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大学礼拝「剣を打ち直して鋤とする」2022/9/21

カテゴリー:大学礼拝

【ミカ書4章1-3節】
4:1 終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい
4:2 多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。
4:3 主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。

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みなさん、今日は何の日かご存じでしょうか? 9月21日は、1981年の国連総会でコスタリカの発案によって制定された、国際平和デーという日です。世界の停戦と非暴力を祈る日になっています。(International Day of Peace)
2002年から、この日は「世界の停戦と非暴力の日」として、この日一日は敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けている日です。

2022年2月24日、ロシアがウクライナへの本格的な軍事侵攻を開始して、すでに7ヶ月の間戦争が継続しています。日本は、この戦争の直接の被害は受けていませんが、もちろん戦争に無関係ではありません。隣の国ではミサイルの発射実験が行なわれ、わたしたちが大切にしてきた平和憲法の「改正」が議論されているこの時代です。それぞれの国の権力者が、自己の利権のため様々に企みを巡らせているこの時代に、力のないわたしたちは平和実現のために、あまりにも力が無いことを思いしらされるばかりです。

しかし、聖書はわたしたちにも、世界の平和のために出来ることがあると、希望を示してくれます。剣や槍という戦いの道具はかならず、鋤や鎌という農耕具に打ち直され、平和をつくりだすのです。
今日の聖書箇所は旧約聖書のミカ書4章1-3節です。預言者ミカは紀元前8世紀頃の預言者です。イスラエルがアッシリアとの戦いに敗れた、そのすぐ後の時代の人です。ミカは、イスラエルの人にとって思いもよらなかった預言をします。なんと神さまがイスラエルの罪ゆえに、わざわざ敵を立てて、イスラエルを攻撃させるというのです。とうぜん神さまは自分たちイスラエルを守ってくれる存在であると思っていたのに、預言者ミカは、イスラエルが罪を犯せば、神さまは敵を仕立ててイスラエルに攻撃をしかけるというのです。

では、イスラエルの罪とは、何であったのでしょう。力を持つものが、富んでいる者が、貧しい人々、力のない人々をないがしろにしていたことでした。貧しい人々、力のない人々は、困難な生活を強いられていたのです。通りに、イスラエルはアッシリアに敗れます。その時になって、やっとイスラエルの人々は、自分たちが敗れたのは、神さまの教えを無視し、貧しい人々、力を持たない人々をないがしろにしたからだと思い知ったのです。隣人の困難に心を寄せず、その苦しみ、痛みを無視するようなわたしたちの生き方が、争いを起こすことを、聖書は指摘し、神さまはその過ちを悟らせるために敵対して立たれるのだと、聖書は語るのです。神さまは滅ぼすためではなく、再び命を光り輝かせるために、裁きを与えられるのです。

しかし、ミカは預言を続けます。わたしたちが悔い改めれば、神さまはふたたび顧みてくださり、二度と剣を取って戦うこと学ばず、鋤に打ちなおして平和を学ぶようになるというのです。なぜならば戦いに敗れ、イスラエルの裕福な、力を持つ人々も土地を奪われ、すべてのイスラエルの人々が力をなくし、貧しくなり、その痛みを知る者となるからなのです。聖書が語る平和を作り出すための道は、わたしたちが隣人の痛みを知るようになることです。独占があるところでは争いがあり戦いがあります。分かち合うところでは、共に命が生かされ、「平和」を作り出すための道が開かれるのです。

預言者ミカは平和の君、救い主がベツレヘムから出ると預言しました。わたしたちのもとに、お生まれくださるイエスさまのもとでは、誰もが乏しくはなく、すべての人が満ち足りる平和が実現しるのです。どうかこの世界に、本当の平和が実現しますように、そのためにわたしたちが、あきらめることなく、分かち合いの歩みを始めてゆくことが出来ますように。
(チャプレン 後藤香織)

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