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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

【マルコによる福音書1章16-18節】
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。

✝ ✝ ✝

 当時のガリラヤ湖の漁師たちは、小舟に乗って網を投げて、魚を獲っていました。彼らが持っていた網とは、現代の定置網などとは違って、手で投げることのできる、とても小さなものでありました。しかし、網で魚を獲る、ということは、当然のことながら、一度にたくさんの魚をまとめて確保することになります。その際には、どうしても、本来獲る必要のない生き物も、網にかかる範囲で根こそぎ捕らえてしまうことになります。

イエスの弟子たちへの言葉、すなわち「人間をとる漁師にしよう」という言葉を聞きますと、この網で行う漁のように、キリスト教の伝道師が、この世界に網をはって、そこにいる人達を、根こそぎ教会の中に引き込むようなイメージがあるかもしれません。

しかしながら、イエスの行動は違いました。そもそも、イエスの時代には、人を引き込むような教会自体も存在しませんし、キリスト教の組織もありません。しかし、イエスの行動の最も大きな特徴と言えるのは、人々との接し方でありました。

イエスのされたこととは、ガリラヤ地方をまわり、貧しい人や病気の人など、様々な苦しみの中にある人の間に入り、その痛みを肌で感じ、一人ひとりを癒やしていくことでした。これは根こそぎ教会の中に引き込むイメージとは随分と異なります。あえて漁業にたとえれば、上から一網打尽にするのではなく、海女さんのように自ら海の中に飛び込み、一つ一つのアワビやサザエを両手を使って丁寧に確保する、というようなイメージかもしれません。

イエスにとって「人間の漁師」になることとは、人材確保や会員獲得のようなことではなく、自ら社会の中に飛び込んで、一人ひとりと出会い、その人の喜びや希望、また苦しみや悲しみを知り、共に生きようとする、というものでした。

イエスが「人間をとる漁師にしよう」と声をかけた漁師たちは、ガリラヤという、当時の社会から蔑視されていた場所に暮らしていました。零細な漁師たちは、大きな重税を課せられ貧しい生活を送っていました。そんな境遇におかれた彼らだからこそ、イエスから「共に人間の漁師になろう」と声をかけられたとき、ピンとくるものがあったのではないかと思うのです。ペテロとアンデレという二人の漁師は、自分と同じ様に、この厳しい社会の中で生きる人々、一人ひとりと出会い、その友となっていきたいと、願ったのかもしれません。

そして、イエスは、今、ここにいる私たちにもまた、「人間をとる漁師にしよう」と声をかけられています。一人ひとりと出会い、一人ひとりを大切に愛して、その喜びや悲しみを共に担う、人間の漁師となっていくことができればと思います。 (チャプレン 相原太郎)


ユリオプスデージーとモンシロチョウ

【コリントの信徒への手紙1第15章49節】
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

 

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【マルコによる福音書10章43-44節】
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

✝ ✝ ✝

 イエスが、皆に仕える者になり、すべての人の僕になりなさい、と語りかけたのは、直接的にはイエスの弟子たちに対してでした。この場面の直前、弟子たちは、自分たちをイエスのナンバー2、ナンバー3にしてほしいということを語り、権力への欲求を口にしていました。それを戒めるかのように、イエスは、仕える者になりなさい、と述べたのでした。

このイエスの言う、仕える者になるとは、今まで支配していた人が、今度は反対に、支配される人になる、ということではありません。支配する・される、というのは、どちらにせよそこに上下関係や力関係が存在していることを意味しまいます。イエスの言う、仕える者になるとは、そのような一方向的なものではなく、互いに仕え合うことによって実現するものです。それは、上下関係、支配・被支配の関係から自由になって、お互いのことを、損得なしに徹底して大事にし合う関係になる、ということを意味します。

かつて、教会の結婚式の式文において、女性である新婦に対して、男性である新郎に仕えるかを問う場面がありましたが、現行の式文では、男女とも、相互に仕え合うことを誓うよう求められています。

現代社会では、まだまだ男女の格差、男女差別、いわば上下関係が存在します。そうした社会の中では、結婚生活においても、男性優位の感情、上下関係が顔を覗かせることがあります。しかし、教会において結婚を誓約するということは、互いに愛をもって仕え合う関係を実現していくということ、そして仕え合う関係を二人の間だけにとどまらず、社会において実現していくということを、公に宣言することを意味するものでもあります。

