*
カテゴリー:礼拝記録 の記事一覧

【ルカによる福音書1章39-42節】
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

✝ ✝ ✝

 マリアとエリサベトという二人の人物が登場します。子ども宿している二人の女性が会って、喜びを分かち合った、というものです。マリアとエリサベトが子どもを宿したことを分かち合う喜びは、極めて特別なもの、特殊な事情があってのことでした。
まずはイエスの母、マリアです。マリアには、ヨセフという、いいなづけがいました。しかし、妊娠が判明したのは結婚する前で、ヨセフとは関係を持っていませんでした。結婚する前に、婚約相手ではない男性との間で子どもを宿す、ということは、あってはならないことでした。マリアが神によって身ごもったということを、当時、誰も信じるはずがありません。夫となるヨセフもそうでした。このことが明るみに出れば、石打の刑になります。幸せな結婚生活を楽しみにしていたマリアはどん底に突き落とされます。
仮に処刑されなくても、ヨセフと離縁してシングルマザーとなることは、当時の社会においては、厳しい生活を送ることを意味します。さらに、この地域は当時、ローマ帝国に支配されていました。その中で、少なくない女性たちが、ローマ兵の性暴力の被害に遭ったとみられています。性暴力は、今以上に、被害女性とその子どもに対して差別の目が向けられ、マリアとその子どもも、そのように見られて侮辱される可能性が多分にありました。
このように、イエスの母マリアは、大変な不安と怖れ、緊張、苦悩の中に置かれていたわけです。そこで、マリアは一人で旅に出るのでした。当時、このような形で女性が一人で旅をすること自体、異常な逸脱行為でありました。マリアの苦悩の大きさをうかがい知ることができます。
そのようにしてたどり着いたのが、山里でひっそりと暮らすエリサベトでした。
エリサベトはこの時、子ども宿していましたが、それまで子どもがなく、高齢を迎えていました。当時のユダヤ社会では、子どもを産まないと、その女性はもちろんのこと、彼女を産み育てた家までも、厳しく非難されていました。そのような状況の中で、長い間エリサベトは辛い生活を送ってきました。
結婚前にいいなづけの男性との関係を持たないまま子を宿したマリア、そして高齢になって子を宿したエリサベト。この二人の女性が山里の家で出会い、お互いの苦悩と喜びを分かち合います。そして、そのような厳しい状況の中でも、神からの呼びかけを聴き、自分たちは、たしかに生きていていいのだ、ということを確認し合うのでした。これこそが、二人の女性の特別な喜びであったわけです。
まもなくやってくるクリスマスの喜びとは、このように、世間から侮辱されている人、辛い思いを強いられている人々に、あなたたちは確かに生きていていいのだ、あなたの人生はどんなことがあろうと神から祝福されているのだ、かけがえのない存在なのだ、ということが明らかにされる出来事です。

このクリスマスのときが、皆様一人ひとりにとりまして、喜びの時となりますことを、お祈りしております。
(チャプレン 相原太郎)


最後のミッション?

【マルコによる福音書 10章13‐16節】
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

✝ ✝ ✝

神さまはおっしゃる、わたしはちびっ子どもがすきだ
みんなもあのようになってほしい
ちびっ子のようになれないおとなは、大きらいだ
わたしの国には子どもしかはいってもらいたくない
子どもといっても、からだの曲がったのやら、しわのよったのやら、白いひげのはえたのやら、いろいろいるが、子どもには変わりない
わたしが子どもがすきなのはわたしの似姿がまだ曇っていないからだ
それを台なしにせず、新鮮に純粋にしみもなく、きずもなく保っているからだ
だからかれらにやさしくよりかかればかれらの中にわたしの姿が見えるのだ…
わたしが子どもがすきなのは、かれらがまだ、もだえながら罪をおかしているからだ
かれらがそれを知りつつ正直に告白し、もうおかすまいと、いっしょうけんめいに努力しているからだ
M・クォースト「ちびっ子どもが好き」より  (『神に聴くすべを知っているなら』所収)

