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カテゴリー:年間聖句 の記事一覧


 

 

 

 

 

2018年度 年間標語:「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書13章34節)

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柳城の建学の精神は「愛によって互いに仕えなさい」ガラテヤの信徒への手紙5章13節)という聖書のみ言葉にあります。皆さんは入学以来何回もこのみ言葉を聞いてきたことでしょう。このみ言葉の背景には、今年度の年間標語であるイエスさまが言われた「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書13章34節)があります。

この言葉はイエスさまが十字架の死を目前にして、弟子たちに言われた遺言です。

キリスト教の教会では来週1週間(25日の日曜日から31日まで)を受難週と呼び、1年の中で最も厳粛で大切な日々を守ります。イエスさまがエルサレムの都に入られ、弟子たちと木曜日に最後の晩餐(夕食)をされ、その夜、ユダの裏切りによって捕らえられ、その翌日の金曜日には裁判で死刑の判決を受け、自分がはりつけになる十字架を背負って、ゴルゴダの丘へと歩まれました。そして午後3時頃、十字架の上で息を引き取られました。

けれども、父である神さまは3日目(日曜日)の朝早く、イエスさまを復活させられました。これが復活日(イースター)の出来事です。イエスさまの復活の出来事からキリスト教が生まれたのです。

キリスト教は愛の宗教であると言われます。それは、イエス・キリストが2000年前、この世のご生涯の中で、神の愛を目に見える形で、はっきりお示しになったからです。何の罪もないお方が罪ある人の身代わりになって、その罪を背負って死んでくださり、罪を滅ぼしてくださいました。これが十字架の出来事です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と言われたイエスさまは、そのお言葉どおりの生き方を十字架の上で実現されました。イエスさまの死は、罪を滅ぼす神さまの愛、罪ある人をお赦しになる神さまの愛そのものであり、イエスさまの復活(よみがえり)は神さまの愛の勝利であり、死が終わりではなく、希望をもって新しく生きる命の出発点となりました。

わたしたちはとてもイエスさまのようには生きられませんが、その生き方をしっかり見つめる時、わたしたちが日々出会う人々に対して、どのような関わり方をしていけばよいかがわかってきます。本当に愛していこうとすれば、そこには痛みや苦しみを伴う多くの赦しが必要となってきます。痛みや苦しみを伴う赦しを通して、愛することの本当の意味、素晴らしさがわかってきます。また愛されていることの中には、愛してくれる人の、目に見えない痛みや苦しみを伴った赦しがあることに気づかされます。

2年生の新学期を迎える今、同学年の友人たち、そしてまた入学してくる新入生とともに希望をもって、イエスさまが示してくださった愛の実現(人を赦し、受け入れること)を目指して、豊かな学び舎での日々を送ってください。(チャプレン主教大西 修)

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、
一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
【コリントの信徒への手紙一 2:26】

この言葉は、新約聖書の中で、体のバランスについて語られた箇所に登場します。誰でも、自分の体に好きな部分と嫌いな部分とがあって、それで全体が一つの体です。体の中の、ほかよりも恰好が悪いと思われている部分も欠かすことのできない大事な部分です。

あなたが苦しいときに共に苦しみ、あなたが嬉しいときに共に喜んでくれる人が必ずいます。そういう社会を私たちは作っていかなければなりません。悩んだ時は決して一人で抱え込まないことです。誰もが同じように悩んでいるはずなので、あなただけが心配する必要はありません。

ぜひとも「愛をもって仕える」という本学の建学の精神を発揮して、互いに支え合って下さい。

(本学の前チャプレン田中誠司祭が、最後の大学礼拝で語られた言葉より)

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
【ローマの信徒への手紙12:15】

キリスト教センターのメンバーのそれぞれが候補となる聖句を持ち寄り、最後は多数決で上記聖句が年間聖句に決まりました。多数決? 違和感を持たれる方もいらっしゃるかとは思いますが、採決を通してメンバーそれぞれの思いが計り知れて、結構、センターとしては信仰的に深められたような気がします。

この聖句はたいへんポピュラーなものの一つです。イエス・キリストの使徒パウロが「キリスト教的生活の規範」を示すために用いた言葉の一つで、元をただせばイエス・キリストの言葉「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコによる福音書12:31)を具体的にどう実践するのかを表しています。

昨年度に引き続き、「チャペルは、あなたに開かれていますよ」という熱いメッセージが、この聖句には込められています。静寂の中で自分自身を振り返り、その上で、たとえ一瞬でもいいから、周囲の人の気持ちを理解し分かち合って欲しい。そんな素敵なひと時を学生と教職員の皆さんに提供できるように努力したいと思います。それはひょっとすると「礼拝」という枠を超える作業になるかもしれませんが、「愛をもって仕えなさい」という本学の建学の精神を世に示すための、これが私たちキリスト教センターのスタッフに与えられた神のご計画なのだと信じたいです。主に感謝! (加藤)

 

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」
【マタイによる福音書11:28】

必要なときにいつも開かれているチャペル――

今年度の年間聖句は、そうした思いを込めて、新約聖書の「マタイによる福音書」(11:28)から、この聖句を選びました。

名古屋柳城短期大学では、学期中の毎週水曜日13時から14時40分まで、比較的長い礼拝の時間をもっています。学生のみなさんが誰でも礼拝に出席できるよう、その時間はどの学年も授業が入っていません。そのため礼拝時間はゆっくりと昼食をとったり、友人たちと過ごしたりする貴重な時間にもなっているようです。また、この時間を使って制作などの課題やピアノの練習に取り組んだり、レポートを書いたり、授業の予習や復習に励んでいる人もたくさんいるようですね。
そういう時間は、短大での忙しい日々のなかで、とても大切なものです。キリスト教センターとチャペルは、礼拝出席を義務づけたり強制したりはしていません。

それでも、チャペルでは毎週の礼拝をもちながら、みなさんが来られるのを待っています。そして、来ることのできないすべての人たちを覚えて祈っています。短大生活の中では、ときに乗り越えられないように思える壁にぶつかったり、すぐには解決できそうもないような困難に直面したりすることもあるでしょう。自分でやれることは精いっぱいやったけれども、それでも解決できないような問題が生じることもあるかもしれません。
たとえばそのようなとき、悩みや苦しい思いを神様の前で分かちあい、共に祈って、固くなった心と体を休ませるような場としても、チャペルは開かれています。

静かに自分自身と向き合い、大いなる存在と向き合う時間の中で、気持ちがほぐれて、落ち着きをとりもどしてふたたび日々の生活に戻っていくことができる。そんな時間が、チャペルでの礼拝です。

あなたが本当に必要としているときに、いつも、チャペルは開かれています。 (村田)

 

「平和を実現する人々は、幸いである」
【マタイによる福音書5:9】

山上の説教と呼ばれているイエスの言葉の中にあるこの聖句が、今年度の年間標語です。

この聖句に込められた私たちの思いはこちらでご覧いただけます。

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