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【マルコによる福音書1:40-42】
1:40 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、1:42 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。

本日の聖書にある「重い皮膚病」ですが、昔の聖書では「らい病」と訳されていました。「らい病」は差別的だということで、今は「ハンセン病」と呼ばれています。ただし、「重い皮膚病」イコール「ハンセン病」だとは単純には言えないようです。

さて、本学の創始者マーガレット・ヤング先生が活躍されていた時代、ハンナ・リデルという名の女性が聖公会の宣教師としてイギリスから日本に渡ってきました。彼女は東京で1年間勉強した後、今の熊本大学で英語の教師になりました。ある日、桜咲く本妙寺の参道を歩いていると、大勢のハンセン病患者が物乞いをしながら座っているのを目にしました。当時の日本にはハンセン病患者が3万人以上いたと言われていますので、リデルが見た光景は、イエスの時代のそれと似ていて、誰もが身を引いてしまい、よけて通りたくなるような、そんな状況だったと思います。ハンセン病は本来、感染力が大変弱い病気なので触っただけでうつるということはなかったのですが、2,000年も前の当時としてはたいへん恐れられていて、患者に触ることは身が汚れることだとも言われていたのです。でもイエスは違っていました。彼は「治してください」と寄りすがる患者を深く憐れました。ここで使われている「憐れむ」という言葉は「はらわたが引き裂かれる」という意味を含むギリシア語ですので、「イエスは心の底から助けたい気持ちになった」と解釈することができます。そして、その通りに、イエスは患者に手を差し伸べて体に触れたのです。「抱きしめた」と訳している聖書もあるくらいです。

さて、リデルはこのイエスに倣い、ハンセン病患者を救うために宣教師の仕事を辞めて病院を作ることを決意します。約5年後に回春病院という形で彼女の希望はかない、以降、約40年に渡りハンセン病患者を救う活動にリデルは身を捧げたのです。

こんな話をすると、皆さんは「すごいなあ」と思うかもしれませんが、それだけでなしに、私にも何かできないかなあと思うことが大切ではないでしょうか。

現在、日本には13の国立のハンセン病療養所があり、そこで約2,000人の方が生活をされています。実際に患者である方はほとんどいませんが、高齢化が進んでいますし、今なお差別に苦しんでいる人もいます。幸せを望み、そして天国に行きたいと願っている方ばかりです。ぜひ、心に留めておいてください。(チャプレン大西 修 主教)

2年目を迎えたペチュニア(満開に、感謝!)

【マタイによる福音書16:24-25】
16:24 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。

皆さんの目の前にあるステージには大きな十字架がありますね。隣のマタイ教会にも、屋根や礼拝堂に十字架が掲げられています。お隣の韓国ソウルに行くと、日本の寺院よりも多くの教会があって、あちこちに十字架を目にします。それ程クリスチャン人口が多いということなのです。

さて、十字架とは何でしょう。たぶん皆さんが想像する十字架とは意味が違っていると思います。礼拝では十字架に向かって手を合わせますが、でも、十字架は拝むものではありません。神ではないからです。実は、十字架はシンボルなのです。クリスチャンはこのシンボルを見ると、イエス・キリストが十字架ではりつけになったことを思い出します。イエスはエルサレムにあるゴルゴタ、すなわち「されこうべの場所」という意味を持つ丘で処刑されました。イエスは生前「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15:13)」と語っていましたので、私たちクリスチャンはこの十字架の歴史的事実を「罪のない神の子イエスが他の人に代わって死んでくれた」と理解しています。

皆さんは愛する人のために死ねますか?「おまえを最後まで守る」と言いながら、いざとなると皆さんを盾にして逃げてしまう。皆さんの彼氏はそんな人ではありませんか? でも、イエスは命をかけて愛する人を救ってくれました。「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い(マタイ27:40)」と罵倒されながら、無残な死を受け入れたのです。

