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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:4~7)

チャプレンタイムの中で、高校の時、どこへ修学旅行に行った?と質問したら、そのうちの何と3分の1くらいが「沖縄へ行った」と答えました。それに「広島」「長崎」を加えると、何と修学旅行の行先の6~7割になります。

南の島、トロピカルムード漂う沖縄、異国情緒豊かでハウステンボスなどがある長崎、安芸の宮島など景観に恵まれ、牡蠣やもみじ饅頭で有名な広島ですが、実は「沖縄」」「広島」「長崎」は言うまでもなく、平和学習のための重要な三つの場所(戦跡)なのです。「沖縄」は太平洋戦争末期1945年4月から8月、本土決戦に向けての時間稼ぎの捨て石作戦(持久戦)のため、20万人をこえる人々が亡くなりました。そのうち94,000人が沖縄の一般住民でした。これは県民の4人に一人に相当します。広島の原爆では35万の人口の内14万人、長崎の原爆では24万人の人口のうち74,000人が亡くなりました。名古屋でもB29爆撃機の68回にわたる空襲で約8,000人が亡くなりました。

戦争は人間の理性も良心も麻痺させてしまいます。そして神によって造られた何ものにも代えがたい尊い命を奪ってしまいます。戦争は人間の犯す最も重い罪です。神から与えられたたった一つのかけがえのない命を奪ってしまうからです。人間には人の命を奪う権利はありません。ですから、死刑制度も人が人の命を法律によって奪うことですから、この制度を廃止すべきであると世界各国で叫ばれているのです。(アムネスティーの運動)

創世記では、神の息吹きを受けて生かされている人間の尊厳が語られます。しかし、人間は土の塵で造られた小さく弱い存在なので、神の大きな命の息吹きの中で生きていくことが求められているのです。

「命(ぬち)どぅ宝」とは、恒久平和を求める沖縄の心、沖縄戦の悲惨な体験と今尚続く米軍支配の重圧にあらがいながら、常に願い培ってきた沖縄の心です。人間の尊厳を何よりも重視し、相手を尊び、お互いに支え合い活かし合い、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求める人間性の発露である文化をこよなく愛する沖縄の心を「命(ぬち)どぅ宝」と言います。

ある学生は言いました。楽しいはずの修学旅行が、とっても重く暗い気持ちの旅行になってしまったと。「沖縄から名古屋は見えるけれども、名古屋からは沖縄が見えない。」   沖縄、長崎、広島に行って初めて、わたしたちは沖縄の視点、長崎、広島の視点に立ってものごとを見ることの大切さを学ぶことが出来るのです。

平和は待っていてもやってきません。どんな小さなことでも、平和を実現するための努力を惜しまないこと、また戦争に繋がるようなことは、どんな小さな芽でも早く摘み取る必要があります。多くの犠牲の上に成り立った平和憲法を、しっかり守り抜き、二度と戦争をしない、平和を愛する国であることを声を大にして訴えていきたいものです。

6月23日、沖縄慰霊の日、沖縄戦全戦没者追悼式で糸満市の小学校6年生の少女が読んだ詩「本当の幸せ」をここで紹介します。(朝日新聞6/24 朝刊)

青くきれいな海 この海は どんな景色を見ているのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ ほのおで包まれた町 そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地 この大地は どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音 泣き叫ぶ幼子 兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空 この空は どんなことを思ったのだろうか
緑が消え、町が消え、希望の光を失った島 体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が失われたことを知り そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代 私はこの世に生まれた 青くきれいな海 緑あふれる大地 青く澄み渡る空しか知らない私 海や大地や空が七十四年前 何を見て 何を聞き 何を思ったのか
知らない世代が増えている 体験したことはなくとも 戦争の非さんさを 決して繰り返してはいけないことを 伝え継いでいくことは 今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために この島がこの国がこの世界が 幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない 家族と友達と笑い合える
毎日こそが 本当の幸せだ 未来の夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命(ぬち)どぅ宝」 生きているから笑い合える 生きているから未来がある
令和時代 明日への希望を願う新しい時代が始まった この幸せをいつまでも

最後にヒロシマの詩人 峠 三吉の詩ユネスコ憲章を読んで終わります。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよにあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。」(1945年 ユネスコ憲章)

(チャプレン大西 修)

【ローマの信徒への手紙12:9-17】
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。
12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。

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止揚学園の福井達雨 1932(昭和7)年滋賀県近江八幡市に生まれる。1956(昭和31)年.同志社大学神学部に学ぶ。学生時代から障害児の教育(教育心理学を専攻)と差別問題に取り組む。