この詩の背景に、二つの聖書の箇所が浮かんでくる。一つは、「創世記」1章27節の「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された」という箇所であり、もう一つは今日朗読した「マルコによる福音書」10章13~16である。
もっとも、この詩では、文字通りの子どもだけでなく、大人も含まれている。

授業で、大人と子どものさかいについてよく尋ねることがある。学生は18歳と20歳に分かれるが、少数の学生は年齢では区切れないと回答する。たしかに大人とこどもの境界は明確に区切れないようにも思われる。ある作家が、ひとと言うのは、その中心部分に子どもがあり、その周りに、ちょうど樹木の年輪のように、大人の部分が増えていく、とたとえているが、わたしのイメージもそれに近いものがある。

来年は東日本大震災から10年目になるが、柳城は、数年にわたり、夏休みごとに東日本大震災の被災地ボランティア活動を行った。
ある年のプログラムは、福島県の仮設住宅の子どもたちと夏休みの何日かを過ごすというものであった。その年の子どもたちは仮設住宅での長期的生活でストレスがたまっていた。全国からボランティアの申し入れがあり、そのなかには有名な音楽グループの演奏会などもあったりした。ただ、子どもたちはストレスがたまっているためか、その演奏に集中して聞けずに、騒ぎ始め、演奏している人びとが怒ってしまったという話も伺った。わたしたちが福島入りをしたのはその直後であった。子どもたちの心が不安定だとも聞かされた。うちの学生はどうするだろうかと心配しつつ見守っていた。しかしその心配は、柳城の学生が関わってからしばらくして聞こえてきた子どもたちの笑いとともに消え去った。

子どもが真ん中に立ち、学生であるお姉さんたちは、その周りに円になり座り込みながらじつに楽しそうに、子どもの話を聞いている。子どもも嬉しそうだったし、それに耳を傾けるお姉さんたちの姿も嬉しそうだった。もちろん、子どもはあばれたり騒いだりするようなことはなく、短い期間ではあったけれども、子どもたちとお姉さんはとてもなかよしになっていった。

柳城の生活の中で、思い出に残る光景の一つである。これぞ「柳城のこころ」かなと思うような一場面であった。まるで聖書の一場面のようだった。真ん中に子どもがいて、その周りに大人がいて、子どもの言葉に耳を傾けている。

子どもが自分の人生の主人公であると感じることができるのは、小さい時のこのような体験の積み重ねなのではないだろうか。演奏会のグループもすてきな演奏をしてくれたのかもしれないけれども、子どもたちにとっては、またおとなしく聞かなければならないというような体験でしかなかったのかもしれない。
一度しかない人生の最初の段階で、自分が自分の人生の主人公であることをお手伝いできる仕事はとてもすてきなことであり、幼児教育・保育に関わる者に課せられた大切な使命ではないだろうかと思っている。

いま柳城で学んでいるみなさんも、子どもの心をいつもその中心に置きながら、学び続けていくことを是非とも忘れないでいただきたい、そのように心から願っている。(理事長/学長 菊地伸二)


春の準備

 

【ヨハネによる福音書15章13~15節】

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 

✝ ✝ ✝

 学校にしても、会社にしても、あるいは家族でも、その中での関係性は、法律やルール、常識に縛られていることが多いと思います。一方、友達関係は、それに比べて自由な人格的な関係性、ということができます。友人とは、何かのための手段や目的、道具ではありません。

今日の聖書では、イエスは驚くべきことを言います。
「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」
イエスと私たちは、もはや、なにか社会の常識に縛られた関係ではなく、それらを越え、通常の意味での手段や目的から離れた、自由な人格的な関係になる、ということです。手段や目的から離れた関係性に入る、ということです。

そして、イエスは言います。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
わたしたちの日常生活の中では、自分の命を文字通り捨てる、という選択肢が示されることはほとんど起こらないと思います。しかしながら、瞬間的に命を捨てる、ということはなくても、長い年月をかけて、あるいは生涯を通じて、友のために自分の命を用いていく、ということならばありえるはずです。家族、地域社会、世界の中で、他者のために力を尽くすこと、人生を捧げること、それは、命を捨てることと言ってもいいと思います。

