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【コヘレトの言葉11:9,12:1】
11:9 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。知っておくがよい/神はそれらすべてについて/お前を裁きの座に連れて行かれると。
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

柳城では毎年、その年の聖句(聖書のことば)を決めて、建学の精神「愛をもって仕えなさい」を一層具体化していく指標にしています。

今年は「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」という旧約聖書「コへレトの言葉」(11:9,12:1).からとりました。

コへレトとは招集する(ヘブル語のカーハール)者、集会で語る者、伝道する者(伝道者)の訳です。コへレトの言葉の著者はイスラエルの初代ダビデ王の息子のソロモン王(紀元前10世紀末)と言われ、コへレトがソロモンとされています。しかし実際にこれが書かれたのは紀元前2世紀末と言われています。

「コへレトの言葉」は人生の虚無と無常を強調する点では、聖書の中でも異色な存在とされています。「コへレトの言葉」の中には「空しい」という言葉がたくさん出てきます。普通「空しい」という言葉から受ける印象は「意味がない、無意味だ、空虚だ」と言ったものですが、「コへレトの言葉」では「若さも青春も空しい」(11:10)いうとき、「若さも青春も過ぎ去りやすい、移ろいやすい、あてにならない」と言った意味合いが深いと思われます。それではどうすればいいのでしょうか。

今朝も通勤してくる途中、たくさんの新中学生、新高校生、新大学生を見ました。

みんな、とても新鮮で、明るく、生き生きとした表情で歩いていて、その姿を見て心が躍るような気持ちになりました。

わたしが中高大学生になった50 年以上前の4月、一体どんな気持ちだったのかなーと振り返ってみました。不安と期待と緊張にドキドキしながら入学したばかりの日々を送っていたように思います。

若さを謳歌し、青春時代を楽しく過ごすこと、こんな素晴らしいことはありません。それには良き友に出会うこと、良き友を見つけることが大切です。一人でいては若さを謳歌し、青春時代を楽しく過ごすことはできません。

皆さんはあまり慣れていないかもしれませんが、じっくり考え、話し合って行動することは良き友を得て、長く付き合っていくために重要なことです。

人々との関わりを通して、人間としての豊かさとは何かを考えていくことに学ぶことの大切な一面があるからです。そのために、信頼できる友だち、話し合える友だちが必要です。「友達は話を聞いてくれる、友達は優しくしてくれる、生き詰まった時、相談に乗ってくれる。友だちは対等だからよい。時には嫌なことも言ってくれる。腐っているときに励ましてくれる。友だちは信頼できるライバルだ。友だちは宝だ。わたしも誰かの友だちになろう。」(山野上素充「ヤマさんのひとこと」)

私も誰かの友だちになることは、想像以上に大きな学びを与えてもらえる機会となります。

わたしは高校大学時代から付き合っている親友がいます。彼は現在、パーキンソン病のため、言動の面で不自由な生活を余儀なくされていますが、お連れ合いの献身的な介護によって、何とか自宅でベッド生活を送っています。長野市に住んでいますが年に1~2回お見舞いに行っています。その彼が「ホジキンリンパ腫」を発症し、とても苦しんでいた大学2年の時、彼の下宿で幾晩も一緒に過ごし、彼の心の痛みを共有した経験は彼との関係を深いものにしました。1月にお見舞いした時、「俺が死んだ時は、大西に弔辞を読んでもらう」と言って、微笑んでいました。

「人間は考える葦である」(パスカル)、「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)など、有名な哲学者の言葉がありますが、人間は他者との関わりの中で、考える存在として、他の動物とは一線を画したものとして造られているということです。

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」とは、少し難しく言えば、「あなたは何者なのか」「あなたはなぜ生きているのか」「あなたが今、生きている意味は何か」このようなことを考えるのが、青春の日々にはとても大切だと言われているのです。

中高生時代は知的能力(知識)が第1とされ、教えられたことを記憶することが中心だったかもしれません。それも大切ですが、学問は問うことを学び、問うことによって学ぶことです。「なぜ?どうして?」と問う姿勢が大切であり、今後そのような姿勢を授業などを通して養い育てていってほしいと思います。

言葉を大切さにすること。言葉は人を生かしもするし、殺しもします。「人間の口から出る言葉というものは、心から出るものです。この心から出ることを忘れて言葉を語るのは、ナンセンスです。貧しい心からは貧しい言葉しか出てきません。豊かな言葉は豊かな心から出てきます。実に簡単明快なこの一事をわたしたちは忘れていたような気がします。」(三浦綾子「藍色の便箋」)

「おそらく、これから死ぬまでの間に、私はまだまだ多くの人の言葉に励まされ、教えられて生きていくに違いない。私を強めてくれるこれらの言葉は、私にとって何ものにも代えがたい宝なのだ。」(同上 「忘れえぬ言葉」)

真心をもって人と向き合い、話す相手があなたの言葉によってやる気を起こし、あなた自身もよかったなーと感じられる、そんな言葉を使うようにしたいものです。(チャプレン 大西 修)


学生ラウンジにて

 

本年2019年に創立121周年を迎える本学は、「愛をもって仕えよ」(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)の聖句を建学の精神として掲げ、事あるごとにこの聖句に立ち返って歩んできました。私たちが一番恐れることは、この聖句を知ってはいても、その精神が時の経過とともに形骸化してきているのではないかという点です。

「愛をもって仕え」るとは、具体的に何をどのようにすることなのでしょうか。

1895(明治28)年、マーガレット・ヤング初代校長が40歳で勇躍、海を越えてカナダから日本に来られた背景には、この聖句があったに違いありません。キリストに愛されている一人の人間として、その愛を人々に伝えたい、とりわけ、日本の女性たち、幼子たちに伝えたいという熱い信仰が、彼女を具体的な行動へと駆り立てたのです。

本来、仕えるとは、神を愛し、神に仕えること、神を大切にし、大事にすることです。神に造られたこの世の人々を愛し、大切にし、大事にすること、人々に仕えるとは神を愛することに他ならないのです。

現在、柳城での日々を過ごすわたしたちが、愛をもって仕えるために何が出来るのでしょうか。誰にでも出来ることがあります。

 第一は笑顔(スマイル)をいつも絶やさないこと。笑顔は人々の心に安らぎを与えます。

以前お話ししましたが、わたしが今は無き付属御器所幼稚園児の時に教えてもらった英語の朝の挨拶の歌“Such Happy Day”は今でも覚えています。

Such a happy day,  lalala  such a happy day,  lalala  I smile you.  You smile me.

such a happy day.  good morning.  good morning.