1962(昭和37)年、20歳の時初めて精神年齢1歳ぐらいの知能に重い障害をもつ子どもたちに出会い、大きなショックを受け、自分の無知と傲慢に気づかされ、27歳の時から知能に重い障害をもつ子どもの施設を作り始め、1972(昭和47)年、30歳の時「止揚学園」を設立。今年でこの働きを始めて60年、設立57年になる。今年87歳。

止揚学園の「止揚」(アウフヘーベン・Aufheben)とは?
ヘーゲルの弁証哲学用語
・あるものを、そのものとしては否定しながら、さらに高い段階で生かすこと。
・矛盾するものをさらに高い段階で統一し解決すること。
・二つのものが一つになって、今よりももって高い次元に入って大きなものに変わっていくこと。

知能に重い障害をもつ子どもたちの将来を思い描きながらこの学園名が付けられた。

彼に感化を与えた人たち

~韓国人、海南島(ナメドン)出身。20歳で来日。結婚し、のちに帰化。在日1世としての民族差別、結婚差別を受ける。*メレル・ヴォ―リスとの出会いから、近江兄弟社のドライバーとして奉職。戦後、満州奉天(現在の瀋陽)から引き揚げて来る。信仰の確立は「謙虚であること」「感謝を忘れないこと」「希望を失わないこと」「忍耐をもつこと」にあると、日常生活を通して達雨に教えた。他人のうわさ話、非難を口にしない人だった。106歳で死去。

*ウイリアム メレル ヴォーリズ(William Merrell Vories)一柳米来留(ひとつやなぎめれる)1880(明治13)年10月28日~1964(昭和39)年5月7日83歳で逝去。米国カンザス州生まれ。建築家、社会事業家、信徒伝道者。「近江兄弟社」の創立者の一人、メンソレータムを普及させた。

~日本人。高2の時、38歳で死去。3男1女の母。達雨は長男。キリスト者として戦争に反対し、天皇は神にあらずと主張し、「非国民」の汚名を着せられ、孤独で苦しく、大変な時を過ごしたが、それに負けることなく、信仰をもって明るく生き生きと過ごしていた。彼は「非国民の子ども」といじめられ、友だちとして遊んでもらえなかったため、母を憎んだこともあった。母のそんな姿が、わがまま、利己的な人間、子供への愛のない人間としかその当時、彼には映らなかった。母の素晴らしさがわかってきたのは、知能に重い障害をもつ子どもたちと共に生き始めてからだった。小中学生時代、友だちと遊んでもらえない孤独な日々を過ごしたが、その試練こそ、知能に重い障害をもつ子どもたちと共に生きる源になった。と彼は言う。

「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで、忍耐が生じます。試練を耐え忍ぶ人は幸いです。」(ヤコブ1:1-3,12)

一柳(ひとつやなぎ)満喜子先生 1884(明治17)年~1969(昭和44)年 85歳1919(大正8)年 35歳でウイリアム メレル ヴォーリズと明治学院で結婚。達雨の幼稚園教師(清友幼稚園1922年~現・近江兄弟社幼稚園)。厳しい先生だったが怖い先生ではなかった。怖さの中には冷たさがあるが、厳しさの中には温かさ、ぬくもりがあり、優しさがあった。人間的に言えば、「円満な人格者」ではなかったが、自分が弱さを持ちながら自らをキリストに向け、完全に向かって努力し、そこから自分の人格のすべて、弱いことも強いことも、達雨にぶつけて、聖書を、キリストを、人間の生き方を教えてくれた先生出会った。その先生との人格的な関わりの中で、知能に重い障害をもつ子どもたちの教育に入った。キリスト者、教育者に円満な人格者像はない。欠陥の多い人間が、弱い人間がキリストによって、子どもたちによって強くさせられ、完全に向かって歩もうとする努力者像を彼女から教えられた。「掃除」は心でするもので、見えないところをきれいにすることである、そんなことも日常生活の中で教えられたと彼は言っている。