この柳城学院におきまして、学生、教員、職員がおり、それぞれが、様々なルールに基づいて、学校生活を送っています。それはそれとして必要なことではありますが、私達はそれ以上に、そうした手段や目的を伴う関係を超えて、友と呼び合えるような関係性を築いて参りたいと思います。そして、友のために、力を尽くすこと、愛をもって仕えること、言い換えれば、命を捨てること、そのような関係性を、学内だけでなく、この地域に、この世界に広げていきたいと思うのです。

主イエスが、今も私たちに「あなたがたを友と呼ぶ」と呼びかけられ、そして、他でもなくイエス自身が、友である私たちために、十字架で命を落とされたことに支えられて、歩んでいきたいと思います。
(チャプレン 相原太郎)


ネイチャービンゴ

【マルコによる福音書1章30~31節】
シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 

✝ ✝ ✝

    ここに登場する女性の説明として、「シモンのしゅうとめ」と書かれていました。しゅうとめとは、妻の母親ということです。妻の母が、夫の家に住んでいるということになります。現代でも、妻側の親が、娘さんとその夫の面倒になる、ということは、そんなに多いケースではないと思います。そして、この聖書の時代においては、親の面倒は長男が見るのが通例でした。したがって、このシモンのしゅうとめのケースは、この時代としては異例な状況でありました。彼女は、通常ならば面倒を見てくれるはずの人がいなかった、あるいは、そうした人たちから見放されてしまっていた、ということが考えられます。そして、やむなく、嫁いだ娘さんの家に転がり込んでいる、という状況なわけです。しかも、転がり込んだその家で、寝たきりの状態になっていました。
このように考えてみますと、彼女は大変に追い込まれた状況であり、肩身の狭い思いをしていたことでありましょう。世間からの冷ややかな目線、家族への申し訳ないという思い、誰からも厄介者として見られているという孤独、そして病い、様々な痛みが彼女の中で渦巻いていました。

そんな彼女のところに、イエスは訪れました。そして、進んで彼女のところにイエスのほうから近づき、「大丈夫だ」と彼女の手をしっかりと握りしめ、彼女のしんどい思い、痛みを共有するのでありました。誰からも見向きもされなかった、孤独と悲しみに打ちひしがれていた彼女は、そのようにして、癒やされていくのでありました。イエスがしっかりと握りしめた、その手の感触が、彼女と周りの人々との関係性を回復する結合点となっていきました。そして、彼女は起こされて、再び立ち上がることができたのでした。

熱がひき、イエスによって起こされた彼女が最初にしたこと、それは、「みんなをもてなす」ということでありました。この「もてなす」とは、実は私たちの学校の標語である「愛をもって仕えよ」と同じような意味をもった言葉です。
人間関係を回復した彼女、人と人とが触れ合うことの大事さを、イエスの握りしめた手によって実感した彼女は、今度は自らがその実践者となっていくのでした。

今、様々な困難をかかえておられる学生が、この学院にもおられると思いますし、私たちの身の回りにもおられると思います。私たちも「愛をもって仕える」ことの実践者として、隣人との人間のつながりの回復を求めていきたいと思います。

そして、何よりも、私達自身の手を、他ならぬイエスが、しっかりと握りしめて、「大丈夫だ」と、立ち上がらせてくださっていること覚えたいと思います。
(チャプレン 相原太郎)


総務課事務室

【マタイによる福音書第25章14~15節】
「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
  それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

〈アイコンをクリックすると下原太介チャプレンのお話が聞けます〉

 

 

 

【マルコによる福音書1章16-18節】
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。

✝ ✝ ✝

 当時のガリラヤ湖の漁師たちは、小舟に乗って網を投げて、魚を獲っていました。彼らが持っていた網とは、現代の定置網などとは違って、手で投げることのできる、とても小さなものでありました。しかし、網で魚を獲る、ということは、当然のことながら、一度にたくさんの魚をまとめて確保することになります。その際には、どうしても、本来獲る必要のない生き物も、網にかかる範囲で根こそぎ捕らえてしまうことになります。

