大学礼拝「バベルの塔」2022/5/18
【創世記11章1~9節】
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
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バベルの塔は、高い塔を作ることそのものよりも、その目的が問題でした。その目的とは、彼らの言葉の中にある「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」というものでした。
この「有名になる」とは、単に有名人なる、といったようなことではありません。「有名になる」という言葉は、元々の表現では、自分の名前にこだわる、自分にこだわる、というような意味です。別の言い方をすれば、自分を中心にして生きること、自分の強さを土台にして生きる、というようなことです。自分を中心にして生きるどうなるでしょう。自分が世界の中心ですので、周りの人を見下すことにつながってしまいます。そして、神の存在を忘れてしまい、あたかも、自分が神であるかのようになってしまいます。そのことこそが、問題でありました。
その時、聖書によれば、神が、降っていって、バベルの塔の建設を見た、と書かれています。人々は、天に届くような高い塔を建てた、と思っていました。ところが、実際には、神は天からそれを見ることなどできません。塔を見るためには、降ってこなければなりませんでした。つまり、天に届かせよう、という人間の思い上がりは、全くの見当違いであるわけです。神は天に居座って、天まで届く人間を待っているのではありません。実際はその逆で、神が、私たちの間に降りてこられる、ということです。
そして、バベルの塔を見た神は、一つだった言葉をバラバラにして通じなくさせて、そのような企てが起きないようにしました。
このストーリーで興味深いのは、人間が、神になったかのように思い上がり、周りの人を見下して、自己中心的になると、言葉が通じなくなってしまう、ということです。
言葉が通じない、というのは、日本語や英語といった言語のことではないように思います。自分のことばかり考えると、相手の言うことが耳に入らなくなってしまう、ということではないかと思います。あるいは、相手の言葉を、自分に都合のいいように解釈してしまう、ということです。
したがって、ここでのポイントは、相手の語る言葉に率直に耳を傾けられるか、ということだと思います。自分のことしか考えず、他の人のことはどうでもいい、という想いから、解き放たれることです。それによって、相手と通じ合うことが可能になる、ということです。
イエスが示された愛も、自分が高みに立って、隣人に対して、自分の考え、自分の存在を押し付ける、ということではありませんでした。むしろその正反対でした。イエスは、徹底して自分中心の考えから離れ、高みではなく、むしろ自分を低くして、全身全霊で、他者の痛み、悲しみ、苦しみ、そして喜びに寄り添われました。とりわけ、当時の社会から排除され、差別され、抑圧を受けていた人たちと共にあろうとしました。
それは、全ての人が、本来、神に似せて作られた素晴らしい存在であり、神に愛されているのだ、という確信がイエスにあったからに他なりません。イエスの愛の生涯とは、バベルの塔の建設とは、全く反対の事柄であるわけです。
私たちは、「愛をもって仕えよ」という建学の精神の中で学んでいます。それは、ここでの学びが、あたかも自分のための高い塔を建設するかのように、自分のためだけにするものではない、ということです。むしろ、その反対に、神が私たちの間に降りてこられたように、自分を低くし、他者の痛みを知り、その声に耳を傾ける、ということです。
バベルの塔の物語が示しているように、自己中心的な生き方は、結局は、人との関係が消えていき、身の破滅を招きます。私たちは、そのような生き方から離れていくことによって、豊かな生き方がもたらされることを、イエスによって知らされています。私たちは、そのことに感謝しながら、愛をもって隣人に仕えてまいりたいと思います。 (チャプレン相原太郎)