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今年度の式典の模様をお届けします。

コロナ禍が続く中、参加者は昨年度と同様に、その人数に制限がかけられました。

結果、学生さんは各クラスで2名の宗教委員のみ。教職員は全員でしたが、役員さんは講演者の土井司祭さんだけでした。参加者は以上が全てです。

この程度の人数なら、体育館で行う必要もなかろうということで、式典の場所は大教室に移ったくらいです。実に寂しい式典となりました。

でも、それは見た目だけで、内容は例年同様の充実ぶりだったと思います。これが伝統のチカラということでしょうか。神からの憐れみを受けて、私たちは今年も学院創設者のマーガレット・ヤング宣教師への思いと未来への決意を新たにした次第です。

以下、写真とともに式の様子を振り返ってみます。

【学校法人 柳城学院 創立123周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 231教室)】

■前 奏 (扶瀬 絵梨奈 本学講師)

■登 壇
■詩 編  第23編

■創立123周年記念の祈り

永遠にいます全能の神よ、わたしたちのすべての時はあなたのみ手の内にあります。今、この学院が創立123周年を記念する時を迎えることができましたことを感謝いたします。この歴史の中で、あなたはわたしたちのさまざまな努力を最も良いものとして受け入れ、さまざまな出来事を達成へと導いてくださいました。また、わたしたちがあなたのみに頼ることを知るようにと、さまざまな失望や失敗をも与えられました。これらすべての出来事のゆえに感謝いたします。どうか、この学院がこれからも変わることなく、あなたのいのちに満たされ、学ぶこと、見いだすこと、叡智を求めることに熱心でありますように。また、教える者と学ぶ者に共に恵みを与え、すべての真理の源であるあなたを見いだすことができますように。主イエス・キリストによってお願いいたします。

■聖 書 (相原チャプレン) ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

■式 辞 理事長・学長:菊地伸二  →こちらでご覧ください。

■特別講演 「天国へ生まれ出る」
日本聖公会中部教区 主教補佐 テモテ 土井宏純 司祭 →こちらでご覧ください。

■平和の挨拶

■主の祈り

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン

■諸 祈 祷
◇名古屋柳城女子大学・名古屋柳城短期大学のための祈り
◇附属幼稚園のための祈り
◇創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
◇本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

■感謝の祈り

天の父よ、み子イエス・キリストは幼子を祝福し、神の国はこのような者の国であると教(おし)えてくださいました。どうかみ名によって建てられた柳城学院に恵みを下し、ここに集うわたしたちが主のみ旨に従って、心もからだも健やかに成長し、信仰の道を学び、主に仕えてみ栄を現すことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。

■祝 祷

計り知ることのできない神の平安がキリスト・イエスにあって皆さんの心と思いを守り、ますます深く父とみ子を知り、かつ愛させてくださいますように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常に皆さんとともにありますように。

■後奏

【礼拝終了後、永年勤続者表彰式が行われました】

昨年度は、創立記念礼拝の簡素化の影響で、礼拝後に予定されていた墓地礼拝が取りやめとなりました。残念でしたが、コロナ禍では致し方ありませんでした。

この経験を活かして、今年度は、記念礼拝とは別日で日程を組んで、学長並びに宗教委員会のメンバーだけで墓地におもむくことにして、今も続くコロナ禍を耐えしのぐという決断をした次第です。

以下、簡単ですが、チャプレンのお話の要点と墓地礼拝の写真だけを掲載することにします。

【下原チャプレンのお話の要点】

仏教文化に影響された日本の一般的なお墓参りに大切な意味が込められているのと同様に、キリスト教にけるお墓参りにも重要な意味が存在する。

その意味を知る上で大切なイエス・キリストの言葉は、

「あなたはペトロ。わたしはこの岩(=ペトロ)の上にわたしの教会を建てる。」(マタイ16:18

ペテロはイエスの弟子の1人だが、このイエスの言葉を頼りに、カトリック教会はペトロを初代教皇にすえ、今日まで脈々と教皇の代を受け継いでいる。そして、そのペトロの墓もイエスの言葉に従い、カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ(=聖ペテロ)大聖堂の地下に納められていて、カトリックの信者らは、これによってペテロを立てる、つまり、その生き様をまねるという使命を帯びることになる。

同様に、名古屋聖マタイ教会の下には納骨堂が安置されていて、私はこの礼拝堂で礼拝をささげるたびに、足の下で眠っておられる先達らに思いを寄せて、この教会の信仰を引き継いだ人々のことを忘れないようにしている。

そして本日、マーガレット・ヤング先生が眠るこの八事の地に集う私たちは、柳城で働く意味を再確認しようとしている。今日は教職員だけの参加になったが、こういう機会を学生全員にも是非持ってもらい、ヤング先生の姿を偲びながら、どんな保育者になればいいのか、子どもたちに何を伝えたらいいのかと自分自身に問いかけてもらいたい。

これがヤング先生の上に立って生き続けるという意味であり、今日のお墓参りの目的である。この気持ちをこれからも大切にしていきたいものだ。

 

今年度の式典の模様をお届けします。

今回は新型コロナウイルスの感染が心配される中での開催となりましたが、主の尊いお恵みより無事に日程を終えることができました。感謝です。

例年と大きく異なったのが学生さんの参加を宗教委員だけに限定したことです。
体育館における三密を緩和するにはやむを得ない措置だったと思います。

ただ、式典後に行わる墓地礼拝の方は、その三密が発生する恐れがあったため大事を取って中止としました。
(後日、有志を募って出向く手はずは整えました。)