イエスの弟子たちへの言葉、すなわち「人間をとる漁師にしよう」という言葉を聞きますと、この網で行う漁のように、キリスト教の伝道師が、この世界に網をはって、そこにいる人達を、根こそぎ教会の中に引き込むようなイメージがあるかもしれません。

しかしながら、イエスの行動は違いました。そもそも、イエスの時代には、人を引き込むような教会自体も存在しませんし、キリスト教の組織もありません。しかし、イエスの行動の最も大きな特徴と言えるのは、人々との接し方でありました。

イエスのされたこととは、ガリラヤ地方をまわり、貧しい人や病気の人など、様々な苦しみの中にある人の間に入り、その痛みを肌で感じ、一人ひとりを癒やしていくことでした。これは根こそぎ教会の中に引き込むイメージとは随分と異なります。あえて漁業にたとえれば、上から一網打尽にするのではなく、海女さんのように自ら海の中に飛び込み、一つ一つのアワビやサザエを両手を使って丁寧に確保する、というようなイメージかもしれません。

イエスにとって「人間の漁師」になることとは、人材確保や会員獲得のようなことではなく、自ら社会の中に飛び込んで、一人ひとりと出会い、その人の喜びや希望、また苦しみや悲しみを知り、共に生きようとする、というものでした。

イエスが「人間をとる漁師にしよう」と声をかけた漁師たちは、ガリラヤという、当時の社会から蔑視されていた場所に暮らしていました。零細な漁師たちは、大きな重税を課せられ貧しい生活を送っていました。そんな境遇におかれた彼らだからこそ、イエスから「共に人間の漁師になろう」と声をかけられたとき、ピンとくるものがあったのではないかと思うのです。ペテロとアンデレという二人の漁師は、自分と同じ様に、この厳しい社会の中で生きる人々、一人ひとりと出会い、その友となっていきたいと、願ったのかもしれません。

そして、イエスは、今、ここにいる私たちにもまた、「人間をとる漁師にしよう」と声をかけられています。一人ひとりと出会い、一人ひとりを大切に愛して、その喜びや悲しみを共に担う、人間の漁師となっていくことができればと思います。 (チャプレン 相原太郎)


ユリオプスデージーとモンシロチョウ

【コリントの信徒への手紙1第15章49節】
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

 

〈アイコンをクリックすると下原太介チャプレンのお話が聞けます〉

【マルコによる福音書10章43-44節】
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

✝ ✝ ✝

 イエスが、皆に仕える者になり、すべての人の僕になりなさい、と語りかけたのは、直接的にはイエスの弟子たちに対してでした。この場面の直前、弟子たちは、自分たちをイエスのナンバー2、ナンバー3にしてほしいということを語り、権力への欲求を口にしていました。それを戒めるかのように、イエスは、仕える者になりなさい、と述べたのでした。

このイエスの言う、仕える者になるとは、今まで支配していた人が、今度は反対に、支配される人になる、ということではありません。支配する・される、というのは、どちらにせよそこに上下関係や力関係が存在していることを意味しまいます。イエスの言う、仕える者になるとは、そのような一方向的なものではなく、互いに仕え合うことによって実現するものです。それは、上下関係、支配・被支配の関係から自由になって、お互いのことを、損得なしに徹底して大事にし合う関係になる、ということを意味します。

かつて、教会の結婚式の式文において、女性である新婦に対して、男性である新郎に仕えるかを問う場面がありましたが、現行の式文では、男女とも、相互に仕え合うことを誓うよう求められています。

現代社会では、まだまだ男女の格差、男女差別、いわば上下関係が存在します。そうした社会の中では、結婚生活においても、男性優位の感情、上下関係が顔を覗かせることがあります。しかし、教会において結婚を誓約するということは、互いに愛をもって仕え合う関係を実現していくということ、そして仕え合う関係を二人の間だけにとどまらず、社会において実現していくということを、公に宣言することを意味するものでもあります。

