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【ガラテヤの信徒への手紙5:13-14】 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

33年間、名古屋柳城短期大学にお世話になりました。今ここに立ち、これまでの思いが胸に迫ります。最後までしっかりとお話ができるように、どうかお祈りください。

90歳を超えた私の母が、一昨年の年末に骨折をした後、歩行ができなくなり、それ以来1年余り、私は母の介護に多くの時間を費やすことになりました。皆さんからは「たいへんでしょ?」とよく声を掛けられます。大変と言えば大変ですが、実は、毎日、楽しく母と過ごしているのです。それ以前と言えば、母と私との関係は淡々としたものでしたので、これは大きな変化でした。母と向き合うことで、これまで分からなかった母の一面(明るさやユーモアセンス)や、まだ聞いていなかった体験などを知る喜びがあります。

子育ての経験のない私にとって、今の母はまさに「大きな子ども」です。「ありがとう」とか「よく出来たね」、「気持ちがいい」といった素直な言葉が頻繁に交わされます。「あなたは賢いわね」…。今まで一度も言われたこともない言葉を母からもらいました。私の方が母に支えられているようです。

母は働く女性でした。20代で戦時を体験し、戦後すぐに結婚して私を含めた3人の子どもをもうけましたが、私が10歳の時に父が亡くなり、弟は5歳でしたので、相当に苦労して私たちを育ててくれたのだと思います。でも、そんな素振りは見せなかったように思います。今は母への恩返しの時期だと思っています。

17年前に出版された、レオ・バスカーリア作の『葉っぱのフレディー』を皆さんもよくご存じかと思います。死ぬのを怖がっていたフレディーが、親友のダニエルに教えらながら、「死とは変化の一つに過ぎない」ことや「いのちは永遠である」ことを理解していく物語でしたね。私は母の介護を通して、「いのちは確かに続くもの、神の御手の中にあるものである」ことを実感しています。母には人生の最終章を満ち足りたものにして欲しいと思っています。

最後に、絵本作家のレギーネ・シントラーの言葉をもって、お話を終わりたいと思います。

「人生は死によって限界づけられているにもかかわらず、それ故に楽しいものであり、充実して価値があり、最後まで生きるに値するのです。死は、生の暗い部分を強調することによって軽くなるのではありません。死を軽くするのは、十分に生きたという感情であり、この世のあらゆる美しさを知り尽くしたという感情なのです。」

長い間、ありがとうございました。(尾上)

(尾上明子特任教授が今年度もって本学を退職されます。本日の礼拝では、先生に教話をお願いしましたので、ここに、その概要をお知らせしました。)

【ヨハネによる福音書14:27】
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

明けましておめでとうございます。

大晦日から除夜の鐘を聞き、年明けには初詣に行く多くの日本人は、おもしろいことに、この時期、仏教と神道の風習を分け隔てなく守っていることになります。教会では1月1日を「主イエス命名の日」と定めて、イエスが生まれてから8日目に名前が与えられたことを記念します。一方、本日1月6日は「顕現日(けんげんび)」と呼ばれていて、キリストの降誕劇に登場した、あの東方の三博士がイエスを拝みに来たできごとを記念します。この三博士、一説ではアジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人の三人を表すそうで、これによって、ユダヤ人以外の人々にもキリストとしてのイエスが現れた、つまり、すべての人々に救いがもたらされたことを象徴しようというわけです。

さて、イエスは、その教えの中で、世界が平和であるよう、隣人と共に生きることを私たちに強く求めました。

今の世の中を見渡すと、平和とは程多い現実が広がっています。それから逃れようとする大勢の避難民がヨーロッパに救いを求めているニュースが昨年から報じられていますが、もともとヨーロッパの国々では外国人が人口比で5から6パーセントを占めているそうです。日本はどうかというと、現在200万人程度だそうで、人口比でいうと2パーセントくらいです。数字の大きさに関わらず、外国人を受け入れている地域では、どのようにしたら互いに隣人として共に暮らせられるかという課題が生じます。その成功事例が、あるテレビで報道されていましたが、ゴミの分別とかの生活習慣を外国人へいかに伝えるか、色々と工夫しているようです。

私も以前、幼稚園に勤務していた時に、外国人の子どもを受け入れたことがあります。日本語を話せない子どもだったのですが、幼稚園では体を動かしながら学ぶことが多いので、教えるのに困るようなことは少なかったです。これが、小学校になると、座学が増える関係で、日本語の話せない子どもには色々と困難が伴うようです。柳城短大の皆さんも、将来、保育現場で外国人の子どもに接することがあるかもしれません。