■学校法人 柳城学院  創立122周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 体育館)

〇前 奏(一同黙祷)伴奏:長井 典子講師
 

〇聖 歌  第367番「イエスきみはいとうるわし」【創立者愛唱聖歌】
 

〇詩 編  第23編
 

〇創立122周年記念の祈り

〇聖 書  ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

〇式 辞    理事長・学長:菊地伸二
 

創立記念礼拝には、毎年同じことを繰り返して行うという面と、その年だけの固有の意味合いを込めて行うという、両方の面があります。

今年だけの固有な意味合いとしては、122周年記念礼拝は、柳城学院の歩みの中で、新たに名古屋柳城女子大学という四年制大学が開学し、誕生したということが挙げられます。また、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、今年度の学年暦の進行には特段の配慮をしているということもその特徴として挙げられるかもしれません。現にこの記念礼拝も、例年とは少し形を変えて、全教職員と学生の代表者で行うといういわば規模を縮小して開催していますし、午後の墓地礼拝を行わなかったことも、近年にはなかったのではないでしょうか。

他方で、記念礼拝には、毎年同じことを繰り返すという側面があります。それは、一年に一度、本学院の出発点、原点を見つめ直し、新しい時代の中で、学院の存在理由やその向かうべき方向性を皆さんと分かち合い、確認しあうという意味合いがあります。

また、記念式典あるいは記念という言葉には、単にむかしのことを思い出すという意味から、そのことを記憶に刻むという意味、さらには今日において、その出発点の精神を再現するという意味までさまざまあります。

✝ ✝ ✝

 創設者マーガレット・ヤング先生の精神のうちには、今日において、単に思い出したり、記憶に刻みこむだけでは足りない、新たに再現すべきことがらが含まれているように思います。

マーガレット・ヤング先生は、柳城保姆養成所の初代校長ですが、ちょうど今から100年くらい前にあたる1919年の、ある卒業生の幼稚園教師資格証明書は、日本語と英語で記されていて、ヤング先生の肩書は、日本語では、「私立柳城幼稚園保姆養成所長」と記されております。その表現からは、この学校は柳城幼稚園の先生になるための養成所であるということを強く伝わってきます。また英語では、Ryujo Kindergarten supervisorと記されており、そこからは、柳城幼稚園という一つの全体があって、その全体を見渡す役割を担っていたのがヤング先生であったように読み取ることができます。英語と日本語のニュアンスの違いはもちろんありますが、いずれにしても、ヤング先生の軸足はかなり柳城幼稚園の方に置かれていたといってもよいかもしれません。

✝ ✝ ✝

 わたしたちは、ときどき、人生の歩みを階段にたとえることがあります。今日、教育制度の階段では、幼稚園あるいは保育園はその最初のステップとみなされています。そして小学校、中学校、高校、大学へとステップをあがっていくのがわたしたちの歩みであります。

けれども、一方で、高校から大学・短大へと一段あがっていき、さらに、その上に、幼稚園というステージがあるという見方もできるのではないでしょうか。とくに、この学院に属するわたしたちには、そのために、2年ないしは4年間をかけて、幼稚園・保育園・こども園というステージにあがっていくという姿勢が求められているように思います。現行の教育制度に即した表現をするならば、このいわば、「下にあがっていく」もしくは「上にくだっていく」とでもいうような精神的態度が求められているようにも思います。これは、ヤング先生が好んで用いた「愛をもって仕える」という精神にもつながるものでありますし、この4月に誕生した名古屋柳城女子大学の特色あるプログラムである「こどもを学び、こどもに学び、ともに学ぶ」という姿勢のうちにも、十分に認められるものであると考えます。

✝ ✝ ✝

 この後、西原先生から「キリスト教大学に求められるグローバル化」というテーマの講演をいただきます。どのような内容であるかはまったく知りませんが、この学院が、120年以上前にカナダの一人の宣教師によって、きょうのテーマを考えるための最初の種をまかれていることを覚えながら、私の式辞を終えたいと思います。

〇特別講演 「キリスト教大学に求められる<グローバル化>とは」
日本聖公会中部教区 第10代主教 アシジのフランシス 西原廉太
 

【講演の中で印象的だった部分のみをご紹介します(文責:加藤)】

西原先生は、NHKの連続テレビ小説『エール』のキリスト教考証を担当された経験をもとに、様々なエピソードを披露されました。

その中でも、ヒロインの母親役を演じる薬師丸ひろ子さんが無伴奏で讃美歌「うるわしの白百合」を歌うシーンについてのお話が特に印象的でした。空襲で焼け野原となった瓦礫の山の中で、哀しみながら歌うその姿は、世間に大きな反響を呼んだそうです。

この場面、元々の台本では「戦争の、こんちくしょう! こんちくしょう!」と唸りながら地面を叩くシーンであったのが、薬師丸さんの提案でこのように変更になったとのことです。

その理由について、玉川大学出身の彼女は在学中に「うるわしの白百合」を何度も歌った経験が、そのような提案に結びついたのでは、というのが西原先生のご意見でした。

また、先生がこの話題をご自身のFacebookに挙げたところ、「痴呆を煩う母親がテレビを見ながら突然歌い出した」という感動的なコメントが返ってきたそうです。

さらに、『プレジデント・オンライン』版に同内容で掲載された記事が10月23日12:40の時点でのランキングで「1時間」1位、「週間」も1位、「会員」も1位、「いいね」が2位となっていたそうです。