この仕え合う関係は、もちろん、結婚する男女だけのことではありません。たとえば先生と生徒、親と子ども、あるいは先進国とそうでない国。あらゆる関係において、私たちは、支配する・されるという関係を乗り越えて、愛によって互いに仕え合う関係へと変わっていくことが求められています。皆に仕える者になりなさい、とは、そのような世界の根本的な変革を求める、イエスの大きなヴィジョンへの呼びかけでもあります。私たちがそのようなヴィジョンに向かって、この学校で学び、またこの社会で歩んでいければと思います。
(チャプレン 相原太郎)


中庭花壇

【ヨハネによる福音書14章27節】
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

✝ ✝ ✝

「平和」という言葉でどんなことをイメージされますでしょうか。一般には戦争のない状態、ということが言えると思います。そうしますと、日本は、1945年以降、平和だ、ということになります。

しかし、本当に平和だと自信を持って言えない、ということも、皆様の実感としてあるのではないかと思います。世界では、いつもどこかで戦争がおきています。そして日本も間接的にかもしれませんが様々な形で戦争にかかわってきています。

また、戦争という直接的暴力に関係するものに加えて、私たちの暮らしの中には、差別や偏見、格差や貧困などの問題があります。こうした事柄を平和学では構造的暴力と呼んでいるそうで、直接的暴力である戦争と同様に、いずれも暴力であるとして問題提起しています。

そう考えますと、私たちの身の回りは、平和どころか、暴力にあふれていると言えます。

先ほどお読みしました聖書で、イエスは「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と語っています。この言葉をイエスが語ったのが、イエス自身が逮捕されて十字架で処刑される直前のことでした。イエスは、自分自身がまさに平和とは反対の、残酷な暴力行為に受けるという緊張状態の中で、この発言をしたわけです。

暴力を受ける中でイエスが語った「平和を残す」とは、いかなる意味でしょうか。

イエスは、この言葉に続いて、次のように言っています。「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

イエスが実現されようとする平和とは、世間一般に考えられている平和とは、まったく違うのだ、というわけです。

イエス時代、その地域は、強大なローマ帝国によって社会の秩序が保たれていました。それを、ローマによる平和と呼ばれていましたが、それは端的に言いまして、力によって押さえつけられたカッコつきの平和でした。イエスの暮らしていた地方も含めて、ローマ帝国内には、差別や貧困など、先程申しましたような構造的暴力が溢れかえっていました。こうした問題を、いわば、強い力によって抑え込むのが、ローマの平和でした。

これに対して、イエスはどのような平和を求めたのでありましょう。その大きなヒントが、今日イエスが話をしている直前に起きた出来事の記録です。それは、イエスが、最後の晩餐の直前に弟子たちの足を洗った、という出来事です。この出来事は、愛をもって仕えるということについて、イエスが示したシンボリックな行為でありました。

弟子たちの足とは、どんな足だったでありましょうか。イエスの時代、舗装などありません。言うまでもなく車などはなく、どこに行くにも歩きでした。また、スニーカーもありません。サンダルのようなもので道を歩いていましたし、様々な作業も同様ですので、足は常にかなり汚れていたはずです。したがって汚れた足を差し出すのは、弟子たちもかなりのためらいがあったようです。こんな汚い足を差し出したらイエスに嫌われてしまうのではないか、と心配したのかもしれません。しかし、イエスは弟子たちに強く願って、彼らの汚れた足を洗いました。

イエスがこのことを通して伝えたかったこととは、イエス自身のへりくだった姿勢を示すということよりも、弟子たちが、自分の弱いところ、欠点、見せたくないところを隠さず、あるがまま差し出すことを促すことにあったように思います。弱い自分を隠すのではなく、差し出すこと、何かを握るのではなく、、手を離して委ねることそれは相手への信頼なしにはできません。

戦争という直接的な暴力も構造的な暴力も、何らかの強さを前提としたものです。そこにおいては、自分の財産や名誉、地位といった強さを守ること、それが平和だとみなされます。しかしながら、イエスの平和とは、こうした強さを前提とした平和とは真逆で、弱さを前提としたものです。自分の弱さを認め、またそれを隠さず、お互いにその弱さを補いながら生きること、つまり互いに愛をもって仕えること、それこそが、イエスが与える平和でありました。

お互いの弱さを補い合い、仕え合うことを通して平和を求めてまいりたいと思います。
(チャプレン 相原太郎)


アベリアとヤマトシジミ

【知恵の書第1章5節】
人を教え導く聖なる霊は、偽りを避け、/愚かな考えからは遠ざかり、/不正に出会えばそれを嫌う。

 

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【創世記1章27‐31節】
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 