これらの話から、隣人と共に平和に暮らす意味を心に留めていただきたいと思っています。

シュロチク

 

今年も子どもたちの歌声が学内に響きました。附属柳城幼稚園による恒例のキャロリングとトーンチャイムの演奏です。

今回の舞台は本学の体育館です。大学礼拝の直後に、保護者の皆さんも見守る中、園児さんらに入場してもらいました。30名の年長組の皆さんたちです。体育館が広過ぎたせいか、リハーサルの時から顔がやや引きつった感じの子もいましたが、本番では、元気な歌声と、トーンチャイムの一生懸命な響きが私たちの気持ちを潤してくれました。胸に十字架のついた衣装をまとった子どもたちは、ホント、「かわいい」の一言につきます。練習も大変だったろうなと思うと、引率の先生方にも感謝しなければなりません。毎年、名古屋柳城短期大学のためにありがとうございます。

ちなみに、今年の曲目は、「かみさまのおやくそく」、「かいばおけにねむる」(以上、キャロル)と、「もろびととこぞりて」(トーンチャイム)でした。子ども用の讃美歌は、そのシンプルな歌詞とメロディーゆえの価値が光ります。

むかしユダヤのひとびとは
かみさまからのおやくそく
とおといかたのおうまれを
うれしくまっておりました
(「かみさまのおやくそく」1番)

年を重ねても、子どもの歌に親しみたいですね。ここに載せる聖書の言葉は次のものしか思い浮かびません。(加藤)

イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 (マタイ19:14)

【マタイによる福音書 1:20-23】
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

今の時期、キリスト教の暦ではアドベント(降臨節)を迎えています。これは、12月25日のクリスマスまでに心の準備をするという期間で、古くは、洗礼の準備に当てていたといいます。どちらにしても、自分を振り返って神の事を考える期間です。

クリスマスといえばプレゼントを連想しますが、信仰的にいうと、プレゼントは「幸福を互いに分かち合う」手段です。

フィリピンは長い間スペインの植民地であったこともあり、キリスト教の精神が日常に浸透していますが、クリスマスシーズンになると、たとえば、信号待ちの車に群がる貧しい人々に、運転手がお金を与えるシーンをよく見かけるようになります。ある時など、信号で止まっている最中のジープニー(乗合バス)に、目の見えない子どもが突然乗せられ、お金を集めた後、その親と共に去っていく場面に出くわしたこともありました。

「分かち合い」は「互いに愛し合う」行為ともいえます。この言葉が聖書には何度も登場します。私たちも分かち合いに心がけ、特にこの時期は近くの人だけではなく、会ったことも見たこともない人に対しても「クリスマス献金」という形で助け合いの気持ちを表したいものです。

人を愛し、互いに分かち合うクリスマスを! (チャプレン)

ガーデンシクラメン

 

 

 

本日の大学礼拝の奨励(礼拝中のお話の時間)は、日本国際ギデオン協会の近藤さんにお願いをしました。

国際ギデオン協会は、全世界で聖書を無料配布することを主な働きとする団体です。ホテルなどで机の引出に「ギデオン協会」と記されたエンジ色の聖書を見かけた方や、学校の正門などで文庫サイズの聖書をもらったという方も多いのではないでしょうか。(ホームページはこちらで)

今日のお話では、聖書の素晴らしさが熱く語られました。二つほどご紹介しましょう。

その1:コンゴで出会ったタクシーの運転手さんが、バックミラーに聖書をぶら下げていたので「お守り代わりかな」と思ってたずねたところ、「お客さんに怒鳴られたりバカにされることもあるが、そんな時、この聖書を読むと心が落ち着くんだ」という答えが返ってきた。

その2:マーク・トウェインは「人生には大切な日が二つある、一つは誕生日、もう一つは生きる意味を知った日だ」と語ったが、聖書は、その生きる意味を知る上での最適の書物である。

近藤さんはご自身の幼稚園時代を振り返り、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレトの言葉12:1)」という聖書の言葉を導かれました。人生を豊かにしてくれる聖書。世界でダントツ一位のこのベストセラーを、一生に一度くらいは通読するのも決して時間の無駄にはならないでしょう。

名古屋柳城短期大学に集う学生さんや私たち教職員全員が、聖書が記すイエス・キリストのお心に触れて大きく成長できるようにと祈りたい、そんな気持ちにさせてくれた今回のすばらしい奨励でした。主に感謝です。(加藤)

 