これらの事実などを挙げた後、先生はキリスト教主義大学へエールを送ります。

というのも、近年、ミッション系の大学には「キリスト教色を出し過ぎると学生募集に不利になるのでは?」とか「大学礼拝に意味があるのか?」といった迷いを持つ所が多いからです。

でも先生は、大学でのキリスト教活動は「種蒔き」であるとハッキリと述べられました。

つまり、在学中に洗礼を受けさせるといった結果を求めるのではなくて、卒業後に何かのきっかけでキリスト教のコンテンツ(種)を思い出す(芽吹く)ということが大切だということです(確かに、バリバリと宗教活動を大学で行って信徒を増やそうとすれば、学生募集に悪影響を与えるに違いありません)。

それは正に、学生時代に歌った讃美歌を卒業後も覚えていた薬師丸ひろ子さんのお陰で、非常に多くの人がメディアを通してキリスト教の世界に触れることになったという今回の事例が示す通りです。

先生はキリスト教のメッセージとは単純で、それは、負けた人へのエール、絶望にある人への希望だと言われました。戦争の哀しみの中で讃美歌を歌う薬師丸さんのシーンと、それは見事に重なるお話でした。

〇聖 歌  第417番「あなたの平和の」

〇平和の挨拶

〇主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン 

〇諸 祈 祷

名古屋柳城女子大学・名古屋柳城短期大学のための祈り
附属幼稚園のための祈り
創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

〇感謝の祈り

〇祝 祷

〇校 歌

〇後 奏(一同黙祷)

【礼拝終了後、永年勤続者表彰式が行われました】

爽やかな秋空の恵みの中、今年も主にあって創立記念行事を無事に終えることができました。感謝です。以下、式の模様をお伝えします。

■学校法人 柳城学院  創立121周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)

●開始前
座席に配布された「柳城学院百二十周年記念誌」を読む学生さんたち

●前奏(扶瀬 絵梨奈 講師)と司式者団入場
 

●聖歌 第367番「イスきみはいとうるわし」【創立者愛唱歌】

●詩編 第23編
23:1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。

●創立121周年記念の祈り

永遠にいます全能の神よ、わたしたちのすべての時はあなたのみ手の内にあります。今、この学院が創立121周年を記念する時を迎えることができましたことを感謝いたします。この歴史の中で、あなたはわたしたちのさまざまな努力を最も良いものとして受け入れ、さまざまな出来事を達成へと導いてくださいました。また、わたしたちがあなたのみに頼ることを知るようにと、さまざまな失望や失敗をも与えられました。これらすべての出来事のゆえに感謝いたします。どうか、この学院がこれからも変わることなく、あなたのいのちに満たされ、学ぶこと、見いだすこと、叡智を求めることに熱心でありますように。また、教える者と学ぶ者に共に恵みを与え、すべての真理の源であるあなたを見いだすことができますように。主イエス・キリストによってお願いいたします。

●聖書 ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

●聖歌 第498番「主われを愛す」

●平和の挨拶

●主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン

〇諸祈祷

名古屋柳城短期大学のための祈り
附属幼稚園のための祈り

創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

●式辞 理事長 ペテロ 渋澤 一郎 主教

柳城学院の歴史は、121年前にカナダ聖公会のヤング先生が保姆養成を開始したことからスタートしました。本日はヤング先生と最初に行動を共にした杉浦いねさんについて触れたいと思います。

18歳のいねさんは日本語の教師としてヤング先生に接しています。先生はいねさんに幼児教育者としての資質を見たのかも知れません。養成所の最初の生徒になるように勧めますが、いねさんには別の夢があったようです。幼児教育に関心はなく、準備も整ってない幼稚園に勤めることに不安もあったのでしょう。それでもヤング先生は熱心に説得しました。こうして、人、金、物も整わずに柳城幼稚園はスタートしました。

このエピソードは私たちに、気が進まない時でも「やってみよう」と思えば、そこに成長があることを教えてくれています。自分に与えられた道を進むことで新しい展望が開けるということです。

121年目を迎えて、四年生大学の新設、こども園への移行、新校舎建設など、柳城は新しい時代に順応した学院に変わりつつあります。今後とも、ご支援、ご協力、よろしくお願いいたします。

●式辞 学長 長縄 年延

・一人だけの保姆養成、8名の園児の柳城幼稚園。これが柳城学院の始まりでした。それ以来、子どもに寄り添い、親と共に歩む姿勢が柳城の原点です。時代が変化する今だからこそ、「子どもに学ぶ」という初心に帰りたいと思います。

・来年度から定員70名の四年制大学が開設されて、定員130名の短期大学と併設されます。私たちは身を引き締め、力を貯めて真正面から進んでいきます。相撲界で最近話題の炎鵬は168cmと小兵ながら、重心を低くして正面から相手にぶつかっていきますが、私たちもそうありたいものです。

・ミュンヘン国際音楽コンクールのチェロ部門で日本人として初めて優勝した佐藤晴真さんは、実は兄と共に柳城幼稚園の卒園生です。このニュースを知り、将来性のある子どもを預かる仕事の大切さを私は改めて感じました。そして、神から与えられた無限の可能性を秘めた子どものために、これからも初心に帰ってしっかりと前に歩みたいと思います。ご支援とご協力をどうかよろしくお願いいたします。

●聖歌 第417番「あなたの平和の」

●永年勤続者表彰

●感謝の祈り
天の父よ、み子イエス・キリストは幼子を祝福し、神の国はこのような者の国であると教えてくださいました。どうかみ名によって建てられた柳城学院に恵みを下し、ここに集うわたしたちが主のみ旨に従って、心もからだも健やかに成長し、信仰の道を学び、主に仕えてみ栄を現すことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