私のような職にある者は、たいていは胸に十字架をつけています。それは「友のために自分を捨てる覚悟とイエスに従う決意」を示すためです。皆さんも十字架のネックレスやペンダントを持っていますね。もちろん格好良くするためでしょうが、今までの話から分かるように、十字架は見るに忍びない処刑の道具ですから、本来は格好いいものではありません。アクセサリーになるはずはないのです。しかしイエスが十字架を愛に輝くものとしてくれたので、私たちは今、十字架を身につけることができるのです。

十字架の縦の線は「自分自身」で、横の線は「切る」を意味すると解釈されることがあります。これはつまり「自分を切る」すなわち「自分を殺して相手を活かす」ことを表します。この十字架の意味がイエスの弟子に受け継がれました。その一人にペトロという人がいます。彼もイエス同様に十字架刑にあって死にました。これを殉教といいますが、彼は「イエスと同じでは畏れ多い」ということで、十字架を逆さまにして処刑を受けました。もう一人、アンデレという人も同様な理由でバツ印のような形の十字架で処刑されました。これをアンデレクロスと言いますが、大阪の桃山学院大学の校章や清里にある清泉寮の玄関で見ることができます。また、カトリックの教会では十字架にイエスの像が張り付いているものが見られます。私たち聖公会では、イエスは復活してしまったことを強調するので、十字架にはイエス像がついていません。これを「栄光の十字架」といいます。

十字架のお話を色々しましたが、皆さんがこの十字架の意味を心に留めて柳城の生活を送れば、きっとそのうち、自信を持って十字架のネックレスを身につけられるでしょう。その時皆さんは、十字架の意味を知らない人とは全く違う人生を歩むことになります。(チャプレン大西 修 主教)

中庭の花壇

入学式 2017

カテゴリー:入学式

4月3日(月)に行われた2017年度入学式の模様をお伝えします。

●前奏(一同 黙祷)
ピアノの伴奏に合わせて司式者団が入場します。

 

 

 

 

 

 

●聖語

司式者の「愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5:13)」の言葉に続いて会衆が「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり神もその人の内にとどまってくださいます。(Ⅰヨハネ4:16)」と唱えます。

 

 

 

 

 

 

●聖歌 308番「賛美する喜びと」

 

 

 

 

 

 

●新入生のための祈り
「全能の神よ、この世の時はすべてあなたのみ手の内にあります。どうか、いま本学に入学し、この学院で過ごす時の始めに立っている学生たちに、恵みのまなざしを注いでください。この学院での時を通して、あなたの知恵のうちに学び、あなたの愛を知り、そして愛によって互いに支えあうように、わたしたちを導き、育んでください。わたしたちの主、イエス・キリストによってお願いいたします。」

 

 

 

 

 

 

●聖書
【ガラテヤの信徒への手紙 5:1;13-14】
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛(くびき)に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

●新入生認証
保育科 新入生認証【176名】
専攻科保育専攻 新入生認証【8名】
専攻科介護福祉専攻 新入生認証【4名】

新入生一人ひとりの名前が各担当アドバイザーから読み上げられます。

 

 

 

 

 

 

●歓迎のことば
在学生全員が次のように声を合わせます。

「わたしたち在学生は、今、本学に入学を認められた皆さんを心より歓迎いたします。どうか、神の祝福が皆さんの上に豊かに注がれますように。そして、これから本学での生活を共にする仲間として、互いに愛しあい、仕えあって、共に目標に向かって歩みましょう。」

新入生と在学生の座席が隣り合わせになるように配列されていますので、下の写真のような風景になります。本学らしい心配りの一つです。

 

 

 

 

 

 

●誓いのことば
続いて、新入生が一斉に応えます。

「わたしたちは今、この名古屋柳城短期大学に入学を認められました。これからわたしたちは、『愛をもって仕えよ』という建学の精神を深く学び、神の導きのもと、先生方や諸先輩方のご指導を受けつつ、幼児教育や社会福祉の道に向けて、熱心に学ぶことを誓約いたします。」