光子夫人 香川県の浄土真宗寺院の娘で高校時代に洗礼を受け、18歳で開園したばかりの止揚学園を訪れ、30歳の達雨と出会い、21歳の時、33歳の達雨と結婚。結婚生活50 年間、主に見守られ、祈りつつ、達雨にとってかけがえのない伴侶として、止揚学園を世の光として輝かせてきた。彼は不器用ではあるが、実直で、イエス・キリストを信じ、希望をもって生きる姿勢に惹かれて歩んでいる。
彼女は止揚学園への募金に対するお礼として、いつも真心の籠った直筆で、園の様子、子どもの様子を生き生きと伝えてくださる謙虚さには頭が下がる。信仰とは人間が神を造り、信ずるのではなく、神が人間に信仰を与えてくださるものである。教育者とは、自分が子どもたちを選ぶのではなく、子どもたちに選ばれて、はじめて教育者になることができるのである。

知能に重い障害をもつ子どもたちへの偏見と差別

*施設を建てる時の反対運動~止揚学園の子どもが怖い、恐ろしい、環境が悪くなる。自分の子どもたちが外で遊べなくなる。止揚学園の子と遊ぶとアホになる。(大人が持っている偏見が、子どもたちの行動となって現れる) 著書「こわいことなんかあれへん」
*みんなが一緒に学んだり遊んだりできないことへの反対運動(学校教育)
*障害者お断わり(諸施設への入場制限、飛行機に乗れなかったことへの反対運動で、それをクリアーでき海外旅行に行ったこと~「みなみの島にいったんや」
*止揚学園の子どもたちが洗礼を受けられるようになったこと~これまでは、信仰告白をしなければ受けられなかった。その壁が取り払われたこと。

達雨は聖書のみ言葉と、それによって歩んできた上記の人々から、忍耐と練達、それが希望を生みだすことを実生活の中から学び、自らもその道を歩み続けているのである。

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからです。おおよそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(へブル12:4-5,11

【マタイによる福音書5:9】
5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

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今年も5月3日「憲法記念日」を迎えました。ゴールデン・ウイーク中だったので、知らないうちに過ぎてしまったと思っている人もいるかもしれません。

でもこの日は大切な日です。「日本国憲法」が1946(昭和21)年11月3日に公布され、1947(昭和22)年5月3日に施行されたことを記念して、1948(昭和23)年に「憲法記念日」という祝日に制定されました。

第2次世界大戦後、制定された「日本国憲法」は、戦前まであった明治時代に制定された「大日本帝国憲法」とは、大きく変わりました。「日本国憲法」が制定された目的は、民主国家をつくりあげ、2度と侵略戦争を起こさないためです。「日本国憲法」には三大原則があります。まず第1は主権が天皇から国民に移ったこと、国のあり方を決める政治の主役は天皇ではなく国民であるということです。国民主権です。第2は「基本的人権の尊重」です。これは人が人間らしく生きる権利を尊重することです。この権利の中には自由権、平等権、社会権(生存権)、参政権、請求権などがあります。第3は「平和主義」です。世界平和のために日本は戦争をしない、戦争を放棄すること。憲法第9条を守ることがとても大切なことです。現在、憲法第9条の改正が取り沙汰されていますが、わたしたちはしっかり憲法第9条を守っていく責任があります。憲法は主権者であるわたしたち国民が、国を、そして政府を縛るものであることを忘れないようにしたいものです。

先の大戦の犠牲者はアジアで2,000万人以上、国内で300万人以上と言われています。人間の為す愚かな争いは、なくさなければなりません。

紀元前8世紀後半のユダの預言者イザヤはこう言っています。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」(イザヤ2:4~5)

イエスさまは「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。わたしたちは礼拝の中で「主の平和」と言って、お互いに「平和の挨拶」を交わします。すべての人の間で神さまの愛が感じられる時、人が作る平和ではなく、神さまからの平和がやってきます。わたしたちはその平和を実現するために、今何をすればいいのでしょうか。わたしたちに出来ることを、小さなことでもいいから見つけ出して実行していきましょう。 (チャプレン 主教 大西修)

【マタイによる福音書6:9-13】
6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
6:12 わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』

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「主の祈り」はイエスさまが教えてくださった祈りで、一番基本的で大切な祈りです。マタイによる福音書6章9節―13節(新約聖書9頁)とルカによる福音書11章2節―4節(新約聖書127頁)に記されています。主の祈りはイエスさまの言われたこと、なさったこと「福音全体の要約である」とテルトゥリアヌスという古代の神学者は言いました。

「主の祈り」は1,900年前から今日まで、教会の礼拝の中で絶えず祈り続けられてきています。どこの教会へ行っても祈られています。柳城の礼拝でもいつも用いますので、ぜひ覚えてください。

「主の祈り」の内容は(1)呼びかけ~呼びかける相手がはっきりしています。イエスさまをこの世にお遣わしになった神さまへの呼びかけです。(2)前半の三つ~神(あなた)についての祈り~と(3)後半の三つ~人間(わたしたち)についての祈り~ から成り立っています。

祈りは神さまとの対話です。ですから、必ず対話の相手である神さまに、天におられる(見えなくても、どこにでもいらっしゃる、すべてものを存在させ、わたしたち一人一人に命を与えてくださっている)わたしたちの父よ、と呼びかけます。相手が分からなくては呼びかけられません。その相手(神さま)を本当に信じていなければ、祈りにはなりません。あなたは祈る時、どんな神さまに祈っていますか?

