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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

本学の附属幼稚園の1つ、豊田幼稚園の年長組の園児さんらが本学に遊びに来てくれました。遊びといっても、サマースクールというキチンとした園行事です。

短大の施設を探検し、ウチの学生さんらと交流。そしてお弁当の後、13時からチャペルで礼拝です。その園の礼拝に学生さんや教職員も合流させていただいたというのが、今日の合同礼拝でした。

幼稚園で普段行っている礼拝はシンプルで分かり易く、学生さんにとっても魅力的だったと思います。特に、子ども用の聖歌はかわいらしくて短大でも取り入れたいくらいでした。3曲目の「スマイル」という聖歌は学生さんも一緒に歌うという設定でしたが、園児さんらの歌声に完全に圧倒された感じでしたね。また、本学の田中チャプレンの聖話は、創世記の天地創造からの話題で、神様はすべての生き物をつくられて満足なさったという有名なお話しです。虫の話で子どもたちは盛り上がっていました。

多くの世代の人々がチャペルに集い祈りをささげる。こんな風景が未来の社会を切り開く原動力となる、などと書いたら大げさでしょうか。子どものように、素直な心で将来を見つめたいです。(加藤)

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
(マルコによる福音書 10:13-16)

 

 

 

大学礼拝の特別企画として、礼拝後に講演会を開きました。

松本普(まつもと ひろし)さんは「日本聖公会 だいじに・東北 被災者支援センターしんち」の専従スタッフとして、東日本大震災の被災地支援に最初から関わってこられ、現在は、今年6月に開設された日本聖公会の支援拠点「支援センターしんち・がん小屋」に常駐して、福島県新地町を拠点に被災者支援を続けておられます。本学の震災復興支援ボランティア活動の強力なコーディネーターでもある方です。被災地の現状を語っていただくには最適な方をお招きできました。

講演の前半では、記録ビデオ(日本聖公会「いっしょに歩こう!プロジェクト」製作)で過去を振り返りました。津波の恐ろしさや被災者の方々の苦悩を忘れないためには、時々はこのような映像を見ることも大切でしょう。

後半は松本さんの熱い語りです。飾りのない「現代の語り部」が発する真実に、場内が緊張感に包まれます。仮設住宅入居者数の推移を示すデータが映し出されましたが、それは、震災は今なお続いている「現実」である事をあらわしています。それに加え、震災に伴って発生した原発事故に起因する風評被害が、様々な形で被災者の方々の人間関係にまで悪影響を及ぼしているという事実に、何か、心の底のダークな部分をえぐられるような気持ちになりました。その他、東京オリンピックとの関わりとかの話題も挙がって、とにかく、見えないところで被災地と私たちは繋がっている事が良く分かりました。今これをご覧の皆さんも、ご自分で被災地の現状を検索してみられてはいかがでしょうか。

様々な事がありますが、イエス・キリストが説く平安のようなものが心から失われませんように。(加藤)

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカによる福音書10:41-42)

 

 

礼拝特別企画として、観劇会を開きました。
劇団うりんこによる「いきもの生き方図鑑―リサがトカゲになる日―」です。
本学の同窓会(のぞみの会)が学生さんへのプレゼントとして企画して下さいました。

同窓会会長さんからは「すばらしい職業を選ぼうとしている皆さんに、少しでもお役に立ちたいと思い、キリスト教センターのご支援を受けながら企画をしました。保育や介護にたずさわるには豊かな感受性や想像力を持つことが必要だと思います。柳城在学中に、このような企画を大いに活用して、自分自身を磨くきっかけにしてみて下さい。」というあたたかいメッセージが届きました。

間近に見るプロの演劇。学生さんも随分とリラックスできたようで、笑いが絶えないような場面も何度かありました。4人の小学生がそれぞれの個性をぶつけ合いながらも共同していく様子が、見る人自身を振り返させます。