●聖歌 417番「あなたの平和の」
この聖歌は2年後の卒業式でも歌うことになります。本学の一番人気です。

●式辞 名古屋柳城短期大学 学長 長縄 年延

本学の基本的な歴史が語られた後、保育や介護の現場で働く者にとって「愛をもって仕えなさい」という建学の精神が必要不可欠なものであることが強調されました。続いて、リチャード・A・メリット第4代学長の言葉が紹介されました。「非常勤講師、理事そして学長というそれぞれの立場で柳城と関わって、建学の精神『愛をもって仕えよ』が学校基盤としてこの上ない信条であると痛感しました。学生がその精神の実践者になることが柳城の存在理由なのです。実践者としてふさわしい態度とふるまいをもって、まず子どもたちに接し、子どもたちにその精神が反映されればと思っています。」

そして最後に、教職員の良き指導のもと、TPO、すなわちT(時)・P(場所)・O(場合)に応じて柔軟に対応できる保育者/介護者を目指し、夢と希望をもって欲しいとの期待がかけられました。

 

 

 

 

 

 

●祝辞 学校法人 柳城学院 理事長 渋澤 一郎

本学で学ぶ知識/技術は、人間性の向上が伴ってはじめて社会に役立つものになることが熱く語られました。そして、この人間性は、人との出会いの中で育まれるものであり、同時に本学では、聖書の言葉に触れることによっても豊かにされるものであるから、礼拝には積極的に参加して欲しいとの期待がかけられました。

そして最後に、神の祝福とお導きとお守りがあるようにと締めくくられました。

 

 

 

 

 

 

●来賓紹介
●祝電披露

●聖歌 560番「グロリア グロリア」

●平和の挨拶
お隣同士で「主の平和」と唱えながら握手を交わします。

特徴ある座席の配列が効果を表します。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り
イエス・キリストが教えてくださった祈りが唱えられます。

天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

●名古屋柳城短期大学のための祈り

全能の神よ、わたしたちはただ主の賜物によってまことの知恵を得ることができます。どうか、み名によって建てられた名古屋柳城短期大学に恵みを下し、教える者と学ぶ者を祝福して、共に知識を深め、主の真理を悟り、愛をもって互いに仕え、謙遜な心で唯一の神を仰ぐことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

●祝祷

計り知ることのできない神の平安がキリスト・イエスにあって皆さんの心と思いを守り、ますます深く父とみ子を知り、かつ愛させてくださいますように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常に皆さんとともにありますように。

 

 

 

 

 

 

●校歌

「おさなきものは かみのまなごぞ
ひなぎくさゆり いろとりどりに
においさく」
・・・

●後奏(一同 黙祷)
ピアノの伴奏に合わせて司式者団が退場します。

 

 

 

 

 

 

伝統ある本学で、他校では味わえない「何か」を新入生全員が体験されますよう、心からお祈りします。(加藤)

【ヨハネによる福音書13:14-15】
13:14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。

多くの2年生にとっては初対面ですね。チャプレンの大西といいます。

今週はキリスト教にとっては大切な一週間となっています。次の日曜日がイースターだからです。あるコマーシャルが「○○で始めよう、イースターパーティー!」とにぎやかに歌っていましたね。このイースター、復活日とか復活祭とも言いますが、クリスマスと並んでキリスト教の二大お祭りです。今年の暦で言うと、イエスは4/13に最後の晩餐を弟子たちと持ち、4/14に十字架上で処刑され、そして日曜日の4/16に復活するという流れです。

皆さんは最後の晩餐はご存じでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画で有名ですが、この日にイエスはお弟子さんの足を洗ったと聖書には記されています。当時、他人の足を洗うのは奴隷や召使いの仕事でした。その役をイエスが買って出たわけですから、弟子たちはビックリして、その一人が「わたしの足など、決して洗わないでください」と断ろうとします。しかしイエスは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えました。そしてさらに「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」と命じるのです。つまり、奴隷の立場の仕事であっても喜んでやりなさいということです。それは「互いに愛し合いなさい」というメッセージでもありました。