●祝福
計り知ることのできない神の平安がキリスト・イエスにあって皆さんの心と思いを守り、ますます深く父とみ子を知り、かつ愛させてくださいますように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常に皆さんとともにありますように。

    

●校歌

●後奏(一同黙想)

■第2部 創立121周年記念  特別講演

「創立者~私たちのヤング先生~」
名誉教授 尾上 明子

「ヤング先生は120年前の昔の人ではありません。彼女の精神は私たちの近くに今も息づいています。それを感じていただければ、私の今日の目標は達成されたことになります。」 こう始まった今回の講演。聴衆のすべてにとって、柳城学院の原点を振り返り、自分に与えられた使命を考えるには実に良い機会だったと思います。

そして最後は、「柳城はこのヤング先生の精神を忘れずに、互いに愛し合って進んで行って欲しいと思います」と締められました。以下、この「ヤング先生の精神」に焦点を絞って、その要点を書き留めておきます。

 

・意志の強い信念の人だった。その厳格さは神に由来し、人間味溢れるものであった。

・神と人とを愛した人だった。肺の病にかかった青年を資金援助するために日本語教師として雇い、良い物を食べさせて病からの失望から救った、などという記録がいくつも残っている。

・独身であったが、後に、保姆養成所の卒業生の子どもを養子として引き取って大切に育てた。彼(清水正高氏)は後にピアニスト・オーガニストとして活躍し、ヤング先生の葬儀の際には奏楽を担当している。

・当時まだ貧しかった日本の、特に、女性と子どもに対する温かい眼差しがキンダーガルテン(幼稚園)を生み出した。

・ヤング先生の保育の中心には、「神の愛を伝える」と「フレーベルの教育思想に従う」という二つの柱があった。

・聖書の言葉として、「神は愛です。(Ⅰヨハネ4:16)」、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘ12:1)」、「心の清い人々は、幸いである。(マタ5:8)」がよく用いられた。

・「柳城幼稚園保姆養成所」は幼稚園の附属施設としての性格が強かった。すなわち、子どもと共に大人が学ぶ養成所だったということである。現在の「名古屋柳城短期大学附属○○幼稚園」という名称と比較すると「幼稚園」の位置が逆になっているところが注目される。

・幼稚園の庭から年間プログラムのすべてが導かれている。そこには「神の存在を知る」という明確な目的が示されていた。

・卒園証書には鉢植えパンジーが添えられた。

・1903年に柳城幼稚園に「母の会」が作られた。そこでは、栄養や健康の指導、料理教室、教育やしつけ、洋裁、刺しゅうなど様々な事柄が扱われた。

・決して偏愛されないこと、その博愛的な心、そして、正義心と豊かなる奉仕、また祈りの人であり、その信仰が実生活に生きていること。例えば、ご自分の意見が間違っていたと気がつかれたとき、直ちに心からその誤りをお詫びられた。その代わり、ご自分が正しく神のみ旨にかなっていると思われたときは、最後の一人となるまで、決して主張をまげられず、毅然として突進なさった。人との交わりは、決して一時的なものではなく、一度深く交わればその交わりは永遠なものでした。聖書を学ばれ、常に祈りによって、日々新たなる命の種をお受けになっておられた。先生の思想は、実に気高く聖いものでした。(ボーマン先生によるヤング先生への追悼文より)

 

■学校法人 柳城学院  創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地【八事霊園内】)

 

 

 

 

 

晴天の恵みの中、今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。以下、式の模様を簡単にお伝えします。

■学校法人 柳城学院  創立120周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)

●開始前
座席に配布された「創立120周年記念文集 思い出2」を手にする学生さんたち

前奏と司式者団入場
 

聖歌 第367番「イスきみはいとうるわし」【創設者愛唱歌】

詩編 第23編

創立120周年記念の祈り

●聖書 ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節

聖歌 第498番「主われを愛す」

●平和の挨拶

主の祈り

●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・附属幼稚園のための祈り
・創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

●式辞 理事長  ペテロ 渋澤 一郎 主教

120周年の節目あたり、私たちは先達が作り上げた歴史を振り返るとともに、これからは自分たちで歴史を作り上げていくという意識を持つ必要があります。それは、特別な人に任せればよいというものではなく、一人ひとりに課せられた役割なのです。

聖書には「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか(へブル12:1)」と記されています。多くの証人、すなわち、誠実に務めを果たされた諸先輩方に囲まれて私たちの今があります。それを受け継ぎ、与えられた場所で誠実に働くことで柳城の未来が切り開かれます。「愛をもって仕えよ」という建学の精神を大切にしながら、これからも忍耐強く歩むことを決意しつつ、120周年をお祝いしましょう。

式辞 学長  長縄 年延

1898年に、たった一人の生徒が在籍する保母養成所からスタートした柳城学院が、今年で120年目を迎えました。男尊女卑の習慣が残り、子どもなどに手などかけておれない時代でした。創設者のヤング先生は相当に苦労されたと思います。戦時中は空襲で焼け出されもしました。そういう苦難の歴史が創立百周年記念文集「思い出」で知ることができますが、今回は120周年記念として「思い出2」を発行しました。学生の皆さんには、ぜひ読んで、柳城の伝統を学んでいただきたい。

