卒業・修了礼拝「愛をもって仕えよ」2022/3/16
【ガラテヤの信徒への手紙5:13~15】
5:13 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
5:15 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。
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私たちは、人との関わりの中で生きています。すなわちそのことは、私たちが、自分自身の人生、自分自身の時間、自分自身の命を、他の人と少しずつ分かち合いながら、あるいは削りながら生きている、ということです。人は、ただ、生物学的な自分自身の命を、ただ長引かせるために生きているわけではありません。
今、ウクライナで大変なことが起きています。ロシアによる軍事侵攻の即時停止を求めます。そして、皆様も、少しでも自分にできることはないか、と思っているのではと思います。例えば、募金をする、SNSで発信する、デモに参加する、ウクライナの人々を覚えて祈る、と言ったことも、自分の時間を使って、自分を削って、自分を他者のために用いる、ということでありましょう。
自分を他者のために用いることの大切さを、長い生涯において家族以外の場で初めて見出すのはどこでありましょう。それは、おそらく、多くの人にとっては、これからみなさまの多くが働かれる、保育や幼児教育の場ではないかと思います。
他人に出会わなければ、傷つかずにすみます。オンラインであれば、隣に誰がいるかを気にしなくていいかもしれません。誰とも会わなければ、あるいは、短い間だけの接触であれば、大変な思いをしている人がいるという現実が、直接、自分の生活に入り込んでくることもないかもしれません。
人と人とが出会い、長い時間を一緒に過ごせば、意見のすれ違いもあります。傷つくこともあります。しかし、それでも、私たちは、人と出会うことによって、喜びを分かち合い、悲しみを共有します。自分自身だけの心地よさを超えて人と向き合うとき、自分を他者のために用いること、共に生きることの素晴らしさ、豊かさを知ることができます。そのようなことを、最初に味わう場所、それこそが、幼稚園や保育園でありましょう。
自分の時間、自分の命を度外視して、隣人を大切にする、というのは、キリスト教でいう「愛」ということでもあります。そして、その「愛」とは、親しい家族や仲間だけを大事にする、ということではありません。隣人を愛する、ということは、自分の損得勘定を超え、自分にとって都合がよくない人をも大切にする、ということです。また特に、この社会の中で隅に追いやられている人を、あるいは弱い子どもたちを、たとえ自分の命が、あるいは命の一部が、あるいはまた、自分の貴重な時間の一部が損なわれても、かけがえのない人として大事にする、ということです。
そして、このことは、この2年間、自らの感染リスクと向き合いながら、それでも本学で学び続け、実習をしてこられたみなさんが、体験的に学ばれてきたことです。これまでの卒業生とは、次元の異なる、大変な学びの経験をされたことを、どうぞ大切にしていただきたいと思います。 (チャプレン 相原太郎)