皆さんにはやりたくない事が一杯あると思います。でも、それを行うことで喜んでくれる人がたくさんいるかもしれません。嫌な事でもやってみる。これも「愛をもって仕える」一つの姿だと思うのです。(チャプレン大西 修 主教)

・本日は体育館での合同礼拝の後、学外合同ゼミナールの説明会(学生生活委員会主催)が行われました。今年は4/20-21、芦原温泉での開催です。柳城短大名物のこのイベント。今回も様々なドラマが生まれることでしょう。成功をお祈りします。

 

【ガラテヤの信徒への手紙5:13-15】
5:13兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
5:15 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。

大西と言います。今年から本学のチャプレンとして務めさせていただきます。

さて、本学の建学の精神は「愛をもって仕えなさい」でしたね。これは今日の聖書にもありました。イエス・キリストの偉大な弟子であるパウロという人が、西暦55年頃と考えられていますが、今のトルコに住むキリスト教の信者に向けて書いた手紙に載せた言葉です。他にもパウロは「自由とはイエス・キリストを信じること」、「イエス・キリストは私たちを自由にした」と説いているのですが、今日は、この自由とか愛について考えてみます。

一般に、自由には「自分だけ」というイメージが付きまとうものですが、本当は人との関係性の中で感じるものです。たとえば、すばらしいお城があって、あらゆる食べ物とすばらしい衣装などが整っていたとしましょう。ここでは何の不自由もなく暮らすことはできますが、たった一人きりだとしたらどうでしょう。いくら裕福でも、毎日楽しいでしょうか。違いますね。それでは、奴隷みたいな使用人と一緒なら楽しいかというと、それも違います。やっぱり、自分を愛し理解してくれる人が一緒にいてくれる時に、はじめて豊かな自由を感じるはずです。自由とは、本来は協調とか調和の中で自分らしく生活する時に成り立つものなのです。先程紹介したパウロは、イエス・キリストを見習うことが自分らしく生きる秘訣だと説いたのです。

次にについてです。由美かおる主演の映画「同棲時代 今日子と次郎」に使われた主題歌の冒頭に「愛はいつも いくつかの過ちに 満たされている」というセリフがあります。この愛は、もちろんエロスの意味での愛のことですが、世の中に氾濫している愛のほとんどはこの種の愛で、人間の感情によって様々に変化する気ままで身勝手なものです。「惜みなく愛は奪う」とは、有島武郎が書いた評論集の題名ですが、人間の愛は、普通は、相手のものを奪い取る方向にエスカレートします。「お前を愛しているのに、何もしてくれない」と相手に不満を漏らす愛です。

でも、聖書が語る愛は、神が私たちに与えてくださる本物の愛です。その愛は惜しみなく相手に与える愛で、いつも他人が中心になります。それで、時には自分が損したり犠牲になることもあります。それでも愛なのです。

この本物の愛を実践した方がイエス・キリストで、彼は私たちを愛するがために十字架にかけられ見るも無残に死んでいきました。しかし彼はよみがえって、その愛が正しかったことを証明したのです。

「愛をもって仕える」の愛は、このような深い意味での愛です。私たちの生活を根本から変えることができる愛です。このような愛を成し遂げた歴史上の人物は大勢います。本学に籍を置く私たちも、そのような愛が実践できるよう祈り求めていきましょう。(チャプレン大西 修 主教)

【ガラテヤの信徒への手紙5:13-15】
5:13兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
5:15 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。