礼拝も同じで、聖書の言葉をきっかけにして自分を振り返る場です。週一回の短い時間ですが、本学がずっと大切にしてきたゆえんです。(加藤)

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 (マタイによる福音書4:4)

6月10日の礼拝では、本学の元就職課長で野生動物の写真家として活躍されている宮嶋英一(みやじまひでかず)氏をお迎えしての講演会をもちました。講演のテーマは、「命のつながり―サバンナの環境と野生動物の親子愛―」

長らく本学の就職課長として学生たちと一番近い位置から就職支援を行ってこられた宮嶋氏は、定年後も顧問として本学に深く関わってこられましたが、今は、一般社団法人サバンナクラブの幹事として環境問題への取り組みや野生動物の保護活動を行っておられます。特に、アフリカのサバンナに生きる野生動物の素晴らしい写真が知られていますが、今日の講演では、宮嶋氏はその魅力あふれる動物写真をスライドを使ってふんだんに披露してくださいました。そして、お話の中で、宮嶋氏がこれまでサバンナに関わってこられた活動のより一層深いところを語ってくださいました。サバンナの急激な環境変化と動物種の激減という問題です。

太古から、親から子へと受け継がれてきた命のつながりの中で、今の私たちは生きています。野生動物の母子や仲間のあいだには、深く細やかな愛情が見られます。しかし、その母性愛は、本能ではなく、自らが愛され育まれた経験を通じて学ぶものなのです。野生の動物たちは深く細やかな愛を学び、自分たちの子どもを愛情深く育てていくのです。そして、そうした一つ一つの懸命な命の営みを通じて、この地球の命の営みは世代から世代へと受け継がれていくのです。子どもを守るコビトマングースのお母さんや子どもに狩りのしかたを教える母チーター、深い愛情で子どもに寄り添う母ゾウと、その親子ゾウを守るゾウの仲間のあいだの濃密な愛情…… 動物の写真が映されるたびに「かわいい!」という声が上がっていた会場が、次第に打たれたように静かになっていきました。

太古から受け継がれてきた壮大な生命史の一コマ一コマは、このような親から子への命のつながりです。その結果として、現在の多様な生命の営みがあるのです。しかし、今のこの生命多様性は、大きな危機にさらされています。この「生命史上の大事件」は、「第六次大量絶滅」と呼ばれているそうです。その大きな原因になっているのが、自然環境の急激な変化であり、それを引き起こしているのが人間です。象牙を求めての密猟が絶えないために虐殺されるゾウは年間20,000頭を超え、森林の伐採などによる自然環境の破壊は深刻化しつつあります。

地球の生命史を貫く壮大な命のつながりが危機にさらされているなかで、その一コマ一コマのなかにある深い親子の愛情を、宮嶋氏は見せてくださいました。それを破壊しつつあるのが私たち人間であることも。そして、子どもに関わる仕事としての保育者を目指す学生たちに、最後に、宮嶋氏は、大切な問いかけを残してくださいました。今、私たちにできることは何か? 祈りとともに、深く考えさせられる時間となりました。(村田)

神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」(創世記1:21-22)

 

 

 

 

 

 

 

毎週水曜日の大学礼拝は、学生の皆さんの奉仕がないと成り立ちません。

今日の礼拝では、保育科の1年生4人が、入学して初めてのサーバー役にチャレンジしてくれました。
サーバーとは礼拝司式者(チャプレン)の補佐をする人のことで、聖歌の朗読、ろうそくの点火、聖歌番号の読み上げなどを担当します。

白い衣装(サープリスと言います)を身につけたこの美しい姿。いい感じですね。
貴重な体験ができるところにも、本学の特徴が出ています。
多くの学生さんに着て欲しいです。(加藤)

 

 

定例の大学礼拝の直後に「ボランティア報告会」を行いました。
正式には「2014年度 東日本大震災復興支援ボランティア活動 報告会」です。震災直後からボランティアの場を与えられて4年目の報告会です。
詳しい内容はここを是非ご覧ください。