柳城の多くの卒業生たちが、愛をもって仕える心で日本の幼児教育界に大きく貢献してきました。それが柳城の歴史を作ってきました。しかし、少子高齢化の時代を迎え、18歳人口がピーク時の半分以下にまで減るという事態です。その影響が本学にも押し寄せ、定員を充足することがたいへん困難になってきました。4年制大学の併設等の策を講じて、これからの保育に要求される国際化とか発達障がい対応といった専門的で質の高い教育を目指していかなければなりません。

「子どもに学ぶ」気持ちを忘れずに、初心に帰りつつ、これからも励んでまいります。今後ともご協力をよろしくお願いいたします。

●聖歌 第417番「あなたの平和の」

●永年勤続者表彰
 

●感謝の祈り

祝福

校歌

●後奏と司式者団退場

●来賓紹介

■第2部 創立120周年記念  特別講演
「人生の海に錨をおろして ~神の呼びかけが聴こえますか~」
日本聖公会首座主教(兼 北海道教区主教) ナタナエル 植松 誠 師父
 

「120周年を迎えられたこと、柳城学院の宗教母体である日本聖公会を代表してお祝い申し上げます。私の父が本学院8代目の理事長であったことに不思議な導きと畏れを感じています。」という言葉で始まった一時間余りの本講演。その膨大な情報量のゆえに、講演テーマに沿った一貫性を見いだせない自分の無能さが悲しくなりますが、以下、頑張って要点だけをかいつまんでお知らせします。

柳城学院創設者のマーガレット・ヤング先生がカナダ聖公会の宣教師として、自分の生涯をかけるという決断をしたことに、私はある種の羨望を感じる。それは驚きと羨ましさと言ってもいい。これと同じ感情を、私は12年前にタンザニアのザンジバル島にあるイギリス宣教師らの墓の前で感じた。この地上の楽園は、かつては悪名高い奴隷交易の拠点であったが、宣教師らの死をも恐れない努力によって奴隷解放が果たされたのだ。奴隷の地下牢跡の上には、現在、英国国教会の教会が建っている。

また、ロンドンでの会議に出席した際、私は、主教の出で立ちで十字架を首から下げていたにもかかわれず、「あんた、クリスチャンかね?」と、ある男に尋ねられたことがある。「もちろん! クリスチャンだ。主教だぞ。教会にも通っているし、聖書を読んで祈りもささげている!」と答えることもできたかもしれない。でも、振り返ると、あの質問の意味は「あんたは、キリスト教の福音を伝えるために命を懸けているか?」ということであったのだろう。あの男は天使だったかもしれない。

大阪釜ヶ崎にある労働者支援施設「ふるさとの家」に物資を届けに訪れた時のこと。食事の支度で忙しい中、奥から出てきた方は、あの有名な旧約聖書学者、本田哲郎神父だった。彼自身も日雇い労働に携わり、労働者からキリストの福音を学んでいるという。同じカトリックの森一弘神父は、「本当の権威とは、真実/誠実な人生の歩みからもたらされた知恵」だと語る。イエスが五千人に食べ物を与えた奇跡において、全員が草の上に座ったのは、群衆がイエスに権威を感じたからであろう。小さき者の側にいつも立つ、そのような権威が柳城の保育には備わっているに違いない。

家の引っ越し直前になって、うちの子どもがチューリップを庭に植えたいと言って聞かなかった。植えたところで無駄になることは目に見えているので、止めるよう説得したのだが、よくよく理由を聞いてみると「次に住む人がびっくりして喜ぶから!」というものだった。

また、妻が子どもの頃の話だが、幼稚園の月謝袋を親に渡さずに道路の植え込みに隠したことがあったという。子ども心に家が貧しいことを察して、その月謝袋を母親に見せると悲しむに違いないと思ったそうだ。当然、母親には怒られたが、訳を話さず無言を通した。そのうちに園の先生から「何か考えることがあって、したのね?」と言われて、やっと口を開いたという。

さらに、これもうちの娘の話だが、小さい頃から物事がスローな性格で、それが元でいじめに遭い、人間関係のもつれもあって、そのうちに物を食べなくなってしまった。ストーブの前でただ座る娘に私たちは絶望した。しかし、そのうちに妻が開き直った。「ハチミツだけをなめる娘だが、それでも神に生かされている。それを喜ぼう!」と。妻は、娘と一緒にいることが嬉しいというメッセージを送り続けた。そして娘は徐々に回復し、6年前に嫁いでいった。

私たちは子どもの心を理解し受け入れることを通して、神が背後で私たちの全てを理解し無条件に愛してくださる存在であることを子どもに知らしめる必要がある。それがキリスト教保育の本質であり、柳城学院創設者ヤング先生の願いであったであろう。

■学校法人 柳城学院  創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地【八事霊園内】)

●送迎バスを使って目的地へ向かいました。

●礼拝
お話しでは、マーガレット・ヤング先生のご生涯が詳しく語られました。
 

 

●献花
 

(加藤)

晴天の恵みの中、今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。以下、式の模様を簡単にお知らせします。

■学校法人 柳城学院  創立119周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)

 

 

 

 

 

前奏:司式者団が入場します。

 

 

 

 

 

聖歌:367番「イスきみはいとうるわし」【創立者愛唱歌】
●詩編:第23編
創立119周年記念の祈り
聖書:ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

 

 

 

 

 

 

聖歌:498番「主われを愛す」
●平和の挨拶

 

 

 

 

 