ご入学おめでとうございます。

本学の水曜日には、今日のように礼拝という時間があります。入学式も礼拝の形式でしたね。ほとんどの人にとっては初めての経験だったでしょう。ひょっとすると「この大学で大丈夫?」と思った人もいるかもしれません。礼拝とは黙想とか瞑想と同じで、心を集中させることです。手を合わせていると自然に心が穏やかになり集中できるようになります。そうすることで自分自身を見つめられるようになります。

さて、本学の基になっているのは「愛によって仕えなさい」でした。建学の精神ですね。ホームページにも載っていますので一度読んでみてください。柳城がキリスト教の学校であることが、今、現実として皆さんには分かったと思います。キリスト教といっても実は色々な種類があり、大きくはカトリックとプロテスタントに区分されます。日本にキリスト教が入ってきたのは1549年の、あのフランシスコ・ザビエルでしたね。彼のキリスト教はカトリックでした。では柳城のキリスト教はというと、元はカトリックだったのが、そこから独立してイギリスを中心に全世界に広まったもので、名前を聖公会といいます。イギリスのエリザベス女王もその聖公会の信者さんですよ。本学院創設者のマーガレット・ヤングも、もちろん聖公会の信者さんで、彼女がスタートさせた本学院は、来年で120周年を迎えます。本学のキリスト教は、皆さんをクリスチャンにするためのものではなくて、その精神を学んで、それを人生や仕事の礎にするためのものです。

そのキリスト教精神一つに「神様のみが絶対者」だというものがあります。ですので、たとえば「私は最善の方法でやります」とか「絶対にお金を返します」とか言い人をよく見かけますが、キリスト教の立場で見ると、そんなに自分を信じ切っている人は余程の人物か嘘つきかのどちらかになります。神様からみれば人間などは不完全な小さな存在です。その小ささに気づくことが、すなわちキリスト教精神の第一歩で、これからの2年間、この精神を人との関わりを通して学んでいけたらと思っています。

最後に。礼拝では「アーメン」という言葉をよく使います。これは「その通りになってください」、「私もそう思います」、「私も同じです」などといった意味ですので、どうか、そういうつもりで唱えてください。

では、この1年、皆さんを退屈させないよう努力しますので、ずっと礼拝に参加してくれると嬉しいです。それをお祈りしながら、今日はこれで終わります。(チャプレン大西 修 主教 )

名古屋聖マタイ教会とサクラ

【コリントの信徒への手紙 一 2:23-26】
わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

柳城短大の学年歴では、今日が新しい学期の始まりとなります。

すでに本学で1年間を経験している皆さんですので、今年は計画をしっかり立てて思い通りの学生生活を送れることでしょう。できる、できないは別として、計画は、立てることが大切です。

今年は実習と就職活動で忙しくなりますが、やり切る覚悟は持って下さい。それは、自立するための準備でもあるからです。ただし、悩んだ時は決して一人で抱え込まないことです。人間、内向きになると体の動きも悪くなります。気を楽に。誰もが同じように悩んでいるはずなので、あなただけが心配する必要はありません。

さて、今日の聖書では体のバランスについて語られています。誰でも、自分の体に好きな部分と嫌いな部分とがあって、それで全体が一つの体です。社会も同じで、構成員が互いに支え合うことで全体が機能します。1年後に社会に出ていく皆さんは、是非とも「愛をもって仕える」という本学の建学の精神を発揮して、互いに支え合ってみて下さい。

幼稚園で教育勅語を教え込ませるところがあるそうですが、これなどは「愛をもって仕える」精神とは対極にあるような気がします。相手がたとえ小さくても、大人の思い通りに一色に染めるのではなく、社会とは色々なタイプの人間でバランスを取り合うものであるという考え方を大切にしながら、保育に努めて欲しいと思います。

実は、私は本日で本学のチャプレンの勤めが最後となります。4月からは大西チャプレンが赴任されますので、これからは彼と共に歩んでいってください。私はこのマタイ教会の司祭としては残っていますので、また声をかけてください。

この1年、頑張ってください。(田中チャプレン)

