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大学礼拝「天の国のたとえ」2022/10/26

カテゴリー:大学礼拝

【マタイによる福音書13章44~48節】
13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
13:47 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。
13:48 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。

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 イエスは、天の国について、からし種、パン種、畑の宝、真珠、湖の中の魚と、立て続けに譬え用いて語っています。

からし種とは、直径1ミリくらいの小さな種です。しかし、成長すると、1メートルから3メートルにも伸びます。すると。茎や枝は硬くなって、小鳥の重さにも耐えられるようになります。天の国は、そんな小さな種に似ている、ということです。

パン種も小さなものです。しかも当時、「パン種」という言葉は、腐敗というニュアンスが強く、悪いイメージがありました。しかしそんなお荷物のような存在がパンを大きく膨らませます。天の国はそんなパン種に似ている、ということです。

からし種もパン種もほとんど目に見えません。小さく、とるに足りず、弱々しいものです。しかし、それが予想を超える力を発揮します。大きく、豊かな実りを生み出します。イエスは、天の国とはそのようなものだ、小さく、弱いものこそが、豊かな実りをもたらすところだ、と語るわけです。

次のたとえは、隠されていた宝を畑で見つけ、持ち物を売り払ってでも、その畑を丸ごと買う、それほどの喜びがあるものだ、というものです。当時の社会は政情が不安定であったため、財産をどこに蓄えておくかは大きな問題でした。人によってはそれを畑に隠すこともありました。ただ、畑に財産を隠した場合、持ち主がなくなると、財産をどこに隠したのか誰にも分からなくなる、ということが起きていました。それを他人が見つけるということは、ほとんど起こりえないようなことでした。ですので、たまたま畑を耕していた小作人が隠してあった財産を見つけるということは、大変な偶然です。天の国とは、そのような予想もできないような大きな喜びがある、ということです。

さらに次のたとえは、高価な真珠を見つけ出す、というものです。こちらは、偶然見つかる畑の中の財産とは異なり、自ら探して見つけるというものです。しかし、やはり持ち物を売り払ってでもそれを手に入れる、とあります。

畑の宝も真珠も、それが偶然の発見であれ、頑張って見つけたものであれ、今まで持っていたものを売り払っても構わないほどのことだ、ということです。つまり、天の国を見出す、ということは、それは言い換えれば、天の国とは、今まで自分が持っていたもの、自分が頼りにしていたものを、全部手放しても構わないというようなものだ、ということです。これまで自分を支えてきた日常、あるいは縛られてきた価値観から、解放され、自由になる、とも言いうることです。

ここまで見てきたように、イエスは、天の国のたとえを、人々を取り巻く生活の出来事の中から選んでいます。しかも、小さなからし種、目に見えないパン種、畑の中に隠されていた宝、めずらしい真珠、あるいは、海や川の中の魚といったものです。

これが意味するところは、天の国とは、どこか聖なる空間にではなく、ありふれた日常の中にある、ということです。天の国は、私たちの身の回りにある。そして、それは、とっても小さく、目に見えないかもしれない。だけれども、すでにこの世界の中に、確実に隠されているものです。

では、身の回りの生活の中で天の国を見出すとは、具体的にはどのようなことでしょうか。それは、イエスの生涯を通して私たちに示されています。

例えば、重い皮膚病を患い、生きる場を失い、神からも見捨てられたと思っていた人が、イエスと交わり、癒やされた、ということです。あるいは、誰からも嫌われていた徴税人のマタイが、イエスと出会い、一緒に食卓を囲むことで、生きる望みを回復した、ということです。

そのような奇跡のような交わりの中に、天の国が見出される、ということです。そのような愛によって仕える生き方においてこそ、それがたとえ小さなものであったとしても、天の国のしるしを見出すことができる、ということです。もちろん、最終的な天の国の実現は、この世の終わりの時かもしれません。しかしながら、今、私たちが生きるこの現実の中に、一人一人の日常の中に、愛によって仕える働きがあり、そこにこそ天の国のしるしは確実に存在し、神の国は実現し始めています。     (チャプレン 相原太郎)

 

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