主の祈り
●諸祈祷
名古屋柳城短期大学のための祈り:全能の神よ、わたしたちはただ主の賜物によってまことの知恵を得ることができます。どうか、み名によって建てられた名古屋柳城短期大学に恵みを下し、教える者と学ぶ者を祝福して、共に知識を深め、主の真理を悟り、愛をもって互いに仕え、謙遜な心で唯一の神を仰ぐことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

附属幼稚園のための祈り:天の父よ、あなたのみ名によって建てられた幼稚園、ことに名古屋柳城短期大学の附属幼稚園である柳城幼稚園、豊田幼稚園、三好丘聖マーガレット幼稚園を覚えて祈ります。どうか、子どもたちと教職員を祝福し、豊かな出会いと交わりを通して、ともに光の子として歩むことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

式辞:理事長 ペテロ 渋澤 一郎 主教

マーガレット・ヤング先生が1898年に自宅で保母養成を始めてから119年を迎えました。今年もこうして記念礼拝を行なえること、あらためて神様に感謝したいと思います。柳城学院も変革期を迎えています。新たな気持ちでスタートしましょう。

今日11/1は聖公会の教会歴で「諸聖徒日」に当たります。色々な聖人らを覚える日ですが、ヤング先生ほか、柳城に関わったすべての人々を覚える日としてもふさわしいのではないでしょうか。

本日の講師である西原廉太司祭は、教会を「鳥の巣」に例えておられます。小枝やビニールなどの様々な物が組み合わさって作られている巣ですが、これが意外に頑丈です。柳城も同じですね。建学の精神である「愛をもって仕えよ」という気持ちで互いに心で強く結ばれて、鳥の巣のように丈夫な柳城を作っていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

式辞:学長 長縄 年延

すばらしい天気になりました。今日を祝ってくれているようです。

来年の120周年記念に向けてキャンパス整備工事が始まりました。正門にあった桜とメタセコイヤが切られてすっきりはしましたが寂しさも残ります。1期工事として来年3月までに学食とラーニングコモンズを有する棟が完成し、それに伴ってキッズルームは3号館へ移設されます。続く2期工事では、来年度、1、2号館をつなぐ棟が完成することでロッカー室が広くなりピアノ個人練習室も増えます。学生満足度調査を踏まえたベストな案ではないかと思っています。工事によって学生の皆さんにもご迷惑をおかけしますが、将来の柳城のためにご協力をよろしくお願いします。

40名から始まり100、150、200と定員を増やしてきた本学ですが、卒業生の総数は7961名で、保母養成校の時代の318名を加えると更に増えます。この大変な数の皆さんが地域の子育てや保育に貢献されてきました。それと共に、これらの方々のお陰もあって本学の就職率は100%を維持しております。

少子化の影響で入学者の確保が難しい時代になりました。それでも1人ひとりが神からいただいた命です。大切に育ててまいります。

建学の精神を胸に、これからも愛と奉仕の業に歩んでいって欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

聖歌:417番「あなたの平和の」
●永年勤続者表彰

 

 

 

 

 

 

●感謝の祈り:天の父よ、み子イエス・キリストは幼子を祝福し、神の国はこのような者の国であると教えてくださいました。どうかみ名によって建てられた柳城学院に恵みを下し、ここに集うわたしたちが主のみ旨に従って、心もからだも健やかに成長し、信仰の道を学び、主に仕えてみ栄を現すことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

●祝福
●校歌
●後奏:司式者団が退場します。

 

 

 

 

 

●来賓紹介
●名古屋柳城短期大学 特別給付奨学金 2年次奨励奨学生表彰

 

 

 

 

 


■第2部 創立119周年記念  特別講演

「創立120周年を迎えるにあたって」-聖公会の中での柳城学院の存在-
学校法人立教学院 副院長 アシジのフランシス 西原 廉太 司祭

本講演の要旨は「597年から続く聖公会の輝かしい歴史の時間と空間の中で、名古屋柳城短期大学は他の聖公会関係学校と共存にしているので、皆さんには、この事実を胸に、誇りを持って歩んでいって欲しい」というものでした。歴史に裏打ちされた権威なるものが、かなり強調されていたように感じました。保育/介護という美しい「草の根的世界」で頑張ろうとする柳城生の心にどれほど響いたでしょうか。

講演で語られた膨大な情報のすべてをここでは紹介できませんが、要点だけをかいつまんでお知らせしておきましょう。

・アメリカのウィリアムズ宣教師が日本への宣教を開始した1859年を日本聖公会の元年としている。彼は立教学院の創始者であり、日本聖公会の初代主教でもある。

・イギリスのバチェラー宣教師は、1877年に北海道(函館)伝道を始めたことを契機にアイヌ民族と深く関わることになる。歌集『若きウタリに』の著者であり聖公会の伝道者でもあったバチェラー八重子は彼の養女である。また、聖公会のクリスチャンでユーカラの伝承者であった金成(かんなり)マツは彼の設立した学校に入学している。『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵(ちりゆきえ)はマツの妹の娘である。知里も聖公会のクリスチャン。

・講師が管理牧師を勤める岡谷聖バルナバ教会は、カナダ聖公会から派遣された司祭によって建てられた。当時、製糸業で過酷な労働を強いられていた工女さんらは、この教会で癒され救われていた。

・597年、教皇グレゴリウス1世から派遣されたオーガスティンが、英国カンタベリーに修道院を建てたのが聖公会のそもそものルーツである。カンタベリー大聖堂は全世界聖公会の総本山で、そこの主教座は権威のシンボル的存在。その権威は椅子から座る者へとインストールされるとみなされている。現カンタベリー大主教は第105代ジャズティン・ウエルビー。