【エフェソの信徒への手紙 5:15-17】
愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。

聖公会の暦では、今年は、3月1日から復活日(イースター)4月16日までを大斎節と定め、この期間、日曜日を除く40日間を、イエス・キリストが荒れ野で断食をしたことにちなんで、私たちも節約した生活を心がけながら自分自身を反省して、イースターの後に、少しでも自分の生き方が向上するよう努めるという、そんな習慣になっています。

【保育科1年生、保育専攻科1年生向け】

さて、今日の聖書に「今は悪い時代」とありました。確かに、今の日本で起こっている色々な事件の中には、責任のある人が平気で言い訳をする場合も多く見られますが、これでは日本全体の風紀が乱れて、世の中に「これくらいはいいだろう」といった無責任な空気が生まれるかもしれません。そんな悪い時代に仮になったとしても、私たちは「悪いことはしない」という決意を持ちたいものです。

大きな話になりましたが、私たちは日常的に自分を振り返ってみる必要があります。良いことも悪いこともあるでしょう。皆さんも柳城短大の1年間を振り返ってみてください。この24日には始業礼拝がもたれて新しい学期が始まります。それまでの短い間、十分に反省をして、良いスタートを切って下さい。

【保育科2年生、保育専攻科2年生、介護福祉専攻科向け】

反省するのは、何も個人だけの話ではなく、日本の社会そのものも反省を迫られています。国政では色々な問題が取り上げられていますが、責任のある人が、ウソがばれないよう必死になっている姿を見るたびに、これでは社会全体の倫理観が下がるのではと心配になります。今日の聖書にある通り、私たちは悪い時代であっても「賢い者として」歩みたいものです。

さて、皆さんはいよいよ卒業を迎えます。新しい世界に向かって希望と不安で一杯でしょうが、誰でも最初は同じなので、必要以上に気を使わないで、分からないことは素直に「分からない」と言うことが大切です。ここが実は大きな分かれ目で、「分からない」と言えずに内に閉じこもってしまう人がいます。素直に人に尋ねてみましょう。さらには、悩んでいるのは自分だけではないと自分に言い聞かせることです。こうすれば、新しい職場でも、きっとうまくいくことでしょう。

初出勤が始まるまでにしばらく自由な時間が持てます。仕事が始まると長期休暇が取り辛くなりますから、今の時間を有効に使い、体力も付けておくと良いでしょう。自分を見直すチャンスでもあります。

新しい社会でのご活躍を期待しています。(チャプレン)

プリムラとワイヤープランツ

卒業式 2016

カテゴリー:卒業式

第63回卒業証書授与と第19回修了証/学位記書授与の模様をお届けします。

●卒業生の入場
ワーグナーの楽曲に合わせて卒業生が入場します。

 

 

 

 

 

 

●前奏
ピアノの伴奏に合わせて司式者団が入場します。

 

 

 

 

 

 

●聖語
チャプレンが「愛によって互いに仕えなさい。」と唱えると会衆が「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」と応答します。

 

 

 

 

 

 

●聖歌 第491番「あめなる喜び」

●特祷
チャプレンが次のように唱えます。

「すべての力の源である神よ、本日、卒業・修了の日を迎えるこの学生たちをこれまで守り、無事にすべての課程を終えさせ、その目的を遂げさせてくださったことを感謝し、み名をほめたたえます。また、この学生たちがそれぞれの賜物をもってこの学院を豊かにし、友人たちや教職員に多くの喜びをもたらしてくれたことのゆえに、また今日までこの学生たちを育んできた多くの人々の愛の業のゆえに、あなたに感謝を捧げます。

どうか、この学生たちにあなたの豊かな恵みを注ぎ、これからの歩みを祝福してください。一人一人がみ心にかなう日々を歩み、幸いの時も災いの時も喜びの時も悲しみの時も、愛をもって仕える者として生涯をおくることができるように導いてください。わたしたちの主、イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。」

 