この仕え合う関係は、もちろん、結婚する男女だけのことではありません。たとえば先生と生徒、親と子ども、あるいは先進国とそうでない国。あらゆる関係において、私たちは、支配する・されるという関係を乗り越えて、愛によって互いに仕え合う関係へと変わっていくことが求められています。皆に仕える者になりなさい、とは、そのような世界の根本的な変革を求める、イエスの大きなヴィジョンへの呼びかけでもあります。私たちがそのようなヴィジョンに向かって、この学校で学び、またこの社会で歩んでいければと思います。
(チャプレン 相原太郎)


中庭花壇

今年度の式典の模様をお届けします。

今回は新型コロナウイルスの感染が心配される中での開催となりましたが、主の尊いお恵みより無事に日程を終えることができました。感謝です。

例年と大きく異なったのが学生さんの参加を宗教委員だけに限定したことです。
体育館における三密を緩和するにはやむを得ない措置だったと思います。

ただ、式典後に行わる墓地礼拝の方は、その三密が発生する恐れがあったため大事を取って中止としました。
(後日、有志を募って出向く手はずは整えました。)

■学校法人 柳城学院  創立122周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 体育館)

〇前 奏(一同黙祷)伴奏:長井 典子講師
 

〇聖 歌  第367番「イエスきみはいとうるわし」【創立者愛唱聖歌】
 

〇詩 編  第23編
 

〇創立122周年記念の祈り

〇聖 書  ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

〇式 辞    理事長・学長:菊地伸二
 

創立記念礼拝には、毎年同じことを繰り返して行うという面と、その年だけの固有の意味合いを込めて行うという、両方の面があります。

今年だけの固有な意味合いとしては、122周年記念礼拝は、柳城学院の歩みの中で、新たに名古屋柳城女子大学という四年制大学が開学し、誕生したということが挙げられます。また、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、今年度の学年暦の進行には特段の配慮をしているということもその特徴として挙げられるかもしれません。現にこの記念礼拝も、例年とは少し形を変えて、全教職員と学生の代表者で行うといういわば規模を縮小して開催していますし、午後の墓地礼拝を行わなかったことも、近年にはなかったのではないでしょうか。

他方で、記念礼拝には、毎年同じことを繰り返すという側面があります。それは、一年に一度、本学院の出発点、原点を見つめ直し、新しい時代の中で、学院の存在理由やその向かうべき方向性を皆さんと分かち合い、確認しあうという意味合いがあります。

また、記念式典あるいは記念という言葉には、単にむかしのことを思い出すという意味から、そのことを記憶に刻むという意味、さらには今日において、その出発点の精神を再現するという意味までさまざまあります。

✝ ✝ ✝

 創設者マーガレット・ヤング先生の精神のうちには、今日において、単に思い出したり、記憶に刻みこむだけでは足りない、新たに再現すべきことがらが含まれているように思います。

マーガレット・ヤング先生は、柳城保姆養成所の初代校長ですが、ちょうど今から100年くらい前にあたる1919年の、ある卒業生の幼稚園教師資格証明書は、日本語と英語で記されていて、ヤング先生の肩書は、日本語では、「私立柳城幼稚園保姆養成所長」と記されております。その表現からは、この学校は柳城幼稚園の先生になるための養成所であるということを強く伝わってきます。また英語では、Ryujo Kindergarten supervisorと記されており、そこからは、柳城幼稚園という一つの全体があって、その全体を見渡す役割を担っていたのがヤング先生であったように読み取ることができます。英語と日本語のニュアンスの違いはもちろんありますが、いずれにしても、ヤング先生の軸足はかなり柳城幼稚園の方に置かれていたといってもよいかもしれません。

✝ ✝ ✝

 わたしたちは、ときどき、人生の歩みを階段にたとえることがあります。今日、教育制度の階段では、幼稚園あるいは保育園はその最初のステップとみなされています。そして小学校、中学校、高校、大学へとステップをあがっていくのがわたしたちの歩みであります。

