大学礼拝「助けて!の練習」2020/7/16
【コリントの信徒への手紙二 12:9-10】
12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
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私たちは、小学校の頃から数え切れないテストを受け、そのたびごとに点数がつけられ、それによって他の人と比べられ、評価される、ということを無数に繰り返してきました。そのようにして常によい点を取らなければならない、という構えが私たちには自然と身についているはずです。したがって、これができない、わからないと、自分の至らなさや弱さは、あまり口に出さないほうがいいと、思うようになっているところがあります。
先程お読みしましたパウロの手紙に「大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と書かれています。一般的に考えれば、弱さは、誇るものではなく、隠しておきたい、出したくないことかもしれません。しかし、キリスト教を世界に広めたパウロは、彼自身、弱さを隠すことなく、大切にしました。というのも、キリスト教においては、強さよりも弱さの中にこそ神が働かれていると考えるからです。神様というと、たとえば金の冠をかぶった力強い王様のようなイメージあるかもしれません。しかし、キリスト教においては、そうではなく、荊の冠をかぶせられ、額から血を流し、手と足を釘で十字架に打ち付けられ、傷つけられたキリストこそ神の姿なのだ、と信じています。
私たちは、自分の弱さを出さず、人に頼ることもせず、自分の力で頑張らなければ、とついつい思いがちです。しかし、この柳城では、自分の弱さを隠さず、何か困ったことがあれば、周りの人たちに「助けて」と口に出してみてほしいと思います。そのようにしても、しっかりと受け止めてもらえる環境が、この柳城にはあると思います。
多くの皆さんは、いずれ保育や福祉の現場に行かれると思います。就職したら、職場では、そのように弱さを口に出すことは、軽々しくできなくなってしまうことも考えられます。しかし、弱さを出すことは、とても大事なことです。
たとえば、もし、幼稚園に通う子どもが、「苦しい」、「困った」、「助けて」と言えなかったらどうでしょう。子どもたちが、「苦しい」とその弱さや困難を正直に打ち明けてくれるからこそ、保育の環境は、子どもにとって居心地の良い、あるいは安全な場所へと変えることができます。もし、子どもたちが、そうした弱さを出すのは良くないことだと思ってしまったら、危険なことにもつながってしまいます。
ですので、そこで働く人たちは、弱さを出すお手本になってよいと思います。もちろん、単純に子どもたちにそれを言えばよい、ということではありませんが、自分自身が安心して周りの人に助けを求めることができる、という姿勢、態度でいられることはとても大切で、その雰囲気はきっと子どもたちにも伝わっていくと思います。
そこで、柳城においては、「困った」、「助けて」と言う練習をされることをおすすめしたいと思います。何か困ったことが起きたら、周りの人に、ちょっとだけ勇気を持って、「助けてほしい」と話していただきたいと思うのです。すると、もしかしたら、これまで皆さんが経験したことのないような優しさが、実は皆さんの周りに大きく広がっていることに、気がつくこともあるかもしれません。
パウロは、次のように書いています。「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」自らの弱さを、ないかのように、隠すようにして過ごすのではなく、大切にしながら、この柳城での学び、働きを、続けてまいりたいと思います。(チャプレン 相原 太郎)