信じている神さまの偉大な力と素晴らしさをすべての人がほめたたえ、賛美し、あなたによる正義と平和と愛がこの地上にも実現しますようにと祈ります。

後半に、わたしたちについての祈りがあります。日本人の多くは、神さまへの祈願(お願い)=祈りと考えています。祈願=祈りではなく、祈願は祈りの一部です。「主の祈り」の大切なところは「わたしの祈り」ではなく「わたしたちの祈り」であることです。全人類のための祈りと言ってもいいと思います。当たり前のこととして、毎日3度の食事をとっているわたしたちが、「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」と祈るのはなぜでしょうか。それは現在でも世界で1日に25,000人もの餓死する人がいるからにほかなりません。その人たちのことも覚えて祈るのです。

「わたしの罪」ではなく「わたしたちの罪をおゆるしてください。わたしたちも人をゆるします」と祈ります。わたしたちは神さまの思いをしばしば裏切りますが、わたしたちを愛しておられる神さまは、そんなわたしたちをゆるしてくださいます。ゆるされた喜びを知った人は、他者をゆるすことができる人へと変えられていきます。

誘惑とは、わたしたちを常に神さまの思いから引き離し、自己中心的な生き方へと引き寄せる力、「サタン」「悪魔」の働きのことです。現代のように物質的に豊かな社会では、物質的な欲望への刺激や、性的な誘惑などが巨大化しています。このような中でわたしたちは日々、自己中心的な決断をし、隣人を無視、黙殺し、苦しみ、悲しみ、悩む人々を冷たく切り離しています。そのように悪におちいりやすく弱いわたしたちを支え励ましてくださいと願い、祈ります。

最後には「アーメン」と唱えますが、それは「そうです、そのとおりです、本当に」という意味のヘブライ語です。真心から祈る時、また誰かが祈った時、最後に一緒に「アーメン」と唱えることは、わたしもそう思います、そう祈っていますという心を表明することなのです。(チャプレン大西 修)

本学同窓会「のぞみの会」からの素晴らしいプレゼントが今年も届きました!(^^)! 感謝です‼

観劇会もこれで3回目となりました。(過去の記事はこちらで→2015年度2017年度
毎回とも、劇団うりんこさんの丁寧かつシンプルでメッセージ性の強い作品に感謝感激しています。

今回の作品「はなのき村」は、新美南吉の「花のき村と盗人たち」を原作にしたお話しでした。人を疑うことを知らない純朴な人たちに触れることで悪人が悔い改めていくというそのストーリーは、福音書にある「放蕩息子のたとえ」「徴税人ザアカイ」を連想させてくれるものでした。

以前の2作品に比べて、今回は、学生さんの観劇中のリアクションが乏しかったですが、それはたぶん、劇のメッセージが心に深く届いていた証拠かもしれません。チャプレンも語っていた通り、「学生全員にぜひ見て欲しい」作品でした。

「子どもの前に立つ仕事に就くからには、心を豊かにしておいて欲しい」と語った同窓会長さんのスピーチも印象的でした。確かに、子どもを教え導きたいなら、自分自身も学び続けるべきでしょうね。

そういう謙虚な気持ちだけは柳城でシッカリと身につけて欲しいものです。そのツールとして、大学礼拝や今回のような企画を、長年にわたり柳城が大切にしてきたことを誇りにしたいと思います。主に栄光(K)

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」 (マルコによる福音書10章43~45 節)

わたしたちは誰もが「偉くなりたい」「もっと上の地位につきたい」「みんなから尊敬される人になりたい」、そんな願望をもって生きているのではないでしょうか。

イエスさまの弟子たちもそんな思いをもってイエスさまと起居を共にしていました。

イエスさまの一番の弟子になれたら、きっと、人々からも尊敬され、充実した生活を送れるに違いないと考えていました。そんな弟子たちの様子をご覧になって、イエス様は上記のように言われたのです。あなたたちが「偉くなりたい」「もっと上の地位につきたい」「みんなから尊敬される人になりたい」と思うなら、まずいちばん社会の底辺にいる人、僕(奴隷)の立場に身を置きなさい。奴隷は忍耐をもって主人に仕えることが役目です。けれどもイエスさまはすべての人に仕える奴隷になりなさいと言われました。