先生方、実習生が笑顔で一緒に歌っていた姿が今も瞼に焼き付いています。

笑顔で「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」の挨拶を交わすことは、誰にでも出来ます。水曜礼拝の中での「平和のあいさつ」も大切にしていきたいと思います。心から笑顔で挨拶するときに、周囲が変わっていきます。教職員・学生間は勿論のこと、学内に来られる方々に笑顔で挨拶してください。構内をいつもお掃除してくださっている方々に「ご苦労様です」と笑顔で挨拶してください。数年前のNHKの朝ドラ「花子とアン」(ミッションスクールの東洋英和女学校がモデル)で、「ごきげんよう、さようなら」の挨拶がいつも交わされていたことに心和ませるものがありました。

第二は感謝の思いを言葉を態度で表すこと。なかなか素直に「ありがとう」と言えないわたしたちですが、「ありがとうございます」「ありがとう」と言うことです。そのひと言が出会う人を大事にし、大切にすること、愛することになります。ほんのちょっとしたことにも、感謝の意を表すことは相手への細やかな思いやりを感じさせますし、挨拶された人が一番嬉しい思いを持つのではないでしょうか。

 第三は人が避けたい、関わりたくない、嫌だなと思うことを進んですること。出来れば喜んでそのことをすることが、愛をもって仕える本当の生き方ではないかと思います。

神社仏閣がいつもきれいに掃除されていて、ゴミひとつないことには心打たれます。天理市にある天理教本殿は玄関で履物を脱ぎ、素足で神殿に入ります。廊下の床などはピカピカに磨かれており、トイレ(手洗い)も素足のままで使用します。信者によって驚くほどきれいに清掃されており、床を手で触れても全く汚れません。誰もが嫌がり、避けることを率先して行うことは、他の人を大事にし、大切にし、愛することにほかなりません。母親・父親は幼子のおむつを替えることを厭いません。幼子が大事であり、幼子を愛しているからです。校内をきれいにすること、ゴミなどが落ちていたら率先して拾うこと、トイレなどをきれいに使うこと、汚れていたら避けて通るのではなく、次に使う人のことを考えて、きれいにしておくことは、嫌なことかもしれませんが、愛をもって仕える一番簡単で大切なことです。次に使う人の笑顔を思い描きながら・・・・。

121 周年を迎える柳城が、建学の精神「愛をもって仕えよ」を、一丸となって日々の生活の中で実現していけますよう、共に励んでまいりましょう。

2019.4.3(1年生礼拝での教話~オリエンテーションの中で。2017.12  チャペルニュース原稿 巻頭言より転載)

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今回の礼拝オリエンテーションでは、「解説しながら礼拝を進める」という方式にチャレンジしてみました。キリスト教の礼拝を生まれて初めて経験する、ほとんどの新入生の皆さんにとっては優しいやり方だったと思います。大西チャプレンも楽しそうでした!(^^)!

【ヨハネによる福音書4章14節】
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」 

昨年のクリスマスに皆さんにお渡しした「ちゃぺるにゅーす」の巻頭言に、「オアシスの原点」というタイトルで、短いメッセージを載せましたが、読んでくださいましたか?

「オアシス」とは広大な砂漠の中に水が湧き出て、樹木が生えている緑地のことです。転じて「慰めと安らぎを与えるところ」という意味にもなります。

創設者マーガレット・ヤング先生は、柳城がオアシスとして名古屋の地でその役割を果たすことを、切望しておられたに違いありません。ここでいう柳城とは地理的な場所や建物を言うのではなく、柳城の働きに関わるすべての人々、幼子はもとより、教師、保育者、職員、学生とその親たち、卒業生、そして教会の信者さんたちなどを指します。

旧約聖書の詩編23編の中で、イスラエルの偉大な王であったダビデは「主は羊飼い、・・・主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」と歌っています。

柳城は今年創立121周年を迎えますが、現在オアシスとしての役割を果たしているでしょうか。羊飼いである神さまに導かれ、その呼びかけに答え、その愛に育まれた信仰を携えてカナダからはるばる来日されたヤング先生は、神さまが与えてくださる愛の水(命の水)が湧き、緑豊かな木々の息吹きが、多くの人々に清らかで暖かな心を与えるような柳城の成長を願い、30余年間を名古屋の柳城で全身全霊を注いで働かれました。

一昨年末亡くなられたノートルダム清心学院理事長の渡辺和子シスターは、オアシスの頭文字をとって次のように言っています。「オ」は「おはようございます」の「オ」、「ア」は「ありがとうございます」の「ア」、「シ」は「失礼します」の「シ」、「ス」は「すみません」の「ス」です。「おはようございます」、「ありがとうございます」、「失礼します」、「すみません」は、この砂漠のような時代に、人が人として生きていく上で基本的な挨拶の言葉です。

