【マタイによる福音書7:9-12】
7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
これまでの生活の中で、「自分がされたくないことは、他の人にもしてはだめ」、「自分が嫌だ、迷惑だ、と思うことは、他の人にもしないように」と、何度も言われてきたと思います。そのように言われてきた私たちは、普段の生活の中で、できるだけ人に迷惑がられないよう距離をとったり、余計なことを言わないようにしたりしがちです。ですので、私たちは、お互いの距離がとられていたり、余計な会話をしないで済ませられる場所に行ったりすると、便利だ、快適だ、と思うことがあると思います。
たとえば、コンビニです。コンビニで会話をすることはほとんどありません。コンビニの店員さんから名前で呼びかけられ、「最近どうしていますか?」「今日は何を買いに来たのですか?」などとパーソナルなことを聞かれたら、面倒だと思うようになっています。
コンビニ、ショッピングモール、ネット通販。現代の生活では、人間的な関係性を断ち切り、商品と直接つながることが、便利で快適だと感じるようになっているところがあります。そこでは、確かに、お互いに迷惑をかけることは回避できるかもしれません。
今日の聖書の中に、「人にしてもらいたいと思うことはなんでも、人にしなさい」というイエスの言葉がありました。「人にしてもらいたくないこと、嫌だと思うことは、他の人にもしないように」ではなく、「人にしてもらいたいことを、人にしなさい」です。
「他の人にもしないように」は、今、説明しましたように、人と人とが離れる方向へと向かいがちです。一方、「人にしてもらいたいことを、人にしなさい」というイエスのメッセージは、人と人が積極的にかかわる方向を示しています。
これは、簡単なようで簡単ではありません。というのも、自分がしてほしいと思うことが、必ずしもその相手にとっては、してほしいと思うとは限らないからです。たとえば、電車の中でせっかく席を譲ろうとしたのに断られた、ということはよくあることです。
人にしてほしいことをしようとすると、かえって迷惑になってしまう、ということ。お互い人間ですので、そうしたことを完全に避けることはできません。人にしてほしいことをして、かえって、傷つくこともあるかもしれません。
しかし、心の底から自分自身が本当に求めていることが何なのかを徹底して追求し、そのようにして、隣人を大事にし、愛しぬかれたのが、他ならぬイエスでした。
そしてイエスは、今ここにいる私達に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と呼びかけておられます。
そこでです。まずは、柳城にいる間、本当に自分自身がしてほしいことは何かを見極めながら、同時に、これはひょっとしたら迷惑なのではないかと思うレベルを少し緩め、人にしてほしいことを他の人にも、ぜひ、してみていいただきたいと思います。逆に、何か人にしてもらった時には、そんな余計なことをしないで、と思ってしまう場合でもまず、自分がしてほしいことをしてくれた、大切に考えてくれた、と考えてみていただきたいと思います。そのようにして、お互いの違いを認め合いながら、思う存分、安心して、人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にする、という練習を、この柳城でしてみていただけたらと思います。
今日の聖書にこう書かれています。「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるちがいない。」本当にその人が必要なものは、最終的には、神が間違いなく与えてくださいます。安心して、人にしてほしいことをしてみていただきたいと思います。(チャプレン 相原 太郎)