 

 

 

大学礼拝の特別企画として、現在AHI(アジア保健研修所)に留学中のズバイダ・シャミム・デワンさんのお話を聞く機会に恵まれました。
(AHIについてはこちら

デワンさんは、パキスタン出身の女性で、現在、NGO「世界的健康への取り組み(global healing initiative)」の代表も務めています。その活動を中心に、スライドを使いながら、通訳の方のわかりやすい日本語を通して、そのメッセージは私たちに伝えられました。

パキスタンは自然豊かな国ですが、地震や洪水などの天災もあります。また、複数の民族から成り立っていて、貧しい人びとも多く、さまざまな政治、経済、社会問題を抱えています。人口のわずか2%にすぎないクリスチャンは、ほとんどがイスラム教徒の社会の中では、冷遇されることも少なくありません。保健をめぐる問題、女性に対する暴力の問題などが重なりあう中で、「パキスタンでクリスチャンとして生きる」という講演のタイトルは、一人のパキスタンのクリスチャン女性の話という意味合いをはるかに超えて、とても重い課題を私たちに投げかけてきます。

そのような中にあって、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5:9)という聖書の言葉に動かされながら、いろいろな次元での「平和の実現」のために生き続けるデワンさんの生き方には、大いに心を動かされるとともに、実にたくさんのことを教えられました。

今回の講演を受けて、学生たちは授業で振り返る機会を持つことになっていますが、多くのメッセージが込められた話の中から、少しでも大切なことを吸収するとともに、これまでの自分の生き方を省みながら、明日からの生き方につなげてほしいと切に願っております。(菊地)

 

大学礼拝の後に、特別企画として第5回東日本大震災復興支援ボランティア活動報告会を開催しました。

柳城キリスト教センターが発足した2011年は、東日本大震災の年として記憶されています。キリスト教センターの最初の活動は、被災地の復興支援ボランティアの活動でした。そのときから毎年、学生と教職員が被災者との交流と復興支援の活動を続けています。

この報告会では、8月17日から20日までの4日間の活動が、参加した学生たちによって語られました。被災地の現状、仮設住宅で暮らす方々との交流や現地の幼稚園・保育園での保育参加の様子、そして、現地の方々からうかがった、いまだ過ぎ去らない震災という出来事の重さ・・・

学生たちは、自分たちが被災地で見て、聞いて、感じて、考えたことを、何週間もかけて言葉にしました。地震と津波の被害を受けた被災地を案内されて黙祷した「被災地巡礼」で見た光景に、学生たちはそこで家族を亡くした方たちの言葉を重ね合わせました。原発事故による避難者のほとんど報道されない現実の重さにじかに触れて、この現実を伝えなければ、という強い思いが生まれたと語りました。

仮設住宅で暮らす高齢者たちとレクリエーションやミニコンサートを通じて語り合った「茶話会」、そして保育科の学生たちの真骨頂がいかんなく発揮された仮設住宅の子ども達との「遊ぼう会」や「夏祭り」、「花火大会」では、仮設住宅で暮らす方たちとの笑顔があふれる交流がスライドに映し出されました。現地の幼稚園や保育園では、保育参加を通じて交流を深めるとともに、園の先生方から、子ども達の命を守るという保育者の責任の重さを学んだことが語られました。

そして、被災地からいただいたひまわりの種を育てて、短大の校門前の花壇に見事な花を咲かせた山本聡子先生と山本ゼミの学生たちの被災地との交流活動が最後に報告されました。被災地と名古屋で離れてはいても、時間をかけて心のつながりが育てられたことを喜び感謝する言葉が語られました。

いずれの報告も、会場静寂の中、準備に時間をかけただけあって、その丁寧な語りが聞く人の心に様々なメッセージを届けたような感じがしました(手前みそですが)。

報告会のスライドが終わって、最後に、ボランティアの学生たちは、この活動が短大の仲間たちや先生方、職員の方々、資金援助をしてくださったメリット基金、現地の「被災者支援センターしんち・がん小屋」のスタッフの方々、地元のたくさんの方々の協力と理解と支援にささえられてきたことを感謝して、深くお礼をしました。惜しみない拍手の中で、被災地支援の体験を通して生まれた絆と強い思いが、会場の全員に分かち合われたことを実感しました。(村田)

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
(ヨハネによる福音書10:16)

 

大学礼拝の特別企画として、「NPO法人 愛実(あみ)の会」による人形劇を開催しました。

「NPO法人 愛実の会」は重度の障がいをもつ方も安心して地域生活を送れるよう他の団体と協力しサポートしている団体です。(ウェブサイトはこちらこちら

5名の方が車いすで参加されていましたが、重度の障がいを持つ方が「お仕事」として人形劇を開催する団体は、日本では「愛実の会」だけだそうです!