昨年、保育科1年生として参加した5人の有志によって報告がされました。スライド72枚の大作を簡潔に分かり易く。短い発表時間でしたが、被災された方々に対する熱い思いを礼拝参加者全員で共有できたような気がしました。ボランティアに参加できた学生さんらの貴重な体験は本学の大切な宝物です。

復興が未完のまま年月が過ぎようとしています。被災された方々や復興に関わるすべて皆さんのご苦労は察するに余りあるものだと思います。神のお恵みが豊かに注がれますよう、お祈りをしたいです。(加藤)

悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
(マタイによる福音書 5:4)

 

今年度の最初の礼拝では、新海英行学長より、保育と介護福祉を学ぶ学生たちに向けて、建学の精神「愛をもって仕えよ」にもとづく実践と理念のあり方が、糸賀一雄の言葉を引きながら丁寧に語られました。
【2015年度 第1回大学礼拝 4月8日(一年生) 3月26日(二年生)】


この子らを世の光に ― 糸賀一雄(1914~1968)に学ぶ ―

1 障がいを持つ子どもたちのために尽くした生涯とその働き

戦後における「障がい児・者の福祉と教育」のパイオニア、糸賀の足跡に学んでみよう。

彼は、1946年11月、「近江学園」(知的障害児の教育・医療施設、孤児の養護施設)を創設し、その後、いくつかの施設を設立した。代表的なものは、「びわこ学園」(重度障がい児施設)(1963年)、「第二びわこ学園」(1966年)である。(これらの施設を建設した経緯と実践を貫く教育観は、著書A『この子らを世の光に―近江学園二十年の願い―』1965年、B『福祉の思想』1967年、C『愛と共感の教育』1972年に詳しい。)

2 人として生き、人らしく発達することはすべての子どもの権利

糸賀はこう述べている。「この世の役に立ちそうもない重度や重症の子どもたちも、ひとりひとりがかけがいのない生命をもっている存在であって、この子の生命はほんとうに大切なものだということであった・・・「この子」という生きた生命、個性のあるこの子の生きる姿のなかに共感や共鳴を感ずる」(B)子どもたちのいのちの尊さこそ彼の教育観の基本中の基本であった。

糸賀は、生命への畏敬を基本におき、生存権(憲法25条)と教育権(26条)を結びつけ、生きる権利と発達する権利を統一的にとらえ、療育・治療教育・養護・保育に取り組んだ(A)(B)。その際、生存権と教育権を保障し、実現するのは国家・社会の義務(=義務教育)(B)とし、それゆえ、国家による就学の猶予・免除(貧困や疾病のゆえに)を拒否した(B)。さらに「働く母親をまもり、子ども自身をまもる」ために、「保育所の適正配置とか集団保育の新しい教育的意味を強調した(B)。

3 「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」

子どもたちが自らの人生と社会の主役に成長することをことのほか重視した糸賀は、聖書(マタイ5章13節~16節)に学んでこう述べている。「「この子らに世の光を」あててやろうという憐み」ではなく「この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそう」「「この子らを世の光に」である」「この子らが生まれながらにもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬ」(B)「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、障害をかかえた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが“豊かな社会”である」(A)「自己と他者の共同(まじわり)が人格の本質であること、又かかる共同を成立せしむるものが“愛”に外ならない」(C)

要するに、「この子らを世の光に」する教育を実現するのは、「共に生きることのできる社会」「自己と他者の共同」であり、こうした社会や共同を実現するものが愛である。これこそキリスト者糸賀の生涯にわたる実践を動かした究極の考えであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【名古屋柳城短期大学附属 柳城幼稚園 年長 あお組】

イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 (マタイ19:14)

クリスマスまで、あと二週間となりました。12月10日の大学礼拝には、附属柳城幼稚園の年長あお組の子どもたちが来て、すてきなクリスマス・キャロルとトーンチャイムの演奏を聴かせてくれました。