・トレント、ヤング、ボーマン、ホーキンスと続くカナダ聖公会の女性宣教師の活動で今日の柳城があるといえる。彼女らの当時の記録や手紙などから、日本人へそそがれた彼女らの愛の深さや、資金を調達しながら学校運営に励んだ姿がうかがい知れる。

 

 

 

 

 

 

■学校法人 柳城学院  創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地(八事霊園内))

 

 

 

 

 

●聖語:イエスは言われた。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。また生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネ  11:25-26)
●聖歌 第181番「主 生きたまえば」(ヤング先生埋葬時に使われた聖歌)
●詩編 第139編
●聖書  ヨハネによる福音書 第14章1~6節
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

●お話し:チャプレン大西 修 主教
(抜粋)今年もまた諸聖徒日を迎え、こうして柳城に関わりを持つ皆さんと共に墓地礼拝を守ることができ、大変嬉しく思います。イエスをキリストと信じ、イエスに従い、その生涯を全うした数多くのキリスト者を覚え、その生きざまに目を向けることにより、今を生きるわたしたちの信仰がもう一度見つめ直され、問い直される時にいたしましょう。

今日、わたしたちがこうして生かされているのは、イエスに信頼し、彼を一心に見つめて走り続けていったおびただしい信仰の証人の群れに囲まれているからにほかなりません。彼らによってイエスを信じる信仰が、今このようにしてわたしたちに伝えられていることを実感する時、深い感謝の念が内から湧き上ってくるのを覚えます。

柳城119年間の歴史の中に、信仰の先達による物心両面にわたる大きな信仰の遺産を受け継いでいます。その上に現在のわたしたちが立っています。

昨今、わたしたちの周囲を見回す時、残念ながら明るい話題が少ないです。しかし、いつの時代でも人が人として真剣に生きていこうとする時、必ず数多くの難問に遭遇し、そこで呻吟します。今がまさにそのような時代なのです。だからこそ、わたしたちの使命は「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束されたイエスを一心に見つめながら、「おびただしい証人の群れに囲まれ、」「神の栄光にあずかる希望」(ローマ5:3)を与えられている者として前進していくことなのです。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り
●諸祈祷
●祝福
●聖歌 第495番「イスよ わが神よ」
●献花

 

 

 

 

 

(加藤)

今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。
●9時30分からは記念礼拝が体育館で行われ、渋澤一郎 理事長からは次のようなメッセージがありました。

 

 

 

 

 

 

創設者であるマーガレット・ヤング先生から今日に至るまで、実に多くの先人達が、この柳城学院のために貢献をされています。本日はキリスト教会の暦で諸聖徒日、つまり、すべての聖人を覚える日でありまして、いうなれば日本のお盆に相当するような日ですが、この創立記念礼拝においても、私たち一堂、柳城の先人たちを思い返すのであります。

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」(ヘブル人への手紙12:1 口語訳聖書)と聖書に記されている通り、私たちは先人たちに雲のように囲まれているのです。そのような状況の中で、私たちは自分の走るべき道を忍耐をもって進もうとしています。

今日の式典の意味を、単なる思い出だけにとどめることなく、愛をもって仕える者として、それぞれの働きを積み重ねていく決意を新たにする機会にしたいものです。」

●続いて、長縄年延 学長からは次のメッセージです。

 

 

 

 

 

 

「1898年(明治31年)は戦争の時代であり男尊女卑の時代でした。創設者マーガレット・ヤング先生は名古屋市白壁の地において、この年に保姆養成所を、翌年には柳城幼稚園を開いたのです。彼女はフレーベルのキンダーガルテンを幼児教育の理想とし、大人が子どもに学びながら共に成長する環境を求めました。「フレーベルにとってキンダーガルテンは、子どもの手に取り戻されたパラダイス(荘司泰弘1999)」であったと、本学院100年史には紹介されています。

この100年史の別冊として出された『思い出』には、戦時中の生々しい記録が記されています。ピアノ試験中に空襲サイレンが鳴ったとか、焼けた校舎の壁に合格者名簿が張り出されたたとか…。名古屋市内はアメリカ軍の爆撃機によって焼野原にされ、附属幼稚園も灰になったのです。それでも、白壁にある柳城幼稚園は今もヤング先生の意思を引き継いでいるのです。

さて、1953年(昭和28年)に名古屋柳城短期大学はスタートしています。当時は4人部屋の全寮制で、一日が、祈りで始まり祈りで終わる、修道院のような環境だったといいます。初代学長ホーキンス先生はキャンパス内に住まいを構えていたこともあって、学生たちをお茶に招待していました。当時の思い出を「人生の宝物」だと記す卒業生もいます。今年の3月までの卒業生総数は7,810名で、これに保姆養成所を巣立った318名を加えれば、実に8,000名を超える卒業生数になります。さらに、附属幼稚園の卒園生を含めれば、その裾野はもっと広がるわけで、神の愛と諸先輩方のご苦労とご努力にあらためて感謝をしなければなりません。

少子高齢化が進む中、本学の役割はますます大切になってきています。これからも愛と奉仕の業に励みたいと思います。」

●10時40分からは、記念行事の第2部として音楽会「遊べる音楽」を開催しました。

本学院評議員の諸岡研史さん率いるダブルリード・アンサンブル(オーボエ2、イングリッシュホルン1、ファゴット1)による演奏会&トークショーです。演奏や楽器の紹介の後、メインイベントの一つ、モーツァルトの『音楽サイコロ遊び』が披露されました。楽譜が書かれたサイコロを振って、出た目(楽譜)の順に演奏をすると音楽が成り立ってしまうという、何とも不思議な現象でした。二つ目はバロック・ダンスの実演です。講師の手足の動きに合わせて会場全体で体験できました。背筋をピンと伸ばして優雅に舞うことを体験したステージ上の学生さんは「フクラハギが張った」と感想を漏らしていました。このダンス、良い運動になるようです。