劇の題名は「ポンタとたっくん」で、友情をテーマに学生へ投げかけてくれました。特徴的だったのはボードビルといって言葉のない人形劇であったことです。言葉がなければ相手に伝えたいことが伝わりづらいかと思われがちですが,学生1人ひとりの心には、ストーリーやアピールしたいことがしっかりと心に刻まれている様子が伺えました。これらのことから,言葉がなくとも演じ方や効果音によって人に伝えたいことが届くことを、学生は改めて身にしみたと思います。

教育・福祉の世界に就職を希望している学生にとって、とても有意義な時間であるとともに、子どもたちや高齢者、障がい者と向き合う上で、言葉だけがコミュニケーションではなく、心をこめた様々な方法を用いることにより、相手と協調しあえる、そんなことを考えさせられる会になりました。これからもこのような会を継続的に行っていきたいと思います。(水落)

イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
(マルコによる福音書7:6)

 

大学礼拝の特別企画として、本学の介護福祉専攻科主催による講演会を開催しました。

社会福祉法人「AJU自立の家」の本部は、本学から歩いて数分のところにあります。この地域では車椅子の方を見かけることがたいへん多いのですが、それはもちろんAJUの活動が目指すノーマライゼーション(障がいのある人も、障がいの無い人と同様の生活ができる社会作り)活動がさかんである証拠でして、その意味で、本学はまことに環境の良い場所に立地していると言えましょう。ちなみにAJUとは「愛の実行運動(AI NO JIKKO UNDO)」を意味しているそうで、「愛をもって仕えなさい」を建学の精神とする本学には、とても刺激的です。(AJU自立の家についてはこちらクリック)

講演会では、先ず、自らが車椅子の生活者であるAJUスタッフの方から、多岐にわたる活動の紹介があり、「自立」への強い信念のようなものがすべての活動のベースにあることが良く分かりました。その次に、活動事例としてマイライフ岩倉の「障がいを持つ子どもたちへ遊び場提供」について楽しく紹介してもらいました。ここでの基本方針は、「①社会性を身につけてもらう ②ありのままを受け入れる ③本人に考えてもらう声がけ」の3点だそうです。これって、本学の教育の大きな柱である幼児教育に対しても適応できる内容ではないでしょうか。

また、車椅子の生活でありながら一人暮らしをなさっている方の貴重な体験談をうかがうことができました。「自由に生きたい」という彼女の熱い思いが会場に響き渡ります。私には計り知れない世界でしたが、それでも、彼女に何か大きく近づけた感じがします。これからも道行く車椅子の方に積極的に挨拶をしてみようと思いました。

イエス・キリストが徹底的に弱者の側に立った人であることは、聖書を読めばよく分かります。その愛の精神が、神の働きによりAJU自立の家と名古屋柳城短期大学を通して、この地域から周辺へと広がっていくことを願いたい、そんな思いを抱かせてくれた講演会でした。感謝です。(加藤)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
【マタイによる福音書11:28 (本年度年間聖句)】

 

本学の附属幼稚園の1つ、豊田幼稚園の年長組の園児さんらが本学に遊びに来てくれました。遊びといっても、サマースクールというキチンとした園行事です。

短大の施設を探検し、ウチの学生さんらと交流。そしてお弁当の後、13時からチャペルで礼拝です。その園の礼拝に学生さんや教職員も合流させていただいたというのが、今日の合同礼拝でした。

幼稚園で普段行っている礼拝はシンプルで分かり易く、学生さんにとっても魅力的だったと思います。特に、子ども用の聖歌はかわいらしくて短大でも取り入れたいくらいでした。3曲目の「スマイル」という聖歌は学生さんも一緒に歌うという設定でしたが、園児さんらの歌声に完全に圧倒された感じでしたね。また、本学の田中チャプレンの聖話は、創世記の天地創造からの話題で、神様はすべての生き物をつくられて満足なさったという有名なお話しです。虫の話で子どもたちは盛り上がっていました。

多くの世代の人々がチャペルに集い祈りをささげる。こんな風景が未来の社会を切り開く原動力となる、などと書いたら大げさでしょうか。子どものように、素直な心で将来を見つめたいです。(加藤)

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
(マルコによる福音書 10:13-16)

 

 

 

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