✝ ✝ ✝

創世記の冒頭では、この世界の始まりが7日間の出来事として描かれています。その7日間の記事は、一つのパターン、同じフレーズの繰り返しによって構成されています。

1日目、神は光を造りました。聖書にはこのように書かれています。「神は、言われた。『光あれ。』こうして、光があった。そして神は光を見て、良しとされた。」

2日目に、空と水を造りました。そして3日目には、海と陸を造りました。こう書かれています。「神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」さらに、「地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。」つまり、穀物をもたらす草と果物をもたらす樹木を造りました。そしてこう書かれています。「神はこれを見て、良しとされた。」

4日目には、太陽を造ります。月も造ります。星も造ります。そして昼と夜を造り、年月日を造り、さらに季節を造り出します。そして、神はこれを見て「良し」と言いました。

5日目。今度は動物です。魚や鳥も造ります。神はこれを見て、「良し」と言いました。

このように、聖書の記述において、神は、この世界のあらゆるものを次々と造り出し、そして、それを見て、「良し」「良し」「良し」と繰り返していきます。

6日目は、いよいよ、私たち人間の創造です。こう書かれています。「神は御自分にかたどって人を創造された。男と女とに創造された。」そして、神は造り出した人間の存在を強く肯定すべく、祝福されました。神は、こう言いました。「見よ、それは極めて良かった」。

それまで、神は様々なものを造り出し、それを見て「良し」「良し」「良し」と言ってきましたが、人間を造ったときには、「極めて良かった」「とても良い」と述べたわけです。この「良し」という言葉は英語の聖書ではgoodです。そして「極めて良かった」はvery goodです。つまり、神による、この世界の始まりの物語は、簡単にまとめるならば、good、good、good、good、very goodです。

こんな神話みたいな話は信頼できない、非科学的だと思われるかもしれません。しかしながら、ぜひおさえておきたいことがあります。それは、この創造物語を編纂した頃のイスラエルの民のことです。その頃、イスラエルは、外国の勢力によって国そのものが滅ぼされ、アイデンティティそのものであった神殿も壊され、外国に強制移住させられている最悪の絶望の中にありました。しかし、彼らはそのような苦しみの中でも、自暴自棄にならず、こんなことから生まれてこなければよかったなどとも思わず、他でもない神に信頼し、それ以外のものを神とはせずに、この世界を肯定する、という思いに到達したのでした。そのことが、端的に現れているのが、この分厚い聖書の冒頭の言葉、「初めに、神は天と地とを創造された」という言葉です。

この創世記の物語は、この世界に対する肯定です。そして人間に対する圧倒的な肯定です。この世界は、本来良いものとして、そして、私たち人間は、本来、良いもの、極めて良いものとして造られたのだ、ということを、聖書の冒頭において、高らかに宣言するものです。

今、世界は、新型コロナウイルスの感染の中で、暗く、混沌としています。私たちの生活もまた、多くの不安があります。多くの人達が自身を失っています。様々な苦しみがあります。しかしながら、それでもなお、いや、だからこそ、聖書は、その冒頭から、私たちの世界とは本来良いものなのだ、私たち人間は神のかたちに似せて造られた極めて良いものなのだ、神様による最高傑作なのだ、私たちを勇気づけるように語りかけてきます。私たちは、そのように圧倒的に肯定され、祝福された存在なのだ、ということを覚えてまいりたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


アメジストセージ

【詩編第69編14節】
69:14  あなたに向かってわたしは祈ります。主よ、御旨にかなうときに/神よ、豊かな慈しみのゆえに/わたしに答えて確かな救いをお与えください。

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【ルカによる福音書14:13‐14】
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

✝ ✝ ✝

人を宴会に招く時、さらには、人になにかをする時、お返しを期待しない、見返りを求めない、というところに、今日聖書の箇所のポイントがあります。

私たちが、たとえば披露宴などを行うとき、何らかの利害関係者を招待するのが一般的だと思います。この人を招けば、あとで自分にこういうことをしてくれるのではないか、あるいは、この人たちに親切にしておくと、きっとみんなから尊敬されるのではないか、といった具合です。このように、一見相手のためにしているような事柄も、実は自分のためにしている、ということは、私たちの日常の中でよくあることではないかと思います。それは、相手と関係をもっている、すなわちダイアローグのように見えて、実は自分の中で物事が完結している、すなわちモノローグになってしまっている、ということでもあります。

柳城において大切にされている愛による奉仕の精神について考える時、相手に対して自分が期待するような見返りを求めることない、というところに一つのポイントがあるように思います。それは、たとえば、たとえば親が子を大事にするようなものです。親が子を大事にするのは、いずれその子が自分を養ってくれるから、といった下心があるからではないはずです。それは、保育や教育の現場などでも本来的には同じだと思います。