●昼からは墓地礼拝に向かいました。チャプレンの礼拝説教は次の通りです。

 

 

 

 

 

 

「ここに眠るマーガレット・ヤング先生はカナダの宣教師でしたので、本来は布教活動が目的で来日をされています。彼女の前後10年くらいの間に約20名の宣教師が日本を訪れていますが、当時はイギリスやアメリカから大量の宣教師が各地に派遣された時代です。特にアフリカに多くが渡りました。あの有名なリビングストンもその一人で、彼に触発されて、多くの青年が宣教活動に燃えたのです。

さて、ヤング先生は来日後、女性や子どもに対する教育の貧弱な状況を見て幼児教育の道に進むとともに、「母の会」を立ち上げて、母親のための勉強会にも精を出すことになります。当時の子どもは手間がかかって役に立たない存在だと見られていました。つまり「半人前」で、大人になって仕事ができるようになって、やっと「一人前」というわけです。そこには、子どもはその年齢に応じて発達を遂げて成長するなどという考えは微塵もありません。

日本の各地にあるキリスト教系の幼稚園や保育園は、たいていは歴史が古く、その地域の社会環境を改善するために貢献してきました。柳城学院118年の歴史の中でも、多くの方がそのような貢献をされています。ここに集う私たちは、祈りを通して、そういった先人達からもらったバトンを次の世代に渡していきたいものです。」

●大いなる神の憐れみを願いつつ、119周年に向けて、神のご計画が私たちによって実現されますように。(加藤)
「 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」【マタイによる福音書6:26】

柳城学院の創立117周年記念礼拝が行われました。柳城の創立記念日は11月1日ですが、主日礼拝が行われる日曜日に当たるため、今年度の記念礼拝は10月31日(土)となり、2部構成で午前中いっぱいかけて行われました。

第1部では、田中誠チャプレンの司式の下、創立記念礼拝が執り行われました。

渋澤一郎理事長、新海英行学長の式辞の後、永年勤続者表彰が行われ、第1部の最後には、2年次前期の成績上位者に贈られる特別給付奨学金の表彰が行われました。成績優秀者をたたえる拍手と歓声があがる中、9名の学生が一人ずつ新海学長から表彰状と奨学金を授与されました。

第2部では、立教女学院理事長・立教女学院短期大学学長である若林一美先生が「種まく人として」と題して講話を行ってくださいました。若林先生は、わが子を亡くした親たちが集う「ちいさな風の会」を主催しており、そうした親たちのグリーフ・ケアも行っています。若林先生が人間を理解するために、ジャーナリストとして末期のがん患者、不治の病の方々などと関わってきた経験、「ちいさな風の会」に集う親たちの言葉を交えてお話されました。講演を通じて、悲しみに寄り添うことのむずかしさと重要性、そして私たちを支える見えないものの大切さについて考える機会をいただきました。会場の学生は皆、先生のお話に熱心に耳を傾けていました。

同日の午後からは、名古屋市の八事霊園にある日本聖公会中部教区の共同墓地に向かい、柳城の創設者マーガレット・ヤング先生をはじめとする柳城学院の関係者の前で、お祈りを捧げ、献花を行いました。晴天のもと、田中誠チャプレンの司式で、理事・教職員と学生宗教委員とサーバー学生が参列しました。(村田)

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書11:25)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念礼拝の第2部で、本学の元チャプレンである相澤晃司祭をお招きして、お話を伺いました。

『神様の恵みに生かされたチャプレン時代』というテーマが先ず印象的でした。キリスト教主義学校として「神様の恵み」という発想は決して忘れてはならないと感じます。具体例として、本学の定員増が認可された時や附属幼稚園の誘致を受けた際の経緯が紹介されました。このような歴史を語り継ぐ意志の強さが、学校の実力を示すバロメーターなのかもしれません。

当時の学生さんらと思い出話には心が和みました。「マーガレット会」を中心に学生さんらと親身にお付き合いされた様子も印象的でした。「彼氏がいない」と相談に来る学生へ返答は「未来の彼氏に対して神のお守りをお願いしなさい」でした! 感動です。

チャプレンとしてだけではなく教員としても事務員としても活躍された相澤司祭は柳城を心から愛しておられたのだと、お話を伺って私は強く感じました。「教員、職員、学生の皆さん。1人でいいから、朝、教会の前を通る時にチャペルでお祈りをしてください」という司祭の言葉が心に残ります。(加藤)

彼らに(イエスは)言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』」
(ルカ19:46)


司式団が入場して、礼拝がスタートします。

 

渋澤理事長(左)と新海学長(右)の式辞です。

 


永年勤続者を表彰をします。

 


本学の成績優秀者を表彰し、特別給付奨学金を支給します。

 

「創設者マーガレット・ヤングの生涯とその働き」について振り返りました。

 


上のスライド上映を担当した専攻科保育専攻1年の学生さんです。お疲れ様。

 


式典の後、名古屋市の八事霊園で墓地礼拝を行います。

 


尾上先生から故人の紹介がありました。

 


最後に、1人1人が献花をしてお祈りを捧げます。

 

 

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