けれども、一方で、高校から大学・短大へと一段あがっていき、さらに、その上に、幼稚園というステージがあるという見方もできるのではないでしょうか。とくに、この学院に属するわたしたちには、そのために、2年ないしは4年間をかけて、幼稚園・保育園・こども園というステージにあがっていくという姿勢が求められているように思います。現行の教育制度に即した表現をするならば、このいわば、「下にあがっていく」もしくは「上にくだっていく」とでもいうような精神的態度が求められているようにも思います。これは、ヤング先生が好んで用いた「愛をもって仕える」という精神にもつながるものでありますし、この4月に誕生した名古屋柳城女子大学の特色あるプログラムである「こどもを学び、こどもに学び、ともに学ぶ」という姿勢のうちにも、十分に認められるものであると考えます。

✝ ✝ ✝

 この後、西原先生から「キリスト教大学に求められるグローバル化」というテーマの講演をいただきます。どのような内容であるかはまったく知りませんが、この学院が、120年以上前にカナダの一人の宣教師によって、きょうのテーマを考えるための最初の種をまかれていることを覚えながら、私の式辞を終えたいと思います。

〇特別講演 「キリスト教大学に求められる<グローバル化>とは」
日本聖公会中部教区 第10代主教 アシジのフランシス 西原廉太
 

【講演の中で印象的だった部分のみをご紹介します(文責:加藤)】

西原先生は、NHKの連続テレビ小説『エール』のキリスト教考証を担当された経験をもとに、様々なエピソードを披露されました。

その中でも、ヒロインの母親役を演じる薬師丸ひろ子さんが無伴奏で讃美歌「うるわしの白百合」を歌うシーンについてのお話が特に印象的でした。空襲で焼け野原となった瓦礫の山の中で、哀しみながら歌うその姿は、世間に大きな反響を呼んだそうです。

この場面、元々の台本では「戦争の、こんちくしょう! こんちくしょう!」と唸りながら地面を叩くシーンであったのが、薬師丸さんの提案でこのように変更になったとのことです。

その理由について、玉川大学出身の彼女は在学中に「うるわしの白百合」を何度も歌った経験が、そのような提案に結びついたのでは、というのが西原先生のご意見でした。

また、先生がこの話題をご自身のFacebookに挙げたところ、「痴呆を煩う母親がテレビを見ながら突然歌い出した」という感動的なコメントが返ってきたそうです。

さらに、『プレジデント・オンライン』版に同内容で掲載された記事が10月23日12:40の時点でのランキングで「1時間」1位、「週間」も1位、「会員」も1位、「いいね」が2位となっていたそうです。

これらの事実などを挙げた後、先生はキリスト教主義大学へエールを送ります。

というのも、近年、ミッション系の大学には「キリスト教色を出し過ぎると学生募集に不利になるのでは?」とか「大学礼拝に意味があるのか?」といった迷いを持つ所が多いからです。

でも先生は、大学でのキリスト教活動は「種蒔き」であるとハッキリと述べられました。

つまり、在学中に洗礼を受けさせるといった結果を求めるのではなくて、卒業後に何かのきっかけでキリスト教のコンテンツ(種)を思い出す(芽吹く)ということが大切だということです(確かに、バリバリと宗教活動を大学で行って信徒を増やそうとすれば、学生募集に悪影響を与えるに違いありません)。

それは正に、学生時代に歌った讃美歌を卒業後も覚えていた薬師丸ひろ子さんのお陰で、非常に多くの人がメディアを通してキリスト教の世界に触れることになったという今回の事例が示す通りです。

先生はキリスト教のメッセージとは単純で、それは、負けた人へのエール、絶望にある人への希望だと言われました。戦争の哀しみの中で讃美歌を歌う薬師丸さんのシーンと、それは見事に重なるお話でした。

〇聖 歌  第417番「あなたの平和の」

〇平和の挨拶

〇主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン 

〇諸 祈 祷

名古屋柳城女子大学・名古屋柳城短期大学のための祈り
附属幼稚園のための祈り
創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