チャペルは、この日を楽しみにしていた学生たちや短大教職員で満員となり、用意したエキストラの椅子や三階席もすぐにいっぱいになりました。お揃いの聖歌隊衣装をまとって、少し緊張した面持ちで入堂してきた子どもたちを、子どもの大好きな保育学生のみなさんが温かい拍手と笑顔で迎えました。聖壇の前に二列に並んだ子どもたちは、担任の桑原先生が弾かれるオルガンに合わせて、クリスマスを祝う2曲のキャロルを丁寧に歌いました。そして、一生懸命に練習を重ねてきたトーンチャイムによる「きよしこの夜」を演奏しました。

あお組の保護者の方々も礼拝に出席され、柳城幼稚園の先生方、短大の学生や教職員がすばらしい交わりの時をもちました。その中心に、柳城幼稚園の子どもたちがいます。子どもたちを中心にして、幼稚園と短大が温かな交わりをもちながらイエス様の降誕を待つというすばらしい時間をいただきました。

この日のために練習と準備を重ねてこられた、柳城幼稚園の子どもたちと先生方に感謝。そして、この恵みに感謝。すべての子どもたちと、子どもたちに関わるすべての保育者さんたちに、よきクリスマスが訪れますように。(村田)

 

 

【マルコによる福音書 第10章13-16節】
13 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

今週の礼拝では、志村真先生(中部学院大学短期大学宗教総主事)に、「子どもの友イエス」と題する奨励をしていただきました。

学生に直接、親しみをこめて語りかける志村先生のあたたかい口調が印象的でした。そして、語っていただいたお話は、それ以上に深く印象に残るものでした。お話は、志村先生が小学生のときのエピソードからはじまりました。学校で、「良寛さん」の劇を子どもたちが上演し、志村先生ご自身が良寛さんの役をされたそうです。子どもたちと一緒に毬つきやかくれん坊をして遊ぶ良寛さんの姿の背後には、当時の農村の子どもたちを取り巻く過酷な社会環境がありました。

志村先生が語られる良寛さんの姿が、福音書に「子どもの友」として描かれたイエス様の姿に重なり、イエス様が生きた時代、子どもたちを取り巻く状況がいかに過酷なものだったかが語られました。乳幼児死亡率が非常に高かった時代です。当時の遺跡から出土した遺骨が語る、子どもの餓死、戦争による死、出産途中で亡くなった妊婦と赤ちゃん… チャペルは静まり返りました。志村先生は、イエス様が友としたのは、そのような時代の、そのような子どもたちだったことを語られました。

弟子たちが子どもたちを遠ざけたのを見て、弟子たちをお叱りになったイエス様は、その子どもたちを一人ひとり、腕の中に包み込んで抱き上げ、そっと降ろして祝福します。その様子を、志村先生は、福音書の言葉の意味を読み解き、イエス様のしぐさも交えながら語られ、最後に、「福音書はイエスを子どもの友として描いている」というジョン・キャロルの言葉を紹介してくださいました。(村田)

 

聖書箇所:ルカによる福音書 第9章46-48節

弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

今日の礼拝では、平松ちづ代先生にお話していただきました。この3月まで、附属幼稚園の園長を務めておられた平松先生は、本学の卒業生でもあり、後輩である学生たちに向けて親しみのこもった口調で、お好きな映画のことや童話のことを学生たちに語りはじめられました。そして、柳城の学生だった頃のことを話され、寮で生活しておられた同級生の学生生活の様子などに聞き入っているうちに、お話は自然と保育と幼児教育にとって大切なこととは何かというところまで深まっていきました。そして、柳城の建学の精神に触れられ、保育者が愛をもって子どもにに仕えるということと、その意味について語ってくださいました。保育者は、神様の愛、イエスの愛を担って、子どもたちに伝えていくという仕事をすることです、という平松先生のお言葉に、新鮮な光に照らされたような思いを抱きました。(村田)

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