「愛をもってわたしはすべての人に仕えるために来たのだ、上げ膳、据え膳で殿様のように特別待遇、優遇されるために来たのではない、全くその反対で、社会の中で人間としての扱いも受けず、苦しみ、悩み、傷つき、病に倒れ、生きる希望もなく、さまよっている人々と共に生き、それらの人々に生きる勇気と希望を与えるために、さらにそれらの人々に代わって苦しみ、悩み、傷つき、病に倒れ、死をも厭わない、それらの人々のために自分の命を献げる」とイエスさまは言われ、そのとおり十字架の上で死なれたのです。

保育者としてこれから生きていこうとして学んでいる皆さんにとって、忘れてはならないことは、皆さんが保育の現場で関わりを持つ子どもたち、教職員、保育士、子どもたちの保護者に仕えることが重要であるということです。

保育に関わる日々は必ず苦難が伴いますが、苦難は忍耐を生み出します。忍耐のない人生はありません。生きている限り、忍耐が必要とされる場面に幾度となく遭遇します。忍耐を避けてはなりません。忍耐はあなたを人間として大きく成長させるからです。それを乗り越えたときに品格(練達)が生まれます。その品格が希望を生みだしていきます。そして希望は失望に終わることはないのです。(ローマの信徒への手紙5:3~5)

キリスト教保育の原点はイエスさまに示された「神の愛」にあります。その「神の愛」はイエスさまのご生涯の中で具体的に示されました。「愛をもって仕えること」が、わたしたちの保育の目指すところ、目標です。子どもたちひとりひとりをしっかり見つめ、子どもたちに歩調を合わせて歩んで行くこと、共に生きていくこと、イエスさまの歩まれた道を忘れずに、絶えず自らを振り返りつつ、前進していくことがわたしたちに求められている生き方ではないでしょうか。(チャプレン 大西 修)


ヒマワリの種蒔き

有名なイエスさまの山上の説教(垂訓)の中に

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイ7:7~8)という言葉が出てきます。皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。

柳城では毎朝8時40分~50分の10分間、カフェ棟のキッチン「はらぺこ」で朝の礼拝をしています。聖歌を歌い、主の祈りを唱え、祈りを共にし、聖書のみ言葉を聞き、ショート・メッセージに耳を傾け、代祷と黙祷をし、最後にもう一曲聖歌を歌って終わります。

その中で、共に唱える祈りの一つに次のものがあります。

「主よ、今日もここに集うことができたこと、わたしたちは感謝します。
イエス・キリストが大切にされた、子どもたちのために、
わたしたちは今日も、しっかり学びます。しっかり働きます。
人を教える前に、自分自身を高めます。
どうか、わたしたちに、力と勇気を与えてください。
わたしたちを怠け者にしないでください。
わたしたちは人の役に立ちたいです。
人を愛せる心を与えてください。
主よ、どうかお願いいたします。
イエス・キリストの愛と勇気を、わたしたちにも与えてください。
イエス・キリストは言われます。
『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。』と。
わたしたちは求め続けます。
主よ、どうか今日も一日、少しでも向上できるよう、わたしたちを導いてください。
この祈り、イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン

わたしたちが熱心に真剣に求め、探し、門をたたくことによって、わたしたちの願いが叶えられます。与えられることを信じて求め、見つかることを信じて探し、開けてもらえることを信じて門をたたくことが必要です。信じてひたすら、求め、探し、たたく時、その願いは聞かれます。何を求め、何を探し、どこの門をたたくのか、何のために、誰のために、なぜ、そうするのかが重要なポイントです。自分の願望を満足させるためではなく、人と人との関わりの中で、この願いが実現されるように祈る時、それが叶えられるのです。(チャプレン大西 修)


シオヤトンボ

 

【知恵の書6:12-18】
◆知恵はいかなるものか
6:12 知恵は輝かしく、朽ちることがない。知恵を愛する人には進んで自分を現し、/探す人には自分を示す。
6:13 求める人には自分の方から姿を見せる。
6:14 知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに/自宅の門前で待っている知恵に出会う。
6:15 知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、/知恵を思って目を覚ましていれば、/心配もすぐに消える。
6:16 知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、/道でその人たちに優しく姿を現し、/深い思いやりの心で彼らと出会う。
6:17 教訓を真心から望むことが知恵の始まりであり、
6:18 教訓に心を配ることは知恵への愛である。この愛は知恵の命じる掟を守ることである。掟を守ることは不滅を保障し、
(6:19 不滅は人を神に近づける。)

