて、教会の結婚式の式文において、女性である新婦に対して、男性である新郎に仕えるかを問う場面がありましたが、現行の式文では、男女とも、相互に仕え合うことを誓うよう求められています。

現代社会では、まだまだ男女の格差、男女差別、いわば上下関係が存在します。そうした社会の中では、結婚生活においても、男性優位の感情、上下関係が顔を覗かせることがあります。しかし、教会において結婚を誓約するということは、互いに愛をもって仕え合う関係を実現していくということ、そして仕え合う関係を二人の間だけにとどまらず、社会において実現していくということを、公に宣言することを意味するものでもあります。

この仕え合う関係は、もちろん、結婚する男女だけのことではありません。たとえば先生と生徒、親と子ども、あるいは先進国とそうでない国。あらゆる関係において、私たちは、支配する・されるという関係を乗り越えて、愛によって互いに仕え合う関係へと変わっていくことが求められています。皆に仕える者になりなさい、とは、そのような世界の根本的な変革を求める、イエスの大きなヴィジョンへの呼びかけでもあります。私たちがそのようなヴィジョンに向かって、この学校で学び、またこの社会で歩んでいければと思います。
(チャプレン 相原太郎)


中庭花壇

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