自分にとっては面倒だと感じる人に遭遇することがあると思います。できれば関わりを持ちたくないと思うのが自然かもしれません。しかしながら、そんなふうに、自分にとってメリットがないと思うときほど、言い換えれば、相手が自分にお返しができないと思うときほど、むしろ丁寧に関係を築いていきたいと思うのです。

相手のためと言いながら実は自分のためにしている、あるいは、相手と関係を持っているように見えて実は自分の中で物事が完結してしまっている、そんな自分自身の殻から解き放たれよ、と神が招いてくださっていることを覚えたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


キンカン

【詩編19章13節】
知らずに犯した過ち、隠れた罪からどうかわたしを清めてください。

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<はじめに>
皆さんは、過去に「この人を許せない!ガチで赦せない!」と思ったこと、あるいは過去ではなく、今も続いているということはありませんか。

私は、そのことで長年とても苦しい思いをしてきていますので、その話をしたいと思います。

1.きっかけ
私は18歳の時に生まれて初めて聖書やキリスト教の話を聞いて、教会に行くようになりました。そして、22歳の時(大学4年)洗礼の恵みにあずかりました。

教会で、牧師さんの奥さん(A先生)から、子ども用の礼拝の奏楽をピアノでやってみないかと言われ、私は、バイエルくらいしか弾けないので…できないですと断ったのですが、子ども用の曲は割と簡単だし、子どもは5~6人くらい、小さい集まりなので気軽に弾いてみないかと言われ、それならやってみようかと思って引き受けました。

そして1週間後の礼拝で私はピアノを弾きました。それは、つっかえつっかえ何とか弾いたというひどい出来栄えでした。自分でも「まだまだ練習が足りないなあ」と思って反省していたところ、礼拝が終わるとすぐにA先生がとんできて、「あのピアノじゃあ、子どもたちは歌えないわよ。もう来週からは弾かなくていいです。」と冷たく言われました。私の言い分を聴こうともせずに、刀を振りかざしたようなAさんの言葉に、私は、A先生に不信感を抱き、それからはピアノを頼まれることもありませんでした。モヤモヤが残りました。あんな言い方しなくてもいいじゃん、頼んできたのは向こうの方なのに、私も1度はお断りしているし…。ひどいよ。

2.その後
大学卒業後は、地元の静岡で就職し、学生の時とは別の教会へ行くことになりました。伴奏者がいないので、ピアノを弾いてみない、弾いてほしいとそこでも頼まれることがありましたが、私にはどうしてもできず、「下手なので。」と言って今度ははっきりとお断りすることにしていました。あの時のように、また自分が傷つかないようにと自分を守っていたのです。

3.依然として忘れられないA先生への怒り
事あるごとに、A先生の顔が浮かんできて、とても苦しかったです。忘れたい、もう過去の出来事なんだし、Aさんともきっと会うこともないと思いこもうとしますが、自分の意識とは別のところで、コントロールできずにAさんのことが思い出されてきました。次第に、「私はAさんのせいで、こんなトラウマを負うことになったんだ」と相手を憎む気持ちになっていくことに気づきました。

4.祈り「私の罪をお許しください。私も人の罪を許します」
日曜日の礼拝に行くたびに祈る、この言葉が本当に苦しかったです。私はAさんを許すことができていなかったからです。

5.神様と向き合う
それから20年以上が過ぎました。ある時、ふと一人で思いました。「私がAさんのことを許せないと思っているということは、もしかすると、私とこれまで関わりのあった人が、私の言動に傷つき、私のことを許せないとひそかに思っている人がいるかもしれない」ということを。

私は、その場で、自分の罪を言い表しました。小学生の頃、仲良しのひとみちゃんという友達に意地悪なことをしてしまったこと、相手との約束を守らなかったこと、大人になって27歳の頃、私が想いを寄せていた片思いの彼が、私の親友と結婚したのですが、素直に2人を祝福できず、連絡を一切とらずに断絶していたことなど…。思い出せるだけの罪を言葉にして祈り、神様に赦してほしいと祈りました。

最初に述べた教会のピアノでのAさんを恨む思いは、魔法のようには消えませんでしたが、はっきりと自覚したのは、私は「自分こそ神の前に罪人であり、毎日赦しを頂いて生きている存在なのだと」ということでした。