10年程前、私が柳城短大のチャプレンに就任した春の出来事です。その当時から、「柳城の学生はしっかりと挨拶ができる」と評判でした。その評判を聴いて、私自身もその姿に見習おうと、勤務初日から登下校の際、通学路ですれ違う学生ひとり一人と挨拶を交わしていました。

そのような毎日を数日程過ごしたある日の夕方、私はいつものように下校時の学生たちと通学路ですれ違い、いつものように「さようなら!!」と声を掛けました。すると、その日は、ここ数日間とは異なる学生たちの反応が返ってきました。

ある学生は一瞬、驚いたような顔をして「さっ、さようなら…」と戸惑いながら挨拶を返しました。ある学生は怪訝そうな顔をして、そのまま無言で去っていきました。また、ある学生たちは、キョトンとした顔をしながら挨拶を返し、すれ違った後で「誰、あの人?!」、「知らないんだけどぉ~」とやり取りする声が背中から聞こえてきました。そして、ある学生たちは、同様にすれ違った後で、「誰、あの人?! ヤバくない?」と笑いながら会話をしていました。

私は、ここ数日間とは異なる学生たちの反応に違和感を覚えながらも、“チャプレンになって、まだ数日だし、私のことを知らない学生がいても当然”と思いながら歩を進め、短大の角にある交番近くまで来て、ある事実に気が付き、“ハッ”としました。

柳城短大の学生たちであれば、交番の角を曲がって姿を現わすはずなのに、先ほどから、ずっと私が声を掛け続けていた学生たちの列は桜山方面からまっすぐ続いていたのです。

なんと、私は、その日、何か特別な行事でたまたまその道を集団下校していた他大学?の学生に、一人でひたすら声を掛けていたのです。その事実に気付き、いつもとは違う学生たちの反応全てが理解できました。

顔から火が出るくらいの恥ずかしさを感じたのと同時に、大切なあることに気が付きました。私は、その学生たちの違和感のある反応に対し、“まだ私のことを知らない学生がいても当然”と勝手に解釈していましたが、実は、私自身も柳城短大の学生のことを何も知っていなかったということを痛感したのです。何も知らないからこそ、柳城短大の学生と他の大学の学生の区別も付かなかったのです。“自分自身は学生たちのことを何も知りもしないのに、そのことにも気づかず、自分自身は学生たちに知られているつもり”で挨拶をしていたのです。

そのことに気付き、チャプレンとしての私自身の学生たちとの関わり方が決まりました。私は翌日から、全ての学生たちの顔と名前を覚えるようにし、学内で可能な限り声を掛け、その会話の中で学生たちひとり一人の性格や関心、好きなことや得意なこと、学びたいことやしたいこと、そして、なぜ保育士・幼稚園教諭を目指したのかなどを知り、また、私自身のことも話すようにしました。

そのような感じで学内をウロウロしている私に対し、最初、学生たちは「チャプ~、いつもフラフラしてるね。暇なの? 礼拝以外、やることないの?!」といった反応でしたが、半年も経つと、「チャプだぁ! ちょっと、話し聴いて」、「一緒にバスケしよ~」、「また礼拝行くからね!」と関わりが大きく変わっていきました。

“自分自身は学生たちのことを何も知りもしないのに、そのことにも気づかず、自分自身は学生たちに知られているつもり”でいた私が、学生たちひとり一人のことを心から知ろうとし、自分自身も学生たちひとり一人に知ってもらおうと努力した時、そこから出逢いが始まるということに気が付きました。

お互いのことを知り合おう、学び合おうとすることから、真の出逢いが始まるのです。“学ぶことは出逢うこと、出逢うことは学ぶこと”なのです。

柳城短大が、その学内生活の中で礼拝の時間を大切にしているのは、実は、学生の皆さんひとり一人に神様のことを知り、学び、そして、神様と出逢ってほしいからなのです。では、“なぜ、神様と出逢ってほしいのか?”…。それは、神様が私たちを愛している、その愛し方、その愛し方を学び、その愛し方で、これから先、皆さんが出逢うであろう子どもたちを愛してほしいからなのです。神様と同じ愛し方で、皆さんには子どもたちを愛してほしい。だから、皆さんには神様と出逢ってほしいのです。