 

 

 

 

 

●聖書朗読【コロサイの信徒への手紙 3:12-17】
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

 

 

 

 

 

 

●聖歌  第462番「飼い主わが主よ」

●第63回 保育科 卒業証書授与 【151名】
●第19回 専攻科保育専攻 修了証書授与 【8名】
●第19回 専攻科保育専攻 学位記授与 【8名】
●第19回 専攻科介護福祉専攻 修了証書授与 【11名】

一人ずつ名前が読み上げられた後、クラス代表者が壇上で証書を受け取ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●表彰
社団法人 全国保育士養成協議会 会長表彰
社団法人 日本介護福祉士養成施設協会 会長表彰

勉学において、すばらしい功績をあげた2名が表彰されます。

●式辞  名古屋柳城短期大学 学長 長縄 年延

式辞の中で、東日本大震災の被災地、福島県南相馬市で旅館の再開を果たした女将に、高校生が「なぜ笑顔でいられるのか?」と質問した話が取り上げられました。女将の「笑うとね、元気出る。この状況では笑わないといられない。」という返答と、高校生の「人って今しか生きられない。とにかく、今を大事にしていこうかな。」という感想が紹介され、卒業生に向けて「笑顔で」「健康に」「今を生きなさい」との熱いエールが送られました。

 

 

 

 

 

 

●祝辞  学校法人 柳城学院 理事長 主教 ペテロ 渋澤 一郎

卒業生に向けて「小さいことを大切に」とのメッセージが送られました。「愛をもって仕える」ことの意味の一つとして、「ごく小さなことに忠実な者には、より大きなことが任せられる(ルカ19:17)」というイエス・キリストのたとえ話が紹介され、人目につかないことや自分にとって大切でないことでも、人のために大切に実行することも一つの「愛」の形であり、そういうことの積み重ねが、あなたへの信頼を生み、良い人間関係に発展するのだと締めくくられました。

 

 

 

 

 

 

●聖歌 第561番「サントサント」

●後援会会長 挨拶

社会に旅立つ卒業生に向けて「心を弱らせないで」と語りかけられました。職場は楽しいことばかりではないが、人間関係で悩まないよう、内にこもらずに誰かに相談しながら心を強く保つようにということです。また、一生のうち、好きなことに費やせる時間には限りがあるので、今のうちに思いついたことを行動に移しておくのも必要だという、経験者ならではのアドバイスも送られました。

 

 

 

 

 

 

●同窓会会長 挨拶

ご自分の柳城時代を振り返りながら様々な体験談が語られました。
聖書研究会(聖マーガレット会)に入ったことがきっかけで、それまで嫌いだった柳城が段々と好きになり、ついには、「イエス・キリストを知らなかったら、保育士の資格も、趣味のゴスペルもなかった」と思えるようなったということです。そして、「良い保育者/介護者になるためにも、色々なことにチャレンジをして、失敗もして下さい。何をやっても無駄にはなりません。」との力強い励ましのメッセージが場内に響き渡りました。

 

 

 

 

 

 

●送辞
「先輩は目標、心の支え。努力する先輩の姿を見てきた私たちは、それらを継承していきます。」

 

 

 

 

 

 

●答辞
「次の世代を育てる仕事に向けて、家族が私たちを育ててくれたように、そして建学の精神を忘れずに励みます。」

 

 

 

 

 

 

●記念品贈呈
デジタルピアノ1台の目録が披露されました。体育館での授業や諸行事で大いに利用されることでしょう。感謝です。

 

 

 

 

 

 

●来賓紹介/祝電披露

●教職員による聖歌 第476番「暗闇行くときには」

ここから、卒業式のクライマックスに入ります。まずは、教職員全員で卒業生に向けて聖歌を贈ります。

「暗闇行くときには 主イエスが示された 輝く星をもとめ 光に顔むけよう。
光は闇を照らし 昼は夜をつつむ とりまく影をぬぐいて 光を仰ぎ見よう」

このシーンにグッとくる卒業生も多いとか。

 