柳城がオアシスとしてその役割を担っていくためには、「おはようございます」、「ありがとうございます」、「失礼します」、「すみません」が、誰の口からもごく自然に出てくるような、そんな心があふれていることが大切です。そのためには、まず皆さんがそれぞれの家庭の中で、このオアシスの言葉が日々交わされるように、皆さんから率先して始めてみてください。そして柳城の中でも改めて今日から始めましょう。皆さんが笑顔をもって、明日のオープン・キャンパスに訪れる人々に、そして4月2日の入学式の日に新入生に進んで声を懸けましょう。それを何か照れくさいと思ったり、仰々しいと思う人がいたとしたら、多分その人は日ごろからオアシスを習慣にしていないのではないでしょうか。今年も幼稚園、保育園、こども園、児童養護施設、養護老人ホーム、障碍(がい)者支援施設などに実習に行きます。その時、忘れず率先してオアシスを使ってみてください。勿論、一年後、卒業し社会人として働くことになるどのような職場にあっても同じです。オアシスは目上、目下の区別なく、誰に対しても大切なものだからです。

慰め、安らぎ、憩いを与えるオアシスとして、わたしたち(柳城)が人々と関わる時、そこに一人一人を大切にし、生かしてくださるイエス・キリストの愛が、目に見える形で「愛をもって仕える」具体的な姿として実現しているのです。

イエス・キリストがおられるところがオアシスです。クリスマスのお話では、社会の片隅で貧しく、卑しい人間として蔑まれていた羊飼いたち、そして異邦人でありながら、遠路はるばる救い主を訪ねてやって来た占星術の学者たち、その人たちにとって辿り着いたイエスさまがお生まれになったベツレヘムの家畜小屋こそオアシスでした。

クリスマスの出来事は、わたしたちは勿論のこと、全世界中の人々にオアシスの素晴らしさを告げ知らせます。オアシスの原点こそ、神さまであり、その神さまがわたしたちにお送りくださったイエスさまなのです。わたしたちに慰めと安らぎと憩いを与えてくださるイエスさまは、悲しむ人、多くの悩みを持っている人、貧しい人、愛に飢え渇いている人、心と体に病を負っている人のオアシスとして、この世界に来られたのです。

昨日、マリナーズのイチロー選手が28年間にわたるプロ野球選手への引退表明をしました。連続10年間、200本安打、最終安打数4,367本という大記録はたぶん誰も抜くことはできないだろうと言われています。彼がインタビューに答えた言葉は素晴らしいものでした。「何の後悔もありません。ほかの人と比べることはできませんが、自分として精一杯頑張ってやってきましたから。」

わたしたちもこの1年間、オアシスの働きの一端を担う者として、人と比べるのではなく、自分として精一杯努力して、与えられた道を進んでいきましょう。 (チャプレン 主教 大西 修)


チューリップ

【コリントの信徒への手紙第10章13節】
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

まず初めに皆さんと共に、8年前の2011年3月11日、午後2時46分、東北地方を襲った東日本大震災による地震、津波、福島第1原子力発電所の放射能汚染事故による多くの死者/行方不明者/関連死者合わせて22,131人、また今尚、プレハブの仮設住宅での生活を余儀なくされている3,100人、そして各地で避難生活をされている52,000人の方々を覚えて祈りましょう。(しばらく黙祷)

改めて、皆さん、卒業・修了、終業おめでとうございます。

柳城での2年間、3年間、4年間の学生生活を振り返ってみて、今どんな思いでここに集まっていますか。皆さんひとりひとりが、それぞれ違った思いをもって、この時を迎えていることでしょう。入学した時のことを思い出してみてください。何を考え、どんな夢を描いていましたか。そして、今卒業していこうとするこの時、皆さんの思いは、入学した時に持っていた思いと比べてみてどうでしょうか。同じですか、変わりましたか? 多分、だいぶ変わったのではないかと思います。こんなはずじゃなかった、現実は思っていたほど甘くはなかった。正直なところ、そんな心境でいるのではないでしょうか。

そして4月から始まろうとしている新しい職場での日々を想像するだけで緊張して、夢や希望や期待よりも、未知への生活への不安や心配のほうが、はるかに大きく心をとらえているのではないかと思います。

さて「艱難汝を玉にす」ということわざがあります。(Adversity makes a man wise.)

聞いたことがありますよね。人は、困難や苦労など大変なこと、すなわち試練を乗り越えることによって、大きく成長していく。逆境や試練は人を賢くするという意味のことわざです。

柳城の創設者(柳城保姆養成所初代校長)マーガレット・ヤング先生の85年間にわたるご生涯を顧みる時、まさにこのことわざが当てはまります。

1895(明治28)年、40歳で来日、1922(大正11)年、67歳で病状悪化のため10数年帰国、その後再来日され、約30年間働かれ1940(昭和15)年に名古屋で亡くなられました。ヤング先生は病弱で物静かな方でしたが、一面ではとても芯の強い方でした。それは神さまの愛に包まれていることを固く信じて絶えず生きてこられたからです。その当時40 歳で単身カナダから日本に来るということは、想像を絶する大きな決断だったと思われますが、彼女は神さまの愛を信じて、それを決行しました。そのままカナダにいれば、社会的にも経済的にも安定した生活と地位が保証されましたがそれを投げ打って、今で言うならば、阪神淡路大震災、東日本大震災に匹敵する濃尾大地震(1891、明治24年)の中で、家や親を失った子どもたちへの援助の手を差し伸べるために、イエスさまが自らの命を投げ出されて示された愛のお姿に従って来日されたのです。今のわたしたちには想像も及ばないような、困難や苦労、試練を体験し、それを乗り越えることによって、素晴らしい愛の実践者、名古屋における保育者の母となることを、神さまはお許しになりました。

最初に読まれた聖書のみ言葉「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」が、きっと彼女の中にいつも生きていたのではないかと思います。

柳城の見学の精神を表わす「愛をもって仕えよ」のみ言葉を実行しようとする時には、常に試練が伴い、困難、苦労が付きまといます。でも、そこには必ず神さまがあなたと共にいてくださり、あなたを支え、守り、励ましてくださることを信じてください。それを信じることができるなら、どんな試練にも困難、苦労にも正面から向き合っていくことができます。

3月は柳城の初代校長のヤング先生(3/29 85歳)、そのあとを継がれた2代目校長のボーマン先生(3/24 87歳1965年・昭和40年)、そして第3 代短大学長西原新一先生(3/15 89歳 1992年・平成4年)がお亡くなりになった月です。

2代目校長のボーマン先生もカナダで小学校教師、さらに大学で学び、宣教師としてアフリカでの学校教師を目指し、病院で看護の研修も積んだが、医師から体質的にアフリカでは3年は持たないと言われ、さらにインド、中国を志願したがそれもかないませんでした。そんな時、期せずして日本で働く道が開かれた。ボーマン先生がカナダから日本に旅立つ時、ある牧師が先生に送った聖書のみ言葉は「主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしは主、あなたの神、あなたの救い主。」(イザヤ43:1~3)でした 先生はこのみ言葉に大いに励まされたそうです。1ケ月半の長い船旅で来日、その後、日本語を学びながら東京、岐阜、大阪、松本、豊橋で働かれ、そしてヤング先生の最適の後任校長として1922(大正11)年から1941 (昭和16)年まで19年間、本学のために尽くされました。着任早々、44歳の時、幼稚園教師の免許を取得するためカナダ・トロントの師範学校で学ばれ卒業されています。

第3 代短大学長西原新一先生は1971(昭和46)年から1992(平成4)年までの20年間本学最初の男性の学長として働かれ、短大の新たな改革に積極的に取り組まれ、定員増も2回されました。また海外、特にアジアからの留学生の受け入れにも尽力されました。

皆さんが柳城で聴いた「愛をもって仕えよ」のみ言葉、ヤング先生やボーマン先生、西原先生が神さまの愛に生かされ歩まれた80年を超えるご生涯を、これから先、何か困難なことがあり、悩みに出会った時、ちょっと立ち止まって思い出してみてください。きっと大きな励ましを受けることでしょう。そこで皆さんが柳城で学んだ、目に見えない大きな収穫が、得られるものと信じます。

皆さんのこれからの日々が、神さまの愛に包まれて心身共に健やかに過ごせますよう、いつも祈りのうちに覚えます。主の平和が皆さんと共にありますように。(チャプレン 大西 修 主教)

【マルコによる福音書12:41-44】
12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

明けましておめでとうございます。

皆さんは初もうでに行きましたか。行った人、何人くらいいますか?

お参りしてお賽銭を出しますよね。いくらしましたか。良いご縁がありますようにと縁起を担いで、5円を投げ入れる人がいたかもしれません。それで何をお願いしましたか。神さまは寛大で、優しい方だから、痛くも痒くもない 5円でわたしたちの願いを聞いてくださるのでしょうか。5円と交換に、何か素晴らしい物を獲得しようと思っているならば、全く虫のいい話です。どちらでもいい、ちょっとした気休めならばともかく…。

お賽銭(教会では献金といいますが)は、神さまに何かをお願いするために出すものではありません。お賽銭、献金は本来、神さまへの感謝の気持ちとして捧げるものです。ですから神さまを信じ、神さまへの感謝の気持ちを込めて捧げなければ意味がありません。返礼を求めるものではありません。

今日の聖書のお話は、エルサレムのやもめの話です。やもめは2000年前も、現代も同じように、極端に弱い立場、弱い状況に置かれていました。その当時、やもめ暮らしは、女性自身がもたらしたものとみなされることが多かったため、恥なことと考えられていました。やもめは多くの場合、日々、食べるものにも事欠き、社会の隅に追いやられていました。エルサレムのやもめは、わずか銅貨2枚(約80円)しか持っていませんでしたが、それをすべて捧げました。彼女は目の前で裕福な人々が大金を賽銭箱に入れるのを見て、自分の貧しさを痛感します。こんな少しばかりの献金にどんな意味があるのだろうか、何の役に立つのだろうかと一瞬躊躇したかもしれません。

人生には、わたしたちの能力をはるかに超えているようで、躊躇し気後れしてしまうような試練が多くあります。わたしたちは自問自答します。「わたしのささやかな贈り物にどんな価値があるだろうか? わたしの限られた能力に何の価値があるのだろうか?」と。

パウロは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリントⅡ 12:9)というキリストから声を聞きました。

わたしたちがリスクを負っているとき、わたしたちが行うわずかな贈り物や善意を、他の人々やわたしたちすべてにとっての祝福に変えてくださる方が神さまです。

そのような状況でわたしたちに求められているのは、勇気と自分の能力の限界と弱さに気づかされる時、その弱さを支え、力を示してくださるお方がいることを信じ、その方に信頼を寄せて、出来ることをやってみることです。

このやもめは何も出し惜しみをしませんでした。彼女は貧しい中から、自分の持っているものをすべて与えることによって、祝福を受けたのです。

祈りとは自分たちの安全や恐れから一歩踏み出し、これから示される神さまの大きな目的の中にわたしたちの身を委ねることです。勇気と希望と信頼を持って行えば、予想もしない祝福の道が開かれます。惜しみなく与えることで、わたしたちの贈り物はより豊かなものにされるのです。

「イエスさまは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた」と記されています。神様は黙ってわたしたちの様子を見ておられます。それは外見ではなく、心の中を見ておられるのです。

今、柳城での学生生活を送っている皆さんが、日々の様々な状況の中で、このやもめが示したような勇気を持って、行動していくことができるようにと願っています。(チャプレン 大西 修)


学食の掲示板

【マタイによる福音書1:18-25】
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

イエス・キリストの誕生の出来事はマタイとルカによる福音書に記されています。

マタイによる福音書ではヨセフに、ルカによる福音書ではマリアに焦点が当てられています。マタイはイエス・キリストの生まれ育ったユダヤの人でしたので、ユダヤの人々にイエス・キリストを分かりやすく伝えました。一方、ルカはギリシャ・ローマの世界の人でしたので、その国の人々にマリアという女性を通して、イエス・キリストの誕生を伝えました。

その当時のユダヤでは、植民地の重圧から人々を開放し、国家独立を樹立してくれる王・メシアの到来を、今や遅しと待望する空気が充満していました。イエス・キリストの誕生はこのような時代背景のもとでの出来事でした。

当時のユダヤは男性が圧倒的に優位な社会でした。メシアは千年前の偉大なダビデ王の家系から出現すると信じられていました。ヨセフはダビデ王の末裔にあたる人でした。

天使は夢でヨセフに現れ、マリアの妊娠を告げます。いわゆる受胎告知がヨセフになされます。ルカによる福音書では天使ガブリエルによってマリアに受胎告知がなされます。わたしたちがよく目にする受胎告知の聖画は、天使ガブリエルがマリアのもとに現れる情景です。

ヨセフとマリアは婚約していました。その当時の婚約は現代の結婚に等しい意味を持ち、一緒に住むことによって結婚が成立しました。夢で天使はヨセフに聖霊(神の力)によってマリアが妊娠したことを告げます。一緒になる前にマリアの妊娠が明らかになったのです。一緒になる前に妊娠することが何ら不思議でない今の時代とは、全く状況が違います。ヨセフにとっては全く身に覚えのない出来事が起こったのです。彼は「正しい人」であったので深刻に悩みます。聖書が示す「正しい人」とは神の律法を忠実に従う人のことです。その当時のユダヤの律法では、結婚している女が夫以外の男との子を身ごもったなら、石で打ち殺されねばならないことになっていました。「正しい人」とは苦しみ悩みを持つ人に対して、憐れみや親切な心を持つ人のことでもあります。ヨセフにとってはマリアに密かに離縁状を渡すだけで、婚約を破棄しようとしたことが神の律法を守ることであり、さらに彼女への憐れみと親切な心を表わすものでした。神の全能の力を信じながらも彼は悩みます。しかし、天使は恐れずにマリアを迎え入れるようにと勧告します。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったこと、やがて男の子を産むがその子を「イエス」と名付けなさいとも告げます。

イエスという名は「神は救い」の意味で、人々を罪から救う存在であることを示す名です。預言者イザヤによって「インマヌエル」と呼ばれた名は、「神は我々と共におられる」という意味で、イエスは「神は我々と共におられる」というインマヌエルとしてこの世に来られ、わたしたちの間に生きておられると告げられたのです。

ヨセフは天使の言葉に聴き従い、聖霊によって生まれた幼子イエスの父としての重要な役目を担いました。ダビデ家の家系にメシアとしてイエスがお生まれになったことを証ししたのです。

神を信じて生きることは、どのような試練や苦難があっても、それを通して神は必ず大きな喜びを与えてくださることを教えています。

数々の苦難を背負いながら、神を信じ、神の言葉に徹底的に従い、イエス・キリストの誕生に関わったヨセフの生き方は、クリスマスを迎えようとするわたしたちに多くのことを黙想させ、学ばせてくれるのではないでしょうか。(チャプレン 主教 大西 修)


クリスマスツリー点灯式

ルカによる福音書1:1-4
1:1‐2 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。

1:3 そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
1:4 お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。キリスト教の暦(教会暦)について

2週間にわたる実習が終って、今どんな気持ちですか。長かったですか、短かったですか。もう少し続けたかったなあと思っている人もいれば、もう十分と思っている人もいるかもしれません。いずれにしても保育者になるための貴重な体験、これからの日々の学びに生かしていってください。

さて、わたしたちが生きていく上で、暦は必要不可欠なもので、重要な役割を果たしています。暦のない生活を考えたことがありますか。とても考えられないですよね。

て、人間は早くから宇宙の法則、また1年間の自然界の規則正しい循環に思いを凝らすことよって生活のリズムを作り上げて来ました。社会的存在として生きる人間にとって、1年間の春夏秋冬という季節の移り変わり、1日の朝、昼、夜という時の流れが、共同生活を営んでいくために必要な自然暦を作り出してきました。それにそれぞれの民族固有のライフスタイルを維持し、受け継いできた習慣や歴史的出来事が付加され、今日の暦が出来上がってきました。

わたしたちが今使っている日本の暦は、いつから使い始めたか知っていますか。今から145年前の1873(明治6)年、明治政府が太陽暦(グレゴリオス暦)を採用したことに始まります。そして3年後の1876(明治9)年、日曜日を休日とするキリスト教的な7曜制が法制化されました。1週間を7日とする暦の源は言うまでもなく、ユダヤ教が聖典とする旧約聖書の創世記に書かれている神が7日間で天地を創造された物語です。日曜日の休日は、神が6日間で天地を造られ、7日目にお休みになったとされる安息日から来ています。そしてキリスト教の時代になって、イエス・キリストが復活された日が安息日となり、それが休日になりました。ですから、日曜日はイエス・キリストの復活を覚えて感謝する日が起源です。

このように明治の初期から、キリスト教文化圏の影響を受けた暦が使われました。普段、何も考えず無意識に使っている暦、実はキリスト教の暦なのです。因みに、それ以前の日本では太陰暦が使われていました。もちろん日曜日はなく、休日はお盆と正月だけでした。

キリスト教の暦はその前身であるユダヤ教から受け継いだ部分もあります。教会の暦(教会暦と言います)はキリスト教の暦と深い関わりがあります。教会暦は1年間の自然界の巡りを通して、聖書に書かれている神さまの出来事、歴史的なイエス・キリストの出来事、それに続く教会の出来事が折り込まれています。

わたしたちに与えられた1年間の日々を、一つの目標達成を目指して有意義に過ごすために役立つ暦として教会暦があります。

教会暦の新年は11月後半から12月初めのクリスマスを迎える4つ前の日曜日から始まります。アドヴェント(降臨節、待降節)と呼ばれています。今年は12月2日の日曜日から始まり、4つ目の日曜日12月23日を守り、12月25日の降誕日(クリスマス)を迎える準備期間がアドヴェントです。アドヴェントとは「来る、接近する」という意味のラテン語です。キリストが来られた降誕を祝い、キリストが再び来られる再臨の約束を、希望をもって待ち望むときです。そのために深い悔い改めと祈りと慎みをもってこの時を過ごします。紫の期節と呼ばれ、祭壇にかけられる布や司祭が着けるストールなどの祭色は紫を用います。この期間は祭壇にお花は飾りません。教会暦ではお祝い(勝利と祝福と純潔と喜び)の時を迎える前に準備の期間が定められています。心からお祝いし、喜びを分かち合うためには、悔い改めと祈りが必要です。クリスマスを祝い、感謝と賛美と喜びが大きなものになるための備えとして、悔い改め、心を清めることが大切なのです。クリスマスには勝利と祝福と喜びと命を表わす白の祭色の装飾布を祭壇にかけ、お花を飾ります。

1月6日の顕現日(公現日、エピファニーデイ~彩色は白)から占星術の学者の来訪に始まる顕現節~祭色は緑~に入り、イエス・キリストの神の子としての姿が、教会暦の礼拝で読まれる聖書を通して示されます。クリスマスから顕現日までが降誕節です。クリスマスツリーなどは1月6日に取り外されます。顕現節に続くキリストのご復活前の40日間は、大斎節(受難節、レント)と呼ばれる紫の期節で、キリストの荒野での悪魔の誘惑と断食の苦しみを覚えるとともに、最大の出来事であるイエス・キリストが十字架上で亡くなられた受苦日(受難日、聖金曜日)を祈りと断食と節制のうちに過ごします。

十字架の死から3日目、復活日を迎えます。キリストのご復活を祝うイースター(復活日)も勝利と祝福と喜びと命を表わす白を祭色として用います。 教会暦はイエス・キリストのご復活とご降誕という2つの中心点を軸にして出来上がっています。11月後半から3月から4月にかけては、イエス・キリストのご生涯の出来事に添った形で暦が作られ、4月から11月にかけての半年は復活節、昇天日、ぺンテコステ(五旬祭)の時、聖霊が降臨し教会が誕生した出来事(赤)、イエス・キリストの事績、お話になったことなどが教会の暦の中で、順次示されていく聖霊降臨節(祭色は緑~命、平和、成長を表す)を経て暦の1年間が巡る形になっています。

暦はわたしたちの人生行路を日々豊かに、目標に向かって導いていく役目を果たしています。キリスト教の暦(教会暦)に従っていく時、生きる意味が見えてきます。

皆さんはどんな暦に従って生活していますか?( チャプレン大西 修)


折り紙クリスマスツリー(学生食堂)

【マタイによる福音書18:10-14】
18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

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いよいよ来週から、1年生は初めての教育実習、2年生は2度目の保育実習が始まります。

教育実習法、保育実習指導の授業も受けて、実習に入る準備は多分出来ていることと思います。とは言っても初めての実習の現場ですし、何が起こるかわからない要素もたくさんあります。ですから心配があって当然です。わたしも大学4年次に高校での3週間の教育実習、神学校の3年次には東京築地にある聖公会の聖ルカ国際病院で1ケ月の実習を経験しました。今でもその時のことを思い出すと冷や汗が出てきます。不安だらけで何一つ思った通りにいかなかったからです。

「礼拝への出席は、あなたの実習をきっと素晴らしいものにするでしょう!」と今回の礼拝案内の掲示に書きましたが、「あなたの実習が成功することを保証します、約束します」とは書きませんでした。そんなことをもし書いたとしたら、万一、結果があまり芳しくなかった場合、「チャプレン、嘘言った、あれは過大案内だ」と言われかねません。「礼拝に出席すれば必ずご利益があります」と言えば、皆さん出席しますか。ご利益を求めて礼拝に出席するのではありません。「休まずきちんと授業に出席すれば単位を認定します。」と言われれば、授業に出席しますか。考えてみてください。確かに出席するでしょう。しかし、単位を取る目的で授業に出席しているのでしょうか。そうではなく、卒業し社会に出て、現場に立って働くとき、きっと授業を通して身につき学んだことが、役立つと信じているからだと思います。もしそう考えていない人がいたら、今からでも遅くはありませんので、その考えを直してください。

さて、イエスさまはいつも子どもたちや、その当時小さな者とされていた社会的に弱い立場に追いやられていた人々(やもめ~未亡人~や寄留の外国人)、無視され、蔑まれていた人々に対して殊の外、思いを寄せられ、積極的に関わりを持たれました。

「このような小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(18:10)と言われ、「迷い出た羊」のたとえを話されました。ある人が100匹の羊を所有しており、その中の1匹が迷子になったとしたら、99匹を残しておいて、その1匹を探しに行くのが当然だというのです。そしてその1匹の羊が見つかったなら、99匹の迷わずに残しておいた羊のことよりもはるかに喜びは大きい。このようなたとえです。

イエスさまの価値観はわたしたちの価値観と明らかに違います。天国、神さまのお考えがイエスさまの価値観にそのまま反映しているのです。わたしたちは数、数量に関心があります。99匹と1匹を比較し、1匹のために99匹が犠牲になることなど考えられない。それより1匹だけが犠牲になるほうがいいのではないか、と数、数量の多い方を優先し、それを大切だと考えます。しかしイエスさまは数量ではなく、目につきにくい質量(弱さ、小ささ)を大切にされます。見落としてしまいがちな、忘れられてしまいそうな人(たった1匹の羊)を、とことん大切にされ、最後まで面倒を見られるのです。

実習の現場に立った時、あなたに寄り添い、駆け寄って来て、まとわりつく元気な子どもがいれば嬉しくなり、一緒に遊ぶことが楽しくなります。その子どもと、ずっと関わっていたい気持ちになるでしょう。でもそんな時、注意深く周囲を見回してください。部屋の片隅でひとりだけでうつむいている子ども、園庭に独りぼっちで寂しそうにしている子どもがいるかもしれません。そのような子どもに積極的に近づいて行って、優しく声をかけることができれば最高です。とても素晴らしいと思います。どのような声掛けをするのがふさわしいかは、十分考えてみる必要があります。あなたの声掛けによって、その子どもは一層固い自分の殻の中に入ってしまうかもしれませんから。声をかけないで、そっと傍らにいることがひょっとしたら正解かもしれません。

イエスさまはわたしたちに注意深く物事を見で、小さなことも見逃さないようにと願っておられます。わたしたちの注意力は人に対してだけでなく、周りの環境に対しても注がれるようにしたいものです。庭の草花一つ、石ころ一つ、ゴミ一つに対してどのように関わり、それに対処するかは、あなたがたひとりひとりの感性によるところが大きいかもしれません。感性は磨かれる必要があります。磨かれることによってますます豊かになります。嫌なこと、やりたくないことは誰にもあります。でも、それをすることによってあなたは成長し、人々の喜ぶ顔を見ることができるようになり、その喜びを分かち合うことができるようになるのです。

イエスさまは一人一人をこよなく愛され、大切になさいました。このわたしもその中の一人です。このわたしが覚えてもらっている、覚えられていること、こんな嬉しいことはありません。「どうせ、わたしなんか、もうだめだ」とヤケクソの気持ちになったことはありませんか。そんな時、このわたしに一番近くいてくださる方、みんなから無視され、仲間はずれにされ、もうダメかもしれないと諦めかけているわたしに、優しく声をかけ、大丈夫だよ、いつも一緒にいてあげるからと言ってくださる方がおられるのです。それを信じることができる時、子どもたちの前に勇気をもって立つ力が与えられるのです。

自分を静かに見つめる時こそ、祈りの時と言えるでしょう。夜寝る前のひと時、朝起きて顔を洗うとき、学校へ向かう電車の中、また実習に出かける途中でその時が持つことが出来ます。その時を持つことによって、あなたの1日を、あなたの実習を素晴らしいものに違いありません。これがご利益であると言えば、言えるのかもしれません。

皆さんの来週からの実習が実り豊かなものになりますように、覚えてお祈りしています。(チャプレン 大西 修)


押し花作り

【マタイによる福音書18:21-35】
18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
18:24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
18:25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
18:26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
18:27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
18:28 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
18:29 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
18:30 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
18:31 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
18:32 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
18:33 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
18:34 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
18:35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

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赦すことは何と難しいことでしょうか。愛することは赦すことである、愛していなければ赦すことはできない、赦せないのは愛していないからである。そう言われたら、自分が思っている愛って本物なのだろうかと考えてしまいます。わたしがある人を心から愛していれば、もしその人の行動や、話したことが仮に間違っていたとしても、それをすべて赦すことができるはずです。しかし、本当にそんなことができるのでしょうか。

自分に直接関わりのない人は、赦すことができます。他人事ですから自分は痛くもかゆくもなく、見逃すことができるからです。あんなひどいことをする人は、見過ごしにできない、赦すことができない、と言葉で言うだけで、何も起きずに終わるのです。

赦すというと、赦す主体はわたしですから、わたしが誰かを赦すことをまず考えます。

ペテロの「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」との問いに対して、イエスさまは「7回どころか、7の70倍までも赦しなさい」と答えられました。ペテロにしてみれば、予想外の答えでした。なぜなら2~3回赦すことは何とかできます。「仏の顔も3度まで」のことわざもあります。7回までと言えば、そんなにまでよく頑張って赦したねと、きっとほめてもらえると思ったのです。しかし、7の70倍まで(490回まで赦すという回数の問題ではなく)完全に赦しなさい、すべてを赦しなさいというよりも更に、もっと強調されて、ずーっと赦し続けなさいと言われたのです。

そして赦す対象は、兄弟、身内、親しい人たちに限らず、すべての人たちなのです。

振り返ってみると、わたしは自分の子どもたちを何度も何度も赦してきました。「今度過ちを犯したらもう赦さないからね」と何度言ったことでしょう。その時、本当に心から赦していたのかと考えてみると、心の奥底に赦していない自分がいたことに気が付きました。

ですから、また同じ過ちを子どもが犯すと、「前にも同じことをしたでしょう。もう今度という今度は絶対赦さないからね」と怒りを露わにしてしまったこともあったのです。

さて、赦しのことを教えるために、イエスさまは「仲間を赦さない家来」のたとえを話されました。1万タラントン(現在のお金に換算すると1兆円に相当する金額)という考えも及ばないほどの高額の借金を、無条件で主君に赦してもらった家来は、そのすぐ帰り道で自分が100デナリオン(今のお金に換算するとおよそ100万円)貸している仲間に出会い、借金をすぐ返せと迫り、返せなかった仲間を赦さず、ひどい目に合わせた上、牢獄にぶち込んでしまったという話です。主君はそれを聞いて憤慨し、その家来を断罪し、借金を完済するまで牢獄に入れたという結末です。

ここでの主君は神さまのことを言っています。家来とその仲間はともに借金の多い少ないはあっても、それを負っている二人の人間を描いています。主君は、返せるはずもない膨大な借金を、必ず返しますから待ってくださいとしきりに願う家来の姿を、憐れに思い、彼を無条件で赦し、借金を帳消しにしてやったのです。何の見返りも報いも求めない赦しが一体あるでしょうか。しかし、この主君は無償の赦しを家来に与えました。これこそ神による「憐れみによる赦し」ということが言えます。たとえの中心がここにあります。神さまからの人類に対する無償の赦しが描かれています。たとえの中に出てくる借金や負債は、わたしたち人間が気付こうが気付くまいが、背負いこんでいるとてつもなく大きな罪のことです。どんなことをしても払い切れない、ぬぐい切れない罪の重荷をわたしたちは背負っています。それをなくすことは到底できない、不可能です。そのできないことをしてくださる方が神さまです。神さまはわたしたちを愛し、無条件で赦し、受け入れてくださる、死ぬことさえも厭われないお方なのです。神さまは、愛するみ子イエスさまをわたしたちの罪が赦されるために、十字架の死にまでつかせられたのです。

「憐れみによる赦し」を受けた家来は、当然及びもつかない赦し、どう表現してよいのか解らない赦された喜びを、生きていく中で表すことが求められていたのですが、目先の小さな赦しをさえ実現できなかったのです。

わたしたちはこの家来と同じ生き方をしていないでしょうか。自らの罪に目覚め、赦されている喜びをもって、日々出会う人々を赦していけるように祈り求めてまいりましょう。

11月後半から、実習が始まります。それぞれ遣わされた場で良き学びの日々が過ごせますように祈ります。(チャプレン 大西 修)


折り紙を折る幼児

【フィリピの信徒への手紙4:6-7】
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

今年2018年は柳城の創立120周年(1898、明治31年)、ヤング先生の生誕163 年(1855、安政2年)、来日123年(1895、明治28年)、そして逝去78周年(1940、昭和15年、名古屋において85歳で逝去、八事の教区墓地に埋葬)の記念の年に当たります。

ヤング先生はどんなお方だったのでしょうか。残されている記録や証言、写真などで概略を知ることができます。カナダのオンタリオ州ヴィエンナで幼少時を過ごし、そこのハイスクールを卒業、母校で5年間教師をし、その後1年間カナダ・ロンドン市の美術学校に学び、さらにハミルトン市師範学校保母科に2年間学び、卒業後1890~95年エールマ町幼稚園主任保母として勤務されました。

先生が日本に来られた第一の目的は、宣教師として伝道することでした。1891(明治24)年の濃尾大地震後、名古屋を本拠地としてすでに活動しておられたカナダ聖公会のロビンソン司祭の働きを援助し、家や親を失った子どもたちへイエスさまの愛を自らの身をもって伝えること、子供たちに援助の手を差し伸べることでした。

カナダにそのまま在住し、幼稚園主任保母として働き続ければ、安定した生活が保障され、地位や名声も約束されたに違いありません。しかし、あえてそれを投げ打って40歳という年齢で、しかも病弱というハンデキャップを押してまで彼女に来日の決意を促したものは、物静かな中にも芯の強い彼女が持っていたイエス・キリストへの愛、神を信じる信仰に他ならなかったと思います。

今から120年以上も昔、女性が単身、未知の国、日本にやって来ることは想像も出来ないことでした。彼女が40 年間カナダで学んだこと、教師として体験したことは、日本に来て大きな実りをもたらしました。その当時の日本の状況は、封建的な考え方が色濃く残っており、女性の地位は著しく低く見られ、就学前の幼児教育など殆んどなされていませんでした。そのような中で、ヤング先生は自ら学んで習得したフレーベルの考え方をもとに、保育を通して神の愛を伝えることを中心に、礼拝をし、聖歌を歌い、聖書の話を聞き、祈ることを大切にしたのです。青年たちに英語を教えたり、母親たちには料理やしつけなどを教えたりしました。子どもと大人が一緒に育ちあう場として幼稚園をとらえ、その働きの中から保母養成所が生まれました。鈴木いねという女性を自分の家に住まわせ、幼児教育者として訓練するかたわら、名古屋で初めての幼稚園として、柳城幼稚園を創立しました。そしてこの幼稚園の働きから柳城保母養成所が生まれ、鈴木いね姉が第1回の卒業生となったのです。

フレーベルは幼子と花と音楽をこよなく愛しました。遊戯は運動的な遊戯として、ダンス、行進、唱歌、作業的な遊戯として植物栽培、恩物を大切にしました。その流れをヤング先生も柳城の保育の中に位置付けました。今もそれが柳城の教育、保育の中に底流としてあることを忘れないようにしたいものです。

ヤング先生は1922(大正11)年、健康が悪化し、断腸の思いで帰国されましたが、柳城への熱い思いを断ち切ることができず、1936(昭和11)年、再来日、そして1939(昭和14)年、3度目の来日、翌1940(昭和15)年3月29日、愛する名古屋で逝去されました。

わたしたちが一番大切にしたいことは、ヤング先生の保育への情熱は、神に愛され、生かされていることへの感謝に培われた信仰がその根底にあったことです。名古屋での日々、わたしたちの知らない多くの困難や迫害がきっとあったことでしょう。しかし「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい」というみ言葉に立ち、感謝と願いと祈りをもって生涯を全うされたことを忘れないようにしたいものです。(チャプレン大西修)


マーガレット・ヤング先生

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