私は学生の皆さんのことを今は何も知りませんし、学生の皆さんも私のことを今は何も知りません。これからは、色々な関わりの中で、お互いのことを知り合い、学び合い、そして、出逢っていきたいと思います。そうすれば、再び、私が間違えて他の大学の学生に声を掛けることもありません。

そして、何よりも、私との関わりの中でも、少しでも皆さんが神様と出逢うことができればと願っています。(名古屋聖マタイ教会 司祭 下原太介)

 

「ルカによる福音書23:26-47」
23:23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
23:24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
23:25 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
23:26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
23:27 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
23:28 イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
23:29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
23:30 そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。
23:31 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
23:32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
23:33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
23:35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
23:36 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、
23:37 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
23:38 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
23:40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
23:41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
23:47 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。

✝ ✝ ✝

キリスト教の教会では屋根や玄関、礼拝堂の正面などに十字架が設置されています。また祭壇の上に安置されているところもあります。屋根の十字架などは「ここが教会です」という目印になっています。韓国に行くと、その十字架の多いことに驚かされます。それだけたくさん教会があり、クリスチャンがいるということです。日本は100人に1人、韓国では3~4人に1人がクリスチャンです。

十字架はキリスト教のシンボル、教会のシンボルです。十字架は神ではありませんからそれを拝むことはしません。十字架は言うまでもなく、イエスさまがエルサレム郊外のゴルゴタの丘(されこうべの場所)ではりつけの刑に処せられた出来事に起源を持ちます。十字架を仰ぎ見るたびにわたしたちはその出来事を思い起こします。それは、罪のない神の子であるイエスさまが、死ななければならない者に代わって死んでくださった2000年前の歴史的な出来事です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と、死を前にして弟子たちにお話しになったイエスさまは、そのとおりの生き方をなさいました。そこに神の愛がはっきりと示されました。ですから、十字架は神の愛のシンボルとされるのです。

ローマ教皇、枢機卿、修道士、修道女、わたしたちの聖公会の主教などは、胸に大きな十字架をかけています。神の愛のシンボルである十字架をかけることによって、十字架を背負い、イエスさまに従って生きていく決意を日々新たにするのです。

わたしたちの周りでも多くの人が十字架のネックレスやイヤリングを「かっこいい!」と言って身につけています。もともと十字架はかっこいいものではありません。とても見るに忍びない、むごたらしいものでした。それがかっこいいものになるためには、それを身につける人が、十字架の持つ本来の意味を十分理解して用いることが必要です。

十字架の縦の線は英語の大文字のI (わたし)です。横の線はI(わたし)を切ること、すなわち、kill(殺す)こと、切ること(cutすること)を意味します。自分を殺して(自分に死んで)、他者を生かすこと、ここに十字架の持つ本来の意味があります。十字架の縦の線は神とわたしの関係を、横の線は人間関係(人のつながり)を表します。その縦横の線の接点が神とわたしたち人間が出会う接点であり、十字架の意味が鮮やかに示されるところです。

イエスさまの十字架によって示された神の愛を、生涯の歩みの中で実践していった弟子たちのうちで、十字架にかけられて殉教したと伝えられている人がいます。バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に葬られているペトロがその一人です。彼は逆さ十字架につけられました。また、アンデレは斜めの十字架にかけられました。このXの十字架をアンデレクロスと言います。アンデレクロスはスコットランドの国旗や、山梨県清里高原にある聖アンデレ教会に近い清泉寮の正面玄関にも見ることができます。

ちなみに今年2019年は4月19 日(金)が聖金曜日(受苦日)と言って、イエス・キリストが十字架におかかりになった日、3日後の4月21 日(日)が復活祭(復活日)、イエス・キリストがおよみがえりなった日で教会の最大の祝日です。(チャプレン大西 修 )


クリムソン・クローバー

【コヘレトの言葉11:9,12:1】
11:9 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。知っておくがよい/神はそれらすべてについて/お前を裁きの座に連れて行かれると。
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

柳城では毎年、その年の聖句(聖書のことば)を決めて、建学の精神「愛をもって仕えなさい」を一層具体化していく指標にしています。

今年は「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」という旧約聖書「コへレトの言葉」(11:9,12:1).からとりました。