〇感謝の祈り

〇祝 祷

〇校 歌

〇後 奏(一同黙祷)

【礼拝終了後、永年勤続者表彰式が行われました】

【ヨハネによる福音書14章27節】
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

✝ ✝ ✝

「平和」という言葉でどんなことをイメージされますでしょうか。一般には戦争のない状態、ということが言えると思います。そうしますと、日本は、1945年以降、平和だ、ということになります。

しかし、本当に平和だと自信を持って言えない、ということも、皆様の実感としてあるのではないかと思います。世界では、いつもどこかで戦争がおきています。そして日本も間接的にかもしれませんが様々な形で戦争にかかわってきています。

また、戦争という直接的暴力に関係するものに加えて、私たちの暮らしの中には、差別や偏見、格差や貧困などの問題があります。こうした事柄を平和学では構造的暴力と呼んでいるそうで、直接的暴力である戦争と同様に、いずれも暴力であるとして問題提起しています。

そう考えますと、私たちの身の回りは、平和どころか、暴力にあふれていると言えます。

先ほどお読みしました聖書で、イエスは「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と語っています。この言葉をイエスが語ったのが、イエス自身が逮捕されて十字架で処刑される直前のことでした。イエスは、自分自身がまさに平和とは反対の、残酷な暴力行為に受けるという緊張状態の中で、この発言をしたわけです。

暴力を受ける中でイエスが語った「平和を残す」とは、いかなる意味でしょうか。

イエスは、この言葉に続いて、次のように言っています。「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

イエスが実現されようとする平和とは、世間一般に考えられている平和とは、まったく違うのだ、というわけです。

イエス時代、その地域は、強大なローマ帝国によって社会の秩序が保たれていました。それを、ローマによる平和と呼ばれていましたが、それは端的に言いまして、力によって押さえつけられたカッコつきの平和でした。イエスの暮らしていた地方も含めて、ローマ帝国内には、差別や貧困など、先程申しましたような構造的暴力が溢れかえっていました。こうした問題を、いわば、強い力によって抑え込むのが、ローマの平和でした。

これに対して、イエスはどのような平和を求めたのでありましょう。その大きなヒントが、今日イエスが話をしている直前に起きた出来事の記録です。それは、イエスが、最後の晩餐の直前に弟子たちの足を洗った、という出来事です。この出来事は、愛をもって仕えるということについて、イエスが示したシンボリックな行為でありました。

弟子たちの足とは、どんな足だったでありましょうか。イエスの時代、舗装などありません。言うまでもなく車などはなく、どこに行くにも歩きでした。また、スニーカーもありません。サンダルのようなもので道を歩いていましたし、様々な作業も同様ですので、足は常にかなり汚れていたはずです。したがって汚れた足を差し出すのは、弟子たちもかなりのためらいがあったようです。こんな汚い足を差し出したらイエスに嫌われてしまうのではないか、と心配したのかもしれません。しかし、イエスは弟子たちに強く願って、彼らの汚れた足を洗いました。

イエスがこのことを通して伝えたかったこととは、イエス自身のへりくだった姿勢を示すということよりも、弟子たちが、自分の弱いところ、欠点、見せたくないところを隠さず、あるがまま差し出すことを促すことにあったように思います。弱い自分を隠すのではなく、差し出すこと、何かを握るのではなく、、手を離して委ねることそれは相手への信頼なしにはできません。

戦争という直接的な暴力も構造的な暴力も、何らかの強さを前提としたものです。そこにおいては、自分の財産や名誉、地位といった強さを守ること、それが平和だとみなされます。しかしながら、イエスの平和とは、こうした強さを前提とした平和とは真逆で、弱さを前提としたものです。自分の弱さを認め、またそれを隠さず、お互いにその弱さを補いながら生きること、つまり互いに愛をもって仕えること、それこそが、イエスが与える平和でありました。

お互いの弱さを補い合い、仕え合うことを通して平和を求めてまいりたいと思います。
(チャプレン 相原太郎)


アベリアとヤマトシジミ

このページの先頭へ