6.コロナで礼拝の奏楽を学生ではなく、教員がすることになった時
4・5月は自宅学習、現在は半日授業になり、奏楽を依頼していた2年生が、奏楽ができなくなりました。「あー、困ったなあ。学生に頼んでいたのになあ」とため息をついた時に、神様からの語り掛けがあったのです。「あなたが弾きなさい。」 すぐに私は「えー、嫌です。私じゃなくて、どなたかが奏楽をなさってほしい。それに神様、よくご存じじゃありませんか。私が以前、ピアノのことでとても傷ついているということを。神様、これ以上私を苦しめるのですか?」と思いました。

神様がとても悲しい顔をしているのが、浮かびました。私は、神様が自分にやりなさいと言って下さっているのだから、神様を信じて、オルガンをやってみようと決め、神様に祈りました。「分かりました、神様。オルガンをやります。神様のために、礼拝のために私を用いて下さい。」すると、不思議と心が軽くなるのが分かりました。

それから私は毎週火曜日の礼拝でオルガンを弾くようになりました。今は、弾くことに対して心が穏やかになり、私を新しく作りかえてくださった神様にとても感謝しています。

神様は、お祈りを叶えて下さる方です。信じて従ってくる者を決して飢えさせないお方です。
最後に、聖書の言葉で締めくくります。
マタイによる福音書6章5節
「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。」
(柴田智世 名古屋柳城短期大学 准教授)

 

 

【マルコによる福音書10:46-52】
10:46 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。
10:47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。
10:48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
10:49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」
10:50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
10:51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。
10:52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

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お読みしました聖書の物語は、イエスの奇跡物語の一つです。

バルティマイという一人の人物が道端に座って、物乞いをしていました。彼は、誰からも見向きもされず、物乞いのために屈辱に耐えながら座り続けていました。そこに、イエスの一団が通りかかります。バルティマイは、それがあの噂のイエスだと聞くと、「わたしを憐れんでください」と叫び出します。「憐れんでください」という叫びは、誰からも見向きもされない、わたしの苦しみを受け止めてほしい、というような意味でありました。

しかし、イエスと一緒に行動していた人々は、バルティマイを叱りつけ、黙らせようとしました。人々は、大事な指導者が、こんなちっぽけな人の相手をしている場合ではない、イエスがこれからしなければならない大切な働きにとっては邪魔でしかない、と考えたのでありましょう。

ところが、イエスは違いました。イエスはバルティマイの存在に気がつくと、彼一人のために、足を止めます。そして、彼を自分のところに招くのでした。

すると、一緒に歩いていた人々に変化が起こります。当初は、道端の邪魔者程度にしか思わなかったその物乞いが、「バルティマイ」という名前を持つ一人の人間として見えるようになります。そして、人々はバルティマイに、こう声をかけるに至ります。「安心しなさい。立ちなさい。イエスがお呼びだ」。呼びかけられたバルティマイは、喜び躍り上がってイエスのところに向かいます。そして、イエスから「行きなさい」と送り出され、彼は癒やされたのでした。

この物語において一つのポイントとなるのは、人々の変化です。

当初、イエスの弟子たちは、自分たちの行動に夢中になっていて、バルティマイのことはまったく視覚に入っていませんでした。しかし、イエスの促しによって、道の端に座っていたバルティマイが一人の尊厳を持った人間として、彼らの前に立ち現れてきたわけです。そして、彼らはバルティマイとの人間的な関係を開始します。

そう考えてみますと、目が開かれたのは、バルティマイよりも、実は人々のほうでありました。バルティマイはイエスに「行きなさい」と送り出されて癒やされ、その目に光を取り戻したわけですが、しかし、むしろ光を取り戻したのは、人々のほうでありました。奇跡と言うならば、むしろ、この関係性の変化こそが奇跡だと言えます。

私たちの社会では、困っている人々に寄り添うと言いながら、実際には、高みに立って眺めるだけ、あるいは、自分の暮らしや生き方に変化が起きない範囲で「手を貸す」程度で、本当にその人と共にあろうとはしない、ということがあると思います。

しかしながらイエスは違いました。イエスは、高みに立って通り過ぎるのではなく、足を止め、自ら低みに降りていき、その関係性を大きく変えたのでした。それによって、イエスを取り巻く人々にも関係性に変化が起きていったのでした。

私達もまた、この社会の隅で座り込んでいる人々の前を、足早に通り過ぎることなく、足を止め、人々の間に入って、その痛みに、その存在に気付かされていきたいと思います。自分自身を取り巻く関係性に変化が起きているその時、実は、私たち自身もまた、イエスから「行きなさい」と送り出されているのだ、ということを覚えたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


中庭の芝生

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