コへレトとは招集する(ヘブル語のカーハール)者、集会で語る者、伝道する者(伝道者)の訳です。コへレトの言葉の著者はイスラエルの初代ダビデ王の息子のソロモン王(紀元前10世紀末)と言われ、コへレトがソロモンとされています。しかし実際にこれが書かれたのは紀元前2世紀末と言われています。

「コへレトの言葉」は人生の虚無と無常を強調する点では、聖書の中でも異色な存在とされています。「コへレトの言葉」の中には「空しい」という言葉がたくさん出てきます。普通「空しい」という言葉から受ける印象は「意味がない、無意味だ、空虚だ」と言ったものですが、「コへレトの言葉」では「若さも青春も空しい」(11:10)いうとき、「若さも青春も過ぎ去りやすい、移ろいやすい、あてにならない」と言った意味合いが深いと思われます。それではどうすればいいのでしょうか。

今朝も通勤してくる途中、たくさんの新中学生、新高校生、新大学生を見ました。

みんな、とても新鮮で、明るく、生き生きとした表情で歩いていて、その姿を見て心が躍るような気持ちになりました。

わたしが中高大学生になった50 年以上前の4月、一体どんな気持ちだったのかなーと振り返ってみました。不安と期待と緊張にドキドキしながら入学したばかりの日々を送っていたように思います。

若さを謳歌し、青春時代を楽しく過ごすこと、こんな素晴らしいことはありません。それには良き友に出会うこと、良き友を見つけることが大切です。一人でいては若さを謳歌し、青春時代を楽しく過ごすことはできません。

皆さんはあまり慣れていないかもしれませんが、じっくり考え、話し合って行動することは良き友を得て、長く付き合っていくために重要なことです。

人々との関わりを通して、人間としての豊かさとは何かを考えていくことに学ぶことの大切な一面があるからです。そのために、信頼できる友だち、話し合える友だちが必要です。「友達は話を聞いてくれる、友達は優しくしてくれる、生き詰まった時、相談に乗ってくれる。友だちは対等だからよい。時には嫌なことも言ってくれる。腐っているときに励ましてくれる。友だちは信頼できるライバルだ。友だちは宝だ。わたしも誰かの友だちになろう。」(山野上素充「ヤマさんのひとこと」)

私も誰かの友だちになることは、想像以上に大きな学びを与えてもらえる機会となります。

わたしは高校大学時代から付き合っている親友がいます。彼は現在、パーキンソン病のため、言動の面で不自由な生活を余儀なくされていますが、お連れ合いの献身的な介護によって、何とか自宅でベッド生活を送っています。長野市に住んでいますが年に1~2回お見舞いに行っています。その彼が「ホジキンリンパ腫」を発症し、とても苦しんでいた大学2年の時、彼の下宿で幾晩も一緒に過ごし、彼の心の痛みを共有した経験は彼との関係を深いものにしました。1月にお見舞いした時、「俺が死んだ時は、大西に弔辞を読んでもらう」と言って、微笑んでいました。

「人間は考える葦である」(パスカル)、「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)など、有名な哲学者の言葉がありますが、人間は他者との関わりの中で、考える存在として、他の動物とは一線を画したものとして造られているということです。

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」とは、少し難しく言えば、「あなたは何者なのか」「あなたはなぜ生きているのか」「あなたが今、生きている意味は何か」このようなことを考えるのが、青春の日々にはとても大切だと言われているのです。

中高生時代は知的能力(知識)が第1とされ、教えられたことを記憶することが中心だったかもしれません。それも大切ですが、学問は問うことを学び、問うことによって学ぶことです。「なぜ?どうして?」と問う姿勢が大切であり、今後そのような姿勢を授業などを通して養い育てていってほしいと思います。

言葉を大切さにすること。言葉は人を生かしもするし、殺しもします。「人間の口から出る言葉というものは、心から出るものです。この心から出ることを忘れて言葉を語るのは、ナンセンスです。貧しい心からは貧しい言葉しか出てきません。豊かな言葉は豊かな心から出てきます。実に簡単明快なこの一事をわたしたちは忘れていたような気がします。」(三浦綾子「藍色の便箋」)

「おそらく、これから死ぬまでの間に、私はまだまだ多くの人の言葉に励まされ、教えられて生きていくに違いない。私を強めてくれるこれらの言葉は、私にとって何ものにも代えがたい宝なのだ。」(同上 「忘れえぬ言葉」)

真心をもって人と向き合い、話す相手があなたの言葉によってやる気を起こし、あなた自身もよかったなーと感じられる、そんな言葉を使うようにしたいものです。(チャプレン 大西 修)


学生ラウンジにて

 

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