 

 

 

 

 

●卒業生・修了生による聖歌 第417番「あなたの平和の」 英語版はこちら

柳城生の一番人気の聖歌が高らかに歌い上げられます。

「あなたの平和の器にしてください 主よ わたしをあなたの 平和の器に
憎しみのあるところに あなたの愛があるように
悲しみがあるところに よろこびが あるように」

今度は、教職員側がグッとくる番です。

 

 

 

 

 

 

●平和の挨拶
お互いに「主の平和」と唱えながら握手を交わします。卒業礼拝が潤います。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り

●名古屋柳城短期大学のための祈り

大学礼拝で繰り返してきた祈りです。

「全能の神よ、わたしたちはただ主の賜物によってまことの知恵を得ることができます。どうか、み名によって建てられた名古屋柳城短期大学に恵みを下し、教える者と学ぶ者を祝福して、共に知識を深め、主の真理を悟り、愛をもって互いに仕え、謙虚な心で唯一の神を仰ぐことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン」

●派遣の祈り

「神よ、今、新しい道に歩み出そうとしているこの一人一人を祝福し、お守りください。これからもあなたに与えられたそれぞれの賜物を豊かに用いることができますように。そのために必要なものを必要なときに備え、共に道を歩む友を与え、あなたがこの一人一人を呼び出しておられる道をお示しくださいますように。これからの一人一人の歩みの上に、あなたの聖なる霊を共に臨ませてください。そして、まことの道であり、真理であり、命である主イエス・キリストと共に旅する者として、この一人一人をあなたの愛するこの世界に遣わしてください。わたしたちの主、イエス・キリストのみ名によって。」

●祝祷

「主があなたがたを祝福し、あなたがたを守られるように。主がみ顔をもってあなたがたを照らし、あなたがたを恵まれるように。主がみ顔をあなたがたに向け、あなたがたに平安を賜るように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常に皆さんとともにありますように。」

 

 

 

 

 

 

●校歌

「おさなきものは かみのまなごぞ
ひなぎくさゆり いろとりどりに
においさく」

 

 

 

 

 

 

●後奏
伴奏に合わせて、司式者団が退場します。

 

 

 

 

 

 

●卒業生 退場

聖歌 第522番のBGMとともに退場です。

「神ともにいまして 行く道を守り
あめ(天)のみ糧もて 力をあたえませ
また会う日まで また会う日まで
神の守り なが身をはなれざれ」

 

 

 

 

 

 

●(おまけ)卒業パーティー
式後、体育館での恒例の催しです。学生会の皆さんが一生懸命に場を盛り上げてくれました。

卒業生も料理もすばらしくカラフルでした。
皆さんのこれからの長い人生、ずっと、色とりどりに豊かでありますように。お祈りします。(加藤)

【ローマの信徒への手紙 15:1-2】
わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。
おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

いよいよ学年末です。テストや実習を控えて多忙な日々を送っていることと思いますが、一つ一つを確実にこなしてから次のステップに進んでいって下さい。頭は一つ、手足は二本ずつです。つまり一度にできることには限りがあるということ。あれもこれもと考えだすと焦るだけです。

テストの点数は心配でしょうが、皆さんは良い保育者、良い介護者になるために努力してきたはずです。これらの分野は、自信とか経験がものをいう世界です。新年度が始まる前に70日もあるので、今までの経験を振り返ってみることをお勧めします。実習等で、相手との接し方や心の配り方を学んではいませんか。キャンパス生活やアルバイト先などで、新しい友人との交わりを通して今までにない体験をしてはいないでしょうか。自分が成長したどうかを見つめ直すことはとても大切です。社会に出るとその機会は少なくなっていきます。

テストだけではなしに、経験した内容で自分自身を測ってみてはどうでしょう。(チャプレン)

ヒナギク

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