【マタイによる福音書 7章7~8節】
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
誰でも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる。
今日は私が皆さんと同じ18~21歳ごろ、私の学生時代の話をします。時代は違うのですが、青春時代にあって生きがい、職業や結婚についての夢などみなさんと同じようにいろいろ考えていたころです。
私が入学した1959年(昭和34年)は、4月に皇太子ご成婚式、9月に伊勢湾台風に襲われこの地域で5000人の多くの人々が亡くなった年です。大学の教養部は滝子にありましたが、クラブ活動は、演劇部かオーケストラか迷っていましたが高校の先輩に誘われて野球部に入りました。
何のために生きるのか、何を生きがいとして生きるのか、あれこれ思い悩んでいました。皆さん達のように「保育士になりたい」というはっきりしたものはまだなにもありませんでした。
野球部だけでは何か物足りず、自分自身の生きがいを求めて、木造の教室で机を囲んで行われていた「聖書研究会」に出席しました。先輩に誘われ20分ほど歩いて山脇町の名古屋学生センターへ行きました。日本聖公会の学生キリスト教運動(SCM)の活動拠点であり、聖書研究会 キリスト教研究会 社会問題研究会など先生を交えて真剣な議論がかわされていました。柳城の学生も参加しており、私がはじめて柳城生に出会った時でもありました。
春休みと夏休みには3泊4日の特別研究会がびわ湖畔の北小松や恵那の雀のお宿で行われ、「学生と社会」「日本人とキリスト教」「現代社会に生きる」などテーマを決め講師を呼んでの研修会でした。キリスト者の社会的責任は何か、今遣わされた場で我々のになうべき課題、十字架は何か?
キリスト教の愛についての考え方、フィリア(友愛)エロス(男女の愛)ストルゲー(家族愛)アガペー(神の愛)、四つの愛のなかで特にアガペー=神の無限の愛について学びました。私たちがいまこうして生きて存在しているのは自分ひとりの力ではなく神様の愛によってである。一つの民族のためではなくすべての人々のために十字架につけられ死んだイエスキリスト。それを見ならって生きた初代教会のひとたち。
問題から逃げないで課題と正面から取り組むというクリスチャンの生き方に私はひかれました。1960年12月25日 大学2年の時、ここ名古屋聖マタイ教会で洗礼を受けました。そして教会につながり永遠の命を与えられ、多くの素晴らしい人たちに出会いました。
「愛によって仕えよ」を建学の精神とし純粋に保育に生きようとしていた柳城の学生たち。いまは高齢になられましたが素晴らしい生き方をされている方が多くおられます。私の妻も学生キリスト教運動の中で出会った一人です。結婚して50年今年金婚式をむかえましたが今も教えられることの多い毎日です。
今皆さんは若さあふれ、最も美しく輝いている時です。心も美しい人になり人々を愛し人々から愛される素晴らしい人になってください。聖書に学び、イエス・キリストに学び、何物にもかえがたい自分自身の生き方を追い求めつかんでください。(長縄 年延 学長)
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礼拝後にアセンブリー・アワーがもたれました。
●奨励奨学生 表彰式(2年次)
2年次前期の学業成績の上位10名の学生さん(保育科)が表彰されました。
今回は大接戦(笑)だったようで、同点が多く出たとのこと。
全体のレベルが上がってきた証拠なのでしょうか?
皆さん、スーツに身を固め、嬉しいやら恥ずかしいやらって感じでしたよ(^^♪
おめでとうございます(^o^)/
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●新生病院(信州)リトリート報告会
今年で2年目を迎えたリトリートです。
東日本大震災復興支援ボランティア活動の精神を受け継ぎながら、リトリート(修養会)的要素(つまり、日常生活を離れ自分自身と深く向き合うということ)も取り入れたこの企画。
新生病院での様々なボランティア活動と病院チャプレン(大和孝明さん)との交流の様子がスライドを使って紹介されました。(詳しくはこちらで)
参加した学生さん一人ひとりが分かり易く丁寧に説明してくれましたよ(^^♪
今回は、介護福祉専攻科の研修旅行とジョイントされていたので、参加人数も多く、活動に奥行きがあったように感じました。
幸いなことに、今年もメリット(リチャード・アレン・メリット第4代学長)基金の支援も受けられました。感謝です!
日常を離れて「まったり」と過ごす中で、黙想と祈りの時間を大切にする。
柳城らしいリトリートがこれからも続きますように、お祈りします。(加藤)
リトリート中に歌った聖歌を披露してくれた参加